昨日は、午後3時間ほど、同級生に恒例のお茶教室をやってもらった。

前回に引き続き、本来なら個人では借りられないお茶室を

彼女の超法規的措置により制圧。ありがたいことでごわす。


そして、心配していた胃もたれは、まったくなかったよ。

濃い目のを2杯飲んだんだけどね。もちろんお饅頭も2個(o ̄∇ ̄o)♪


それにまったく見合わないダメダメ生徒で申し訳ないんだけど、

こんな機会は次、いつあるのかも知れないので

五感でしっかりと味わってきた。


このところ、息子にかまけてお抹茶を入れることもなく過ごしてきたので

割り稽古もできておらず、何もかもが不安だった。


でも、二回目には何とか流れが身体に入ってきた。

ざわざわしていた気持ちも落ち着いて、

炉から漂う炭の香りに気がついた。


んーーーー、これ、何かを思い出すんだけど

何なのか分からない。


そんなこと彼女と話してて「豆炭(まめたんと読むんですよ、若い衆)」

と、豆炭アンカの話になった。


アンカというのはですね、まあ湯たんぽと同じですわ。

寝るときに足元に入れる暖房器具ですよ、知っとるかのう若い衆。


ネルが貼り付けられた金属製の箱の蓋を開けると

中に開閉できる筒が宙吊りになるように固定されている。

その筒は小さなパンチングが開けてある。


これを開けて、そこに熾(おこ)した豆炭を並べて筒を閉じ

アンカの蓋も閉じて出来上がり。


私の記憶の中ではこのような作業を母がやってたように思うのだけど

間違ってるかしら。現物とどこかで再会したいなあ~。

記憶があまりにも曖昧でモヤモヤする。いや、模糊模糊する。


子供の頃は、お風呂も裏で薪をくべて沸かしてた。

母が火の番をする間、よくその横にひっついて

燃える炎を見ていた覚えがある。


昔はこんなふうに、ナマ火、本火を家庭内で見る機会があった。

ガスが燃えるのとはちがう、もっと原始的な火。

どうしてだか、これを見てると心が落ち着くよね。


娘がまだ小さい頃は、今みたいに自然保護が厳しくなくて

行く先々で焚き火とバーベキューと二つセットの炎を熾したものだった。


息子が生まれてからは、もっぱらインドアファイアー。

とある江戸時代の宿場町が保存されている地域に出向き、

囲炉裏のある民家を借りて宿泊するのだ。


ここには、囲炉裏、くど、風呂釜と、「炎の三点セット」があるので、

子供らは各自好きなところでお手伝いした。

ああっ、また遥か彼方に話がそれた!



うーん、でもこれらの炭の香りとは違うんだよねー。

炭よりほとんど薪だったしなー。


何の思い出なんだろうかー。思い出しそーで思い出せないー。

と、茶釜の横でふんふんふんふんやってたら

「あんまり吸い込んでると、一酸化炭素中毒になるよっ!」って叱らりた。


それにしても、茶室使用料よりも実は灰の使用料の方が高いとは おったまげたわー。

ま、そこも彼女のおかげでパスできたけど(-_-;)

炭切り、炭組、灰の扱いまで…


お抹茶の世界はまだまだ奥が深すぎてめまいがするー。


おしゃべりは、赤穂浪士とお茶の関わりにまでブッ飛んだよー。

昔からお茶頭は、政治の中核に近いところにいたから

テロルとも無縁ではないんだねー。きゃーっコーフンする!


いやいや、お点前中はおしゃべりしないようにっ!