「あーーーつーーいー!🔥」
今年の夏も「とってもア・ツ・い!!🔥」
暑い!🌞熱い!🍜厚い!📚(←「厚い」は、ちがうかw)
外に出るだけで命の危険を感じる暑さ。
まさに「炎天下」🔥
……なのだけど、なぜかその炎天下を歩きたくなった。
家の近所の神社に向かって、のこのこ🦌歩いていると……
「おや?」

カマキリくん(さん?)も、炎天下の道路を歩いていた。
「暑い中、ご苦労さん」と挨拶をして、すれ違おうとした、そのとき。
「ぶ~~~ん」🚗
後ろから車が近づいてきた。
「危ないよ」と声をかけたけれど。暑さのせいか、カマキリくんはぼーっとしていた。
幸い、車はカマキリくんを轢くことなく、通り過ぎていった。
心配になって、「ここは道路だから、早く横切って茂みに隠れなさいよ」と声をかけながら、首の辺りをつかもうとした。
けれど、カマキリくんは私に触られたくないので、威嚇態勢。
私は少し考えて、カマキリくんに触らず、そのまま別れることにした。
「車来ても知らんけど、気をつけなさいよ」と声をかけて。
そして、帰りに同じ道を通ると、出会ってしまった。
おなかの辺りがペタンコにつぶれてしまったカマキリくんに。
「あぁ……」
去年の6月、家を出て駅に向かっているとき、道路の真ん中にたたずむスズメのヒナを見つけたことがあった。

やはり車が通る場所だったので、そのときの私も「危ないよ」とスズメちゃんに声をかけた。
親鳥を探したけれど、見つからない。
そこで、近くの木に移動させようと考えた。

だけど、やっぱり言葉が通じないので、スズメちゃんには私の考えが伝わらない。
思うように移動させることができないまま、時間だけが過ぎていく。
電車の出発時刻も迫っていたので、道路の真ん中で一人、いや、一羽と一緒に途方に暮れていた。

すると、近くの八百屋さんからオバチャンが出てきて、「何してるの?」と声をかけてくれた。
「スズメのヒナがいるんです」
「…あら、ほんまやね」
「ここは車もバイクも通るから。移動させたいけど、なかなかできなくて」
「……分かった。オバチャンが移動させとく。あなたはこれからお勤めでしょう?後は任せて」
「…!ありがとうございます。よろしくお願いします」
というわけで、私は駅に走って、無事に予定の電車に乗ることができた。
後日、オバチャンに話を聞くと、「近くの木に移動させた。カラスが心配やけど」とのことだった。
カマキリも、スズメのヒナも、野生の生き物だ。
「にんげんが野生の生き物の命に介入することは、よくないのではないか?」
という気持ちと、
「自然の世界に道路を作って、車を走らせているのはにんげんだ。にんげんが作って走らせている車が、野生の生き物の命を奪うことのほうが、よくないのではないか?」
という気持ちとの間で、私は揺れるのだった。
カマキリも、スズメも、にんげんも、同じ地球の生き物だ。
にんげんは自分達が作った文明の世界の中で、毎日必死に(?)夢中で(?)生きているから、自然の世界を忘れてしまうことがある。
気温も、水も、食べ物も、移動も、すべて自分の思い通りになる……文明がもたらした、そんな錯覚。
文明は、にんげんに多くの快適さと便利さをもたらした。
しかし、その文明も、野生の生き物達がたくさん棲む自然の世界の上に成り立っている。
にんげんも自然の世界に生きているのだから、すべてが思い通りになるはずがない。
このことは、災害が発生したときに痛感させられる。
また、にんげんは、言葉を使って、コミュニケーションをとったり、頭の中でいろんなことを考える。
言葉も文明も、本当に便利だ。
しかしその便利さに夢中になって、何か大切なことを忘れてしまっている。そんな感覚も確かにある。
便利だからこそ、たまに立ち止まって、言葉や文明の暴力的な側面や危険性について考える時間も必要ではないか。
私は散歩が好きだ。
散歩をしながら、こんなことを考える時間が好きだ。
文明の世界を生きるにんげんとして、車や電車に乗って、すばやく遠くまで移動する時間も好きだけど。
自然の世界を生きるにんげんとして、自分の足で、ゆっくり歩く時間はもっと大好きだ。