先日、息子の入学式とセットで

渋谷のルーベンス展に行ったことは書いたけど もう少し書き残しておこう。


二人して 慣れないスーツに、靴、ヒールを履いて

(この時点で二人共かなりのストレス)


午前中に親戚に挨拶、

そして入学式会場へ小旅行…。

閉式後すぐに秋葉原。

この時点で二人共かなり足にきていた。

息子などは、初めてのフォーマルシューズで

息苦しそうですらある。


今までだと、不機嫌さ不愉快さを隠そうともせず

仏頂面になったものだ。


せっかくの再会、そうまでして付き合わせることもない。

もしかしたらルーベンスは見られずに終わるか…と覚悟したのだが


今回の息子は違った。


会場に入る前にカフェで休憩し、ケーキを2つ平らげると

驚くほどサクサク歩き出した。


入口に入ると、まずルーベンスの自画像が出迎えてくれた。


ち、近い!

普通に触れてしまうじゃないかというほど近すぎる展示にびっくりした。


筆致がくっきりと見られる。

これは嬉しい。


大塚美術館はゼロ距離だし、写真もOKだけど

いくら近づいても見えないのだ。そこまでは。



近づいて、また 遠のいて、何度も味わう。


息子も思ったよりもずっと真剣にかじりつくように見ている。


映像デザイン選択ではあるが、これからデッサンの授業などもあるのだし

と思って、連れて来たのもあるので

時々、偉そうに解説したりしながら歩く。


描くことは、見ること、見ることは理解すること。

反射光がいかに空間や奥行を表現するのに大切か。

影の色がところによって違うのはなぜか。

光や、大きさのコントラストの表現はどうか。

写真との違いとはなにか。

空想をリアルに再構築するには現実のルールを知らなければできない。


などなど、今まであまり二人の話題に登らなかったことをたくさん話せた。


思えば息子は小さい頃からゲレンデにばかり行っていたので

一緒に絵を見に行くということがほとんどなかったのだ。


気が付けば、閉館までの90分をあっというまに使い果たしていた。


一冊2500円の分厚い図録やポストカードを前に

本物を今見たばかりの目にはとても鑑賞に耐えない再現性が会話に。

「何でRGBにしないのか?」と息子。


RGBとは、レッド、グリーン、ブルーの 「光」 の三原色。

パソコンのディスプレイなどに使用される色の制御ルールだ。


そして、印刷物に使用されるルールはCMYK

青、赤、黄の 「色」 の三原色に黒を足したもの。


パソコンのディスプレイもそれぞれに色の再現には限界があり

ナマを目で見た通りのものは表現できない。

(正確に言えばタッチ、色段階の表現に限界がある)


そして、それを印刷インキで再現するのはさらに限界がある。


簡単に言えば、

いくら明るい光を表現しようとしても

紙の白さ以上には表現できないということだ。


そして、本来なら三色で表現できるはずの黒に、

もう一つ、「黒」を上乗せしなくてはならないことで分かるように

色の最終地点である黒の表現にもインキには限界があるのだ。


だから、画像ソフト上で編集するときには

最終的な用途によってRGBかCMYKに振り分けるのだ。

印刷物にするものをいくらRGBで綺麗に編集しても

それは印刷物となった時には反映されないのだから。


と、息子からの思わぬ初歩的な質問に応えてルーベンス展は終わった。







小さい子のお母さんたちへ


まだ子供には早いとか思っても、ちゃんと静かにしていられる歳になったら

たまには美術館に連れて行きましょう。


絵がわかる、わからないではないのです。

そういう習慣をつけてやることが人生を豊かにするかもしれないのです。


ケーキを食べに行くのと同じように

絵画を見に行く。


映画を見に行くのと同じように

絵画を見に行く。


絵がわかる、わからない などというのはくだらないことです。

わかるという人に聞いてみるといいです。何がわかるのですか?と。


そんなものは描いた本人と、見る人との相性です。

いいなと思えばいいんです。

「イイネ!」ボタンと同じです。


そうして絵画を楽しむ人口がもっと増えれば

名古屋飛ばしに歯止めをかけることにもなるんですから。


(まあそうしたら、わざわざ息子と東京で絵を見ることもなくなるけど…)

いや、そうじゃなく、


絵画を見ることで音楽の感性が育つかもしれない。

絵画を見ることで歴史に興味を持つかもしれない。

絵画を見ることで科学に目を向けるかもしれない。

絵画を見ることで異文化にデジャヴを感じるかもしれない。


子供の中で、何が何の種になるかわかりません。

子供に好き嫌いが生まれる前にできるだけたくさんの体験をさせてあげる。

これはきっと子供の引き出しをたくさん作る準備になると思います。


私の子育てはもはや最終段階になってしまいましたが…。


子供と親が一緒に過ごせる時間は決して長くはありません。

どうか、一日しかない今日を子供とともに存分に味わってください。