「あきらめる」という言葉を前向きにとらえられるようになったのは

自分が「イケイケどんどんの近日点」を越えた頃からと記憶している。

 

それまでは自分に対しても他人に対しても

「それがあたりまえ」「こうでなくちゃ」「そうあるべき」を

押し付けていたような気がする。

 

そこから少しでも外れると「怒り」がこみあげてくる。

どうしてできない! どうしてそうなの!

おかしいでしょ! 謝って!

と、大なり小なり怒っていた。

自分にも他人にもPCにすら。

 

「あたりまえ」という言葉をあたりまえに使っていた。

今から思えば感謝知らずの子供だった。

 

「何もかもが有難いこと、できたのはただの偶然」

と思えるようになってからは

「あたりまえ」とほとんど出会わない。

 

あきらめることは

受け入れること。

「ああ、そうだよね」と、心静かに

ありのままを受け取ること。

 

そうすると

いままでそういう事象に出会わなかったことに

感謝できるようになる。

それをしなかった人に感謝できるようになる。

今、起きていることよりも、感謝のベクトルの方が大きくなる。

だから怒りは湧いてこない。

結果、心が安らかでいられるようになった。

 

若気の至りで勘違いしていた「万能感」

(言い訳…PCでデザインなんかしてると勘違いしやすい傾向アリ←オマエだけだって!)

を失った代わりに

これを手に入れることができた。

年を経ることって、恵みだなあ。沁み滋味。

 

え?

年の瀬で頭おかしくなったのかって?

いやいや、ちょっと前に誤配の記事が続いたでしょ?

 

実は大晦日の今朝も、誤配未遂があってさ(笑)。

ピザの(笑)。

ピンポーン鳴ったから玄関出たら誰もいない。

下階段に向かって「はーい!」って叫んたら、上階段から

外人の配達員さんがヒョッコリ顔出して

「ゴメンナサイ、マチガエマシター」って(笑)。

 

そう、★-★03へのピザがウチ★-303に届くところだったのよ。

もうね、あきらめるのよ(笑)。

あそことウチはそういう認識されちゃう関係だって。

これから何かあったらまずあそこに確認に行ってもらう。

それでいいのだ(笑)。

 

あ~、ピザかぁー…。沁み滋味