

春の暖かさまで後少し
もうちょっとです。頑張りましょう
今日は、『結局は』と題して記事を書かせて頂きます。本日もお読み頂きありがとうございますm(_ _ )m
この所、思うことがあります。それは、
『そもそも霊能や霊感とは何か?』
ということです。
先日知人の方がこんなことを言っていました。
『私も霊感や霊能を学んで高め、今は見えないことや聞こえないことを感じたりしてみたい』
なるほど・・・確かに、今見えないことや聞こえない声などを感じたいという向上心?は良く分かります。知らないことを知りたい。これは人間の欲の1つですから。
またこんな方も以前いらっしゃいました。
『今お参りをしていたら光が降りてきた
』『手から光が出ているのが見える
』
そうですね。そういうことも有ります。きっとその方はそのようなことを感じたり、見ることのできる能力をお持ちなのだと思います。
そもそも、人は誰でも霊感や霊能といった力は誰でも持っていると私は思います。ただ、それにはそれぞれの能力の違いや、その力の強い弱いといった違いもあり、それも人それぞれです。
例えば、特に努力をしていなくても早く走れる人がいます。でも、もともと走るのが遅くても努力して走るのが早く成る人もいます。
私は、霊感や霊能の力も同じように思います。ですから人とは違っても特にその人が特別な人とは思いません。それはただ人それぞれの違い、十人十色の1つに過ぎないと思います。
では、特別な人とは?
自分のその能力が与えられた意味、すべきことを知り、力に溺れることなく自分と向き合い、その力を使うべきことに使っている人と思います。
見えないものをみて何を感じるか?
聞こえない声を聞けて何を感じ行動するか?
お参りして光を感じ、自分はその後どんな言葉や行動をしているか?
手の光を見て、自分の与えられたその力をどう活かすのか?
全ては、起きる事象にどう自分の心が応え、結果どんな行動や発言をその後して行くか?ということです。
結局は、どんな霊能や霊感の力があってもその力を使う心も磨かなくては、限りなく無意味に近いもののように私は思います。
特別な人とは、自分の心を磨き、その力の能力を最大限に活かし、自分のお役目を果たしている方と思います。
人それぞれに持つ能力。
私は、私にどんな能力とお役目があるのか?特別な人には程遠い道半ばの者で、そもそも特別な人には成ろうと思いませんが、心を磨き、私は私に与えられた能力を最大限に活かしお役目を果たせるように心掛けたいなと思いますm(_ _ )m
結局は、どんな霊能や霊感の能力も心次第。
『弘法筆を選ばす』
与えられた筆で何を成すか?に尽きると思います。
逆に、大きな力を与えられるとは、それだけ大きな役目を果たす役目があるということでは?
そんな風に私は思いましたm(_ _ )m
力有る者、その力おごることなかれ
力有る者、その力揺れることなかれ
力有る者、その力正しき心のもとに
力有る者、その力温かき心のもとに
力有る者、その力暗雲を照らす光と成せ
【9】速秋津日子神/速秋津比売神(はやあきつひこのかみ/はやあきつひめのかみ)
メッセージは、【手放すことがもたらす解放 自分自身へもどる】
【Kazamaの解釈】
しがみついているものを手放しなさいと伝えています。身体も怪我をすると、その場所のまわりに筋肉が集中し、固まってしまいます。恐れのために、また安定を得ようとして、逆に無意識にしがみついてしまうのです。心にも同じことが起きています。(日本の神様カードより引用)
なるほど・・・・
私的にはズバリのメッセージが来たなと思います。
人は誰でも自分の持っている何かにしがみ付きたいものです。それは恐れから来るもの。
霊能や霊感も同じと思います。その力を持つ、又は手に入れることによって、人との違いということに自分の居場所を求め安定しようとしているのかも知れません。
そうなると、他と比較したり、人からの評価を求めたりしてしまうかも知れませんね。ただそれは、ただの自分の力の誇示だけと思います。
もしその力が与えれるならば、そこには意味があると思います。きっとその力を持って自分が成すべきことがあるのでしょう。
そう考えたら、自分の力の誇示など無意味なもの。与えられた自分の力の本来の意味を知り成す。それはきっと自分自身へもどるということなのでしょうね。
恐れからの力の誇示を捨て、自分自身へ戻りましょう
そこには恐れの世界は無いと思います
本日もお読み頂きありがとうございましたm(_ _ )m
Kazama


