昨晩、この夏2度目の鮎をご馳走になりました。

その釣り師は以前から何度も「いつか食べさせてやる」と宣言されており、

前回は少し小ぶりなものをいただいたのですが、

昨日お昼の休憩中に電話があり、いささか興奮気味に

「今夜あいとるか?」と。

急遽、持ち込みで焼いてくれるお店に予約を入れました。

 

そこの大将の作る姿焼きはとても見事で、

最小限の塩で大変美しいヒレと、

今にも泳ぎ出しそうな姿を造形されるのです。

 

今回は4匹獲れたとのことで、2匹焼いていただき、

残りは大将に差し上げたようです。

 

その中で一番大きなものと一番小さなものを焼いてくれとリクエストされ、

今回も美しく焼きあがった2皿が運ばれてきました。

 

配膳係は当然、大きな方を釣り師に、小さな方を私に配置したのですが、

釣り師は「両方そっちに置いて」と(笑)。

いや、食べますけどね(笑)。

はい。2尾の美しい鮎をどちらも一人でいただきました(笑)。

 

父の故郷が飛騨高山なので、川魚は昔から親しんでいましたが、

街で食べることはありませんでした。

スーパーに並ぶ小さくて高価な鮎はあまりおいしそうに見えないし、

ガスコンロでは美味しく焼けません。

 

「川魚は山で獲れたてを食べるもの」という固定観念をもつ私にとって、

こんな平地(街)で鮎を、

しかもこんな鮮度が良いものを、

しかも正しい焼き方

(外はバリっと中はしっとり。串で立てて焼かないとできませぬ)

で美しい姿になった鮎を食べられるのは、

お屋敷でシャトーブリアンを銀のフォークを使って

いただくのに匹敵するくらいの贅沢です。

 

そんな鮎を私ってば、正式な作法でいただくので、

その姿はあまり人様にお見せできません。

 

私にとって川魚の正式ないただき方というのはですね、

つまり両の手でかしらと尾をつまみ上げまして、がぶりといただくのです。

 

まあつまりなんというかヒグマが鮭をいただいている姿に酷似しておりますの。

 

最初に背びれとかしらの間に一口目。

そして背びれを食べて口の中に塩分を蓄えてから、

おもむろに鮎の中のごちそう部位、ハラワタに参ります。

お口に残る腹骨は指でつまんでお皿の縁に。

あとは余すところなく尾ひれまでいただきます。

お皿の上にはかしらと背骨と腹骨以外何も残りません。

囲炉裏があれば、背骨もあぶっていただくのでありますが…。

 

このような儀式で2尾とも美味しくいただきました。

 

よく鮎の姿焼きをお皿の上で無残に平たく押し伸ばして、

首の骨を折り、尾ひれからキレイに背骨を引き抜くという

芸を披露される方がいらっしゃいます。

とてもお上品だと思いますが、私の食欲がそれを待てません。

ああ、鮎を食べるとお山が恋しくなります(名古屋育ちのはずですが)。