『絶対無敵ライジンオー』テレビシリーズ全51話を見ての感想です。


今年は初回放送から25周年ということで、小学校の校舎が発進基地になる、クラス全員でロボットを運用するといった設定に魅了された当時のファンの間で話題になってましたね。

自分は当時小学生どころかまだ影も形もなかったころの作品になりますが、かねてから評価の声は聞いてて気になってたので、この度のdアニメの期間限定配信の間に視聴した次第です。


最近は深夜アニメかOVAのような短い期間で終わる作品ばかり見てたので、51話にもなる作品を3カ月で最後まで見れるかなとちょっと不安でした。しかし実際は、意外にもと言うと何ですが、全く息切れすることなく完走できました。

最後の3話を除いて全て1話完結式で、邪悪獣が出たからライジンオーが学校から発進して合体して必殺技で倒すという大まかな流れは共通しているのですが、地球防衛組の一人ひとりにスポットが当たり、各人の成長が丁寧に描かれているため、クラスの中に似た様な子がいないのと同様に、どの回も似た様な内容の繰り返し感は皆無


ロボットに関しては、何度も見るものだけに発進、合体、必殺技のバンクはどれも迫力満点でロボットもの好きのツボを押さえたものになっています。

それだけではなく、剣王は格闘技が使える、鳳王はスピード、獣王はパワーと、合体前の各メカそれぞれの特徴が生かされているのが好印象。ライジンオーにしてもシメのゴッドサンダークラッシュは水中で使うと直前に海面が割れる演出が入ったり、パワー切れ寸前で使った時は一太刀浴びせてそのままヨロッと降下していくところが見られたりと、定期的に変化球が入るサービス精神を見せてくれます。


物語は全体的に軽妙なタッチで描かれており、子供同士のたわいないやり取りや、地球を侵略する気があるのかないのか分からないような敵の作戦は毎回見てて楽しい。時々見られる「これ、実際にやったらやばい奴だ」というようなシーンも逆に笑えたりして。

本来子供を相手にするアニメだからか、飽きさせない工夫が細部に行き届いており、最初から最後までずっと面白く見れるんですよね。



そして、この作品が現在でも評価されているのは、学校から発進する絶対無敵の合体ロボという、これだけでも最高においしいのにその設定だけに留まらず、地球防衛組やその周りの大人に至るまでキャラクター一人ひとりに人間味と魅力を持たせ、彼らの間に生まれるドラマを誠実に描いたからに他ならないでしょう。


学校が舞台とはいえ、基本的に明るいロボットヒーローものの作風であり、いじめ等の問題を扱った重苦しいエピソードこそありませんが、それらが最初から無かったものとして無視するのではなく、その萌芽となりえる課題を解決するエピソードを盛り込むことで対処しています。

ここで重要になってくるのが、仁やきららのように思ったことをすぐ口に出せるあまり他の子を傷つけてしまう"気が強い子"の存在です。最初は「この乱暴さもそのうち成長によって解消されるのだろう」と思ったのですが、結局最後まで解消されません。それもそのはずで、彼らの性質は小学校を舞台にする上では必要不可欠なファクターなんですよね。作劇上の都合で普通よりは少人数のクラスになっている上にこの手の粗暴さを失ったら、それはただの仲良しクラブになってしまう。そうではなく、いろんなタイプがいて衝突も起きるからこそ成長が促されるのです。

勿論、仁やきららとて悪役ではなく、最初は下に見た相手でも成長があればそれを認められる心根の良さもちゃんと描かれます。また、彼ら自身も声を大きくして多数の人を動かせる分、人より大きな責任を負うこととなり、それを果たすことで成長していきます。


地球防衛組の生徒たちについては一人ずつ語っていってもいいくらいなのですが、記事がまとまらなくなるのでこの辺で。

生憎、私は小学生の頃にはこの作品に出会って地球防衛組の子供たちと同じ目線で楽しむという機会はありませんでした。しかし、この作品であれば、大人から見ても当時のことを鮮明に思い出せるような素敵な体験ができるのではないかなぁと思います。




