大阪市立桜宮高校のバスケット部で、体罰の結果(か?)

自殺者が出た件で、体育科の募集がなくなるかもしれないそうだ。


私は、体罰というものを子供が記憶しているような年代になってまで

行使すること自体、すでに大人側の敗北だと思ってる。


本来、犬や猫同様、言葉では通じない相手に使う手段だ。

しかし犬猫でさえ、威嚇にとどめたり、ジェスチャーで済ますのが普通なのだ。



言葉がわかるようになれば、言葉で諭すのが、万物の霊長とかいう人間としは筋だろう。

それができない、稚拙な指導者が体罰に走る、すがる、頼るのだ。


しかし、それは支配であって、教育ではない。

うまくいって、指示待ち人間型ロボットができあがるだけだ。


どんなスポーツをやっていても、ダメな指導者というのはどれも同じ。

「なんでそんなことができないんだ!」これを言う奴はゴミコーチ。

自分の指導方法欠如を生徒に責任転嫁しているだけ。無能なのだ。



さて、これだけ言えば、私が決して体罰を肯定しているわけでないことは分かっていただけたかと。


それを踏まえたうえで、あえて死者を鞭打つ。




この自殺した生徒は、進路に有利となるようにと目論んで

自らキャプテンに立候補したという。


近頃はこういうのはよくある話のようで類似ケースに


親がPTA会長を買って出る。(ありましたな、元PTA会長かさに着て息子がいじめ殺人)

ボランティアで点数稼ぎ。

生徒会長で点数稼ぎ。    などなど…


そのサラリーマン的涙ぐましい努力、あえて言おう。


みみっちい! 姑息!

スポーツマンシップに もとる!


また、同じ大人の立場から顧問に対してもの言えば、

たとえ立候補したといえども、大きな大会を目指しそのために体罰をも辞さぬ

と言い切るぐらいなら、顧問がその適性を見極めるべきだろう。


入部して突然立候補ではないのだから、顧問が真面目に仕事をしていれば

誰がキャプテンになって然るべきであるかぐらいは当然見当が付いているはず。


立候補してきたからという理由を「本人の意思を尊重した」などという美辞麗句で

ごまかすのは、極めてずるいと言えるし、


体罰でもって大会への出場を掴み取る、つまり目的のためには手段を選ばない

という指導方針とあまりにも乖離している。



キャプテン


それは船のキャプテンと同じく、

メンバーが乗った船をどこへどう導くかという重責を一身に担う者の名前だ。


決して、就職や進学に有利だからなどという

我田引水のために名乗り出てよいような種類のものではない!

断じて、ない!



彼の行為は、キャプテンという名を名乗ったことのある人、全てを冒涜している。


高校生のうちからこんなことでどうする。

今の高校生はこれが普通なのか? そうは思いたくない。


皆から支持されて、あるいは顧問からの指名により、不本意ながら重責を背負わされ

陰で悩み、泣きながら頑張っている人たちを何人も見てきた。


動機が不純だから、挫折も爽やかでなかったのだ。

親御さんの悲しみを度外視して言えば、これは思春期特有の自爆だ。

自分の描いた企みが自分を傷つけ、その先の未来すべてを自ら閉ざしてしまったのだ。



彼の自爆のせいで、この高校の体育科を目指していた子供たちの希望は断たれるかもしれない。

この責任は、体罰を行った顧問やそれを容認してきた大人たちだけのものだろうか。


分かりやすい体罰だけが耳目を集めているが、この件は私にとってそんなに単純構造ではない。

セーラー服の自分が私の中で憤っているのだ。


スポーツ以外の目的で、部活が利用されている。

卒業後の進路とか、顧問の出世とか… 汚らわしい!


純粋にスポーツでしか努力できない子供たちが世の中にいる。

誰もが同じように勉強で平均点ぐらい取れるだろうというのはある意味逆差別だ。


人それぞれ、キャパシティは違う。それが個性であり、むやみに「ならす」べきものではない。


そして、子ども達の 個性、可能性 は、大人が伸ばせるような ちゃちな代物ではない。

大人にできるのは、せいぜい芽を摘まないことぐらいなのだ。


野菜でも、化学肥料で育ったのは、育ちは早いし大きくなるが、すぐ腐る。人間も同じ。


子供の数の方が圧倒的に多い、学校という異質な空間で

歪んだ万能感を持つ教師が、「子供を伸ばす」などという思い上がりを抱く。


そして、子どもが伸びようとする方向と、自分か伸ばしたい方向が違うと暴力を振るう。

体罰の本当の姿なんて、こんなものだ。


たとえ育ちが遅くとも、自分でひとつずつ納得して進むことを覚えなければ人生は危険だ。

大人に都合の良い素直なよい子に育ててはならない。



下心があってもなくても、思春期は心がとっても不安定。

ほんの少しのことで死を選んでしまうこともある。

そう言う意味で言えば、子供の自殺は全て事故とも言える。


どこかに理由を見つけたい大人たちが後から理由をこじつけているだけかもしれない。

とにかくこの件に関しては、私は体罰だけにