2016年DUCATI90周年イヤー 1926~2016: 魅力に満ちた90年の歴史③ | DUCATI東名横浜ブログ  

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2016年は特別な年。

アドリアーノ、ブルーノ、そしてマルチェッロ・カヴァリエリ・ドゥカティの3兄弟が、父アントニオからの支援を得て夢を実現し、1926年7月5日にドゥカティ社を設立してから90年になるのです。



灰から生まれたクッチョロ

1930年代大発展を遂げたドゥカティですが、不幸なことにイタリアはやがて第二次世界大戦の痛みを経験することになります。


戦闘、停戦、そしてレジスタンス運動はドゥカティをはじめとする数多くの会社に打撃を与え、1944年10月には工場が破壊されてしまいます。

第二次世界大戦の影響により、ボルゴ・パニガーレの工場が壊滅的な被害を受けます。

それでもドゥカティ兄弟は大戦中、終戦に備え国際市場向け新製品の研究・開発を続けていたのです。

1946年には二輪車の歴史に新しい一章が書き加えられました。
1946年9月ミラノ見本市会場、そこに現れたのはクッチョロ:のちに世界で最も有名となる、自転車用補助エンジンです。


始めは自転車取り付け用としてケース売りされていましたが、すぐ後トレントのカプローニ(Caproni、航空機分野でも有名)社製でカペッリーノの特許に基づくフレームが採用されると、間もなくクッチョロは本物のミニチュア版モーターサイクルとして登場します。

クッチョロがもたらした成功により、ドゥカティブランドはメカニカル分野においても確固たる地位を築くことになります。すべては4ストローク原動機付き自転車「クッチョロ」から始まったのです。クッチョロはイタリアで大人気を博し、新たな歴史の誕生を代表する製品となりました。


時をさかのぼること僅か。
第2次世界大戦中期、その名をアルド・ファリネッリというひとりの開発者が、自転車用補助エンジンの試作モデルを造り上げた。

4ストローク、2速ギアの採用により極限までその性能を引き出すことができたという点において、ファリネッリのエンジンはどのライバルのものにも勝っていた。

シアタ社は以前の工場が大戦中に被害を受けた後、トリノ市レオナルド・ダ・ヴィンチ通りに新工場が完成した大戦直後の1945年5月、クッチョロと共に事業再開に成功する。

1945年のトリノ・ショーで披露されたクッチョロは、雑誌モトチクリズモの1945年7月26日号の記事で、S.I.A.T.A製マイクロエンジンとして紹介され、次のような見出しが付けられた:「クッチョロ、トリノに現る」。

そしてタイプ1モデルの販売から数ヶ月が過ぎ次々と注文が入る中、S.I.A.T.A.だけでは需要に生産が追いつかないだろうことは誰の目にもすぐに明らかになった。

ここにボローニャのドゥカティが登場する。エレクトリックラジオや精密機器の分野においてその前衛的製品が既に高い評価を受けていたドゥカティは、1945年クッチョロの製造という新分野に乗り出し、その製品に関する全ての権利を得ることを決断した。

こうして1946年3月に開催されたミラノ・ショーで発表されたのが、"S.I.A.T.A."向けOEMタイプ1エンジン、クッチョロ最初の10台であった。


同じ年、ドゥカティは自社初のオリジナルプロジェクトとなるT2を送りだす。T1から強い影響を受けながらも、T2では効率化と耐久性向上のための顕著な改善点がいくつも取り入れられていた。特に構造ロジックにおける改善は大きかった。例えば、シリンダーは交換可能なように設計し直され、駆動系での作業性が改善された。シリンダーヘッドへも変更が施され性能向上を実現している。また当時としては全く近代的であったシングルフレームにより、フロント・リアサスペンションはどちらも驚くほど柔軟だった。吊り下げ式エンジンに、さらにはフレームから独立したサスペンション機構を持つ頑丈で便利な荷台まで用意されていたのだ。
そしてドゥカティは最大出力2馬力、最高速度60km/hに到達するT2スポーツバージョンを市場に投入した。

クッチョロ


1947-1948年の2年間にクッチョロは一日約240台を生産するまでになっていた。そしてジョバンニ・フローリオ指揮の下、1948年遂にドゥカティ独自開発によるT3の生産が始まった。初代クッチョロの遺産を継承しながらも、T3は3速ギアとクランクケースに収められたグリース潤滑のバルブを搭載していた。1949年、戦時中航空機メーカーとして活躍したカプローニがリアサスペンション搭載専用パイプフレームを開発する。この年の夏にはカプローニ製フレームに更なる改良が施され、新生クッチョロT3を搭載するに相応しい真のバイクフレームが出来上がった。このDucati 60は"小型バイク"として登場することになる。


1年後に登場した排気量65cc、"モノクロス"式スイングアームとダブルショックアブソーバーを搭載する60のスポーツバージョンは、ドゥカティがモータースポーツでも活躍できる可能性を示すモデルとなった。また約100km/リットルというクッチョロが誇る低燃費性能もまた特筆すべきでものある。





クッチョロの登場、ドゥカティ兄弟が会社の舵取りを行っていた時代の終焉(1948年)により、ドゥカティはモーターサイクルに対する取り組みを強化します。

1954年、同社は「ドゥカティ・エレットロ・テクニカ」「ドゥカティ・メカニカ」に分割され、後者には現代のドゥカティに至る道筋を敷いたファビオ・タリオーニを迎えました。

DUCATI90年の歴史 1940年代