新海誠監督の短編アニメ映画『ほしのこえ』を見ての感想です。

私がこの映画を見たきっかけはメインビジュアルにもデカデカと写っているロボットでした。

監督についての知識は他に『言の葉の庭』を見た程度。これについてはかなり印象が良かったので、「この監督が手掛けるロボットものとはどんなものだろう」と思って見た次第。ということで今回書く内容も99%ロボットについての記事になります。



結論から言うとロボットに期待して見てはいけません。

2002年に作られた個人製作映画なのだから主にメカ方面に使われているCGの安っぽさに関しては文句は言えません。それどころかロボットの描写を見てみると、重力下での重々しい足取りや、空や宇宙でのスピード感あふれる戦闘シーンなど、その完成度の高さは目を見張るものだったと思います。

ところが残念なことにメカデザが良くない。上に貼ったメインビジュアルを見てほしいのですが、後ろからだとエッジの利いた手甲や大きく張り出したミサイルポッド、いかにも速そうな長く伸びたブースターと、いい感じのパーツ密度のロボットに見えました。しかしいざ物語が始まって前面から見てみると何の個性もない妖怪のっぺらぼう状態。前記のとおりアクションは良いのに余りにのっぺりしてるので見終わった後の印象も「なんかどっかで見た様なヤツ」という程度にとどまってしまっています。



無論ロボットはこの映画の主役ではありません。しかし、作劇上重要な位置を占めていることは確かであり、また結果的に大いに足を引っ張っているのは明白。

というのも、登場人物の繊細な心理描写や、二人の会話に散見される宇宙やワープ航法に関するSF的設定は説得力が高くリアル寄りで、ロボットに関してもシンプルなデザインから現代の戦闘機や作業機械等の延長線上にあるリアルロボットであることがうかがえます。それなのにロボット周りの描写に限って格段にリアルさの追及がなおざりになっているんですよね。

パイロットがずっと学制服着てコクピットにいるところとか、任務中に携帯を気にしてたりとか、いきなり戦艦級の敵を叩き切るほどの巨大なビームサーベルが出せるようになるだとか、情緒優先の描写がいままで積み上げてきたリアリティを滅茶苦茶にしています。これらの描写の作劇上の意図を汲むことができないわけではありません。しかし、エヴァンゲリオンのようなパイロットの心理描写が機体に反映されるファンタジー風味のものや、ガンバスターのように細かい理屈などどうでもよくなるようなスーパーロボットならともかく、リアルロボットに乗ってこういう描写をしてしまうと場面として成立しなくなってしまうんです。

このように本筋となる心理描写との食い合わせも悪く、他の世界観設定にも水を指してしまうという何がしたかったのか分からないことに。ロボットに釣られて見た自分が言うのは変かもしれませんが、こんなことなら正直、ロボットはいない方が良かったと思います。ウラシマ効果描写ならロボットのパイロットじゃなくてもできますし。

そんなわけで全く感情移入も出来ないままに見たので、この他の点にああだこうだ言うのは控えますが、一つだけ「世界ってのは携帯の電波が届く場所」というのはいくら何でも偏狭過ぎるんじゃないかなぁ…。田舎に行ったら携帯が通じないところくらいどこにでもあるよ。








『夏目友人帳』のアニメ第1期を見ての感想です。ちなみに原作漫画は未見。

なかなか長続きしない深夜アニメ界において第5期まで制作されており、しかも妖怪ものということですごく期待して見た次第。




このアニメを見て思ったのが、確かに第5期まで続いているだけあるなぁということ。

13話の内全話において作画・脚本共に一定のクオリティーを維持している。妖怪ものにしては珍しく、戦闘シーンや怪奇的展開はかなり少ないなれど、それでも毎回物語に起伏がある。

すごくストーリーテリングがうまいんですよね。


 ビジュアル面でもかなりセンスが良く、名前を返すときの演出や名取の扱う術は、いわゆる中二病っぽい大仰なものでなくかといって地味すぎない絶妙なバランスだし、妖怪デザインも初見だとギョッとするけどよく見ると可愛くもあるという、古くからある妖怪絵巻のスタイルに近い感じで好印象。


 登場人物も皆個性豊か。

 特に、にゃんこ先生こと斑は本気モードとギャグモードの声のギャップだけでも面白いのにアドリブも入っているということで、声を担当する井上和彦さんの魅力が最大限に発揮されてたと思います。

 夏目については、回想や独白が若干のクドさを感じさせるものの、話の推進力である彼の善意の出所がはっきりするという点では良かったのではないでしょうか。

 ゲストキャラのうちでは、個人的には子狐が気に入りました。自分は男の娘とかケモ耳といった要素に萌える方ではない、というか寧ろ男の娘については存在のありえなさに萎える人なのですが、このキャラの場合はキツネの化けたものという設定もあり、男・女以前の子供もしくは性別に関係なく可愛い小動物という感じだったので気にならなかったです。




 ことほど左様に、かなり出来の良いアニメだと言えます。ただ、巷で言われている"感動"に関しては、私にはあまりピンとこないところでした。いわゆるウェルメードな作りであり、お話の進め方と演出は良いんですが、いざ感動しようと思って事件の元となる妖怪の心情をたどると、発端の部分がぼやかされていたり、設定が曖昧だったりすることが多くて感情移入しづらいのです。


この作品の問題点は第1話の時点で顕著に表れています。

まず、斑と夏目の関係の起こり。この二人の掛け合いには何度となく笑わされましたし、劇中の活躍を追っていれば名コンビと言えるでしょう。しかしそもそもこの二人はどういう関係なのかがよく分からない。

斑が用心棒になることを持ちかけるのは「封印を解いてくれた恩」ということでしたが、すぐに気が変わって力ずくで友人帳を奪おうとします。これを返り討ちにした夏目(どういうパワーバランス?)は改めて妖怪に名前を返したいことを告げ、その 言葉に共感した斑は改めて夏目の用心棒として行動を共にすると約束するのですが、第1話の事件解決の時点で二人の関係は急激に親密になってしまうんですよね。

ここをしっかり締めておかなかったせいで、全体的ににゃんこ先生の行動原理があやふやになってしまっており、呆れたりケンカしたりしつつも用心棒を続ける姿にも常に「なんでそこまで?」という疑念が付いて回り、非常に共感しづらくなっています。


 

また、夏目が最初に名前を返す妖怪であるひしがきについて。

名前を返した時に現れる回想でこの妖怪が「寂しい」と発するシーンでは、私も心を揺さぶられるような気がしました。しかし、この妖怪の回想を聞いてみると、夏目の祖母レイコのいい加減さが妖怪を傷つけていたというどうしょうもない事実が発覚。さらに記憶をたどってみても、ひしがきが元々なぜ寂しがっていたかは不明なので、共感しようがない。

最初の感覚は、おそらくひしがきの声優さんが自分の経験等を加味して発した言葉だったから、重みを持って心に届いたのでしょう。しかし裏を返せば、この言葉の真意は本編からは何も読み取れないのです。

そして、この物語のカギとなる友人帳の、名前を返すという行為の設定もいまいち納得のいく描写・説明が得られません。

1,2,4話を見ると、名前を返すことで凶暴化した妖怪を無力化する効果があるようにとれる描写がありますが、どの回においても夏目が記憶を覗いて勝手に納得するだけなのになぜか妖怪に救いがもたらされたかような演出になっているのが納得いかない。

そもそもかなり序盤から妖怪は普通に平穏に名前を返してもらいに来るようになるし、夏目も流れ作業的に返していくというシーンが多くなり、友人帳自体が形骸化していきます。これでは、ぶっちゃけちゃんと設定考えてなかったのでは…?と懐疑的になってしまいます。



そもそも今作に登場する妖怪についてですが、ドラマ作りを重視して怪奇性を押さえた結果、どうも牙を抜かれた感が否めない。見た目的には余計な美化やディフォルメの少ない"これぞ妖怪"という感じなだけに非常に惜しい。
『妖怪ウォッチ』のような真性の子供向け作品を除いて基本的に怪奇で陰惨な話の多い妖怪ものにおいて、一つくらいはこういう優しい作風のアニメがあっても良いかもしれません。

しかし、本来妖怪というのは人間の理解の及ばない異常なもの、恐ろしいものなのであって、そう簡単に仲良しになんかなれるものではないのです。過去の数々の漫画・アニメで敵として扱われてきたのは、別に不当な差別を受けてのことではなく、人間が恐ろしい容姿と理解不能な他者と相対した時には(少なくとも最初のうちは)争い事になった方が現実的にもストーリー的にも断然自然だからであります。だからそんな妖怪たちと仲良くしようと思えば、敵として登場させる時よりも慎重な扱いが求められるのです。

ところがこの作品では、上は神様から下は昆虫まで、妖怪を見る力があるというだけで最初からわかりあえてしまっています。そしてそれが可能になることを裏付けるような設定はほとんどないため、妖怪本来の異常性が作劇上の都合から取り除かれているという事実だけが不自然に現れてしまっているのです。


もしかしたら、この作品においては登場する霊的存在たちに妖怪という呼称を使わず「神魔」や「ヘナモン」のように、伝統的妖怪や動物霊を統合した作品独自の存在として設定していれば、もっと素直に納得しやすくなったのではないかなとも思います。

日本人なら誰もが知っていて、他の作品でも様々な設定付けがなされている「妖怪」というものの独自解釈に関しては、この作品はあまりにも舌足らずだと言わざるを得ない。




『アクティヴレイド -機動強襲室第八係-』の第1期全12話を見ての感想です。

 いまいち話について行けてない感もあるので、あくまで暫定的なものとして軽く。


  そう遠くない未来の日本が舞台、都内での需要に応えて民間から普及したメカ、警察内でも評判の芳しくない部署で起こるドタバタと社会風刺を交えた活劇と来て、私が一番に連想したのが『機動警察パトレイバー』でした。しかし、それが良くなかったのか、今作ではいまひとつ物語に入っていくことが出来ませんでした。


  まず、この物語における主役メカのウィルウェア。カッコイイのとバリエーション豊富なのは結構なんですが、ダイハチの専用車両内での装着シーンなんかを見ていると、他ではいくらか簡略化されているとしても、どうしても民間の間で使われているテクノロジーに見えません。シリーズ構成繋がりで『特捜戦隊デカレンジャー』のイメージも入っているのかもしれませんが、あっちは宇宙人が来てる世界だし…。やけに細かい法律や規則の描写との食い合わせもあり、どの位のリアリティレベルの話なのか、いまひとつ飲み込みづらい。実際に民間で使ってるシーンも欲しかった。


  また、その法規制についてですが、ダイハチが規則に縛られて思うように動けなくなるという件が多くてやけにイライラさせられました。政治家の稲城光太郎のセリフに君たちが困らない様な法律作りをするというものがあり、その布石なのかもしれませんが、これをこの頻度でやるなら、待ちに待った許可が下りる瞬間や、法律の網をかいくぐる時にもっとカタルシスを感じさせるようにしてくれないと、話としてあまりにストレスフル。

  というか、これだけ律儀に決まり守ってるダイハチがなんでこうも評判が悪いのかよく分かりません。第3話や第4話のラストで政治家やマスコミに悪口言われる結末とか普通に後味悪かったです。


 キャラクターにも感情移入できる人がなくて…。どのキャラの描写も好きなもの、得意なことの紹介だけに終わっていて、人間らしい多面的なところが皆無なんですよね。

 あるとすれば視聴者と同じくダイハチとファーストコンタクトをとることになる花咲里あさみなんでしょうけど、これが「警察官は正義の味方じゃないんですか」なんてポンコツとかいう次元では片付かない妄言を吐く始末。実は私も彼女と1歳しか違わない若輩者ではありますが、19歳にもなってあんなことを言う人はよっぽどです。同時期に放送していた『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』なんかは良い例で、所謂ポンコツ属性を付ける場合そのキャラは基本的に有能でないと成り立たないのですが、こちらは精神的に未熟な上に天才の筈なのにアイデアも出せず戦闘でも活躍できないといういいとこなしの役回り。

若者のキャラクターだからここから成長するのだろうと思いますが、そこも第2期でのお楽しみなのでしょうか。こういう立ち位置に定着させるのはすごく可哀想だと思います。

 


  何だかんだ文句が長くなりましたが、ウィルウェアを着こんでからのアクションと掛け合いには目を見張るものがありますし、毎回の遊び心もとても良いと思うんです。特に第6話の巨大ロボット回ではこみ上げて来るものがありました。

 気になるところは多々あるものの決定的に破綻してたりはしてないので、ラストにはドーンと盛り上がることを期待して第2期も見てみようと思っています。願わくばイヤミな政治家とか愉快犯のハッカーみたいのでなくもっと魅力的な敵キャラを…!

 





 『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』 第1期にあたる前半25話を見終わったので、暫定的な感想と今後の期待などについて。




 これまでの鉄血を見ていて強く思ったのは、非常にガンダムらしくないガンダムだということ。


 今までのガンダムでは、主人公等若者たちは成り行きでガンダムに乗って半ば仕方なく戦い続ける羽目になるのが多かったのですが、鉄血では少年のリーダーが軍団を作って自分たちの栄達のために戦っていくというストーリーになっています。

 また、主要キャラたちの雰囲気も、全員がよく見知った者同士でしかも男ばかりなので非常に和気あいあいとしていて、戦いが苛烈になっても閉塞感が出たりはしない非常にアットホームな感じになっていました。


 ここまでは平成3部作あたりが既にやってたりもしますが、鉄血が決定的に他のシリーズと違うのが、鉄華団団長のオルガが何度か言った「筋を通す」という意味のセリフに代表されるその精神性です。

 クーデリアの護衛という鉄華団の初仕事は、正規の軍隊とやり合う羽目になる余りに危険な仕事でした。それでも任されたからには最後までやり遂げる、ここで諦めたら俺たちは駄目になるぞという論調は根拠はないけど納得させられるアツさがありました。と言っても、ただ単に暑苦しい類型的な"熱血"ではありません。腐敗したギャラルホルンの内情、人身売買の対象となる宇宙ネズミたちや、彼らをこき使う武装集団など、背景となる社会の身も蓋もない暴力性がきちんと描かれているからこそ、そういった心意気を持つ鉄華団こそヒロインであるクーデリアの護送に相応しいんだと納得できるし、そこを曲げないオルガにも共感できるようになっているのです。

 

 ところで鉄血のこういう雰囲気ってどこかで見たことがあると思ったら日本侠客伝や昭和残侠伝のような任侠映画なんですよね。紋付袴、途中で死んだ仲間の葬式、一家総出の大仕事、最後は胸と両肩の追加装甲をはぎ取られたバルバトスが日本刀で敵を倒すという徹底ぶり。自分も任侠ものは好きなのでこの展開は嬉しかったですね。


 ここから先気になるのは、任侠もの展開をやり切った後はどうするのかというところ。任侠映画では対立する悪のヤクザを皆殺しにして主人公もその代償を支払って物語は終わり、次作でも同じ展開の物語が始まるのですが、鉄血はそこから先を描こうとしています。

 今作では貧困から力で脱出した鉄華団の活躍を主に描かれていますが、彼らが命をかけて守り抜いたクーデリアがその貧困の元を少しでも改善しないと物語は締まらないと思うのです。ドルド3の状況なんかを見ていると分かるように、現実の日本社会にも通じる問題なだけあって、ここだけは昔ながらの任侠精神では解決できません。既にドルト3の改革に関わり、当初言っていたハーフメタルの利権問題を片付けたクーデリアですが、ここから先も納得のいく答えを出していけるのか、期待半分心配半分なところであります。例えば第25話で蒔苗氏が選挙に勝ったメソッドがいまいちよく分からなかったため、この辺の政治描写をちゃんとやってくれるのか若干心配なんです。


 


 あと心配といえば三日月とアトラ。個人的には二人ともかなり気になるキャラになってるんですが、どちらも体が小さい割にタフネス頼りなのが見ててすごくハラハラさせられる。


 三日月は視聴者側の破壊願望に応えるように、容赦なく敵をぶっ殺します。それはそれで爽快なのですが、本人があまりに無意識的にやってるので見てる側で心配せざるを得ないんですよね。25話では右目と右腕に障害が残ってもまだ平気でいるというのが末恐ろしい。


 アトラについては、幼い頃に両親に死なれ、風俗店の雑用係という経歴とタービンズのハーレムとの出会いで貞操観念が割と緩くなってるのではという心配が。三日月は別にいいとしても、クーデリアは多分そういう考えに賛同できないと思うんですよね…。

 まぁ、クーデリアは地球に居残りなので、しばらくはアトラの独断場となりそうですが、破滅的な道に進みつつある三日月とどう寄り添っていくのかが気になるところ。幸せになってほしい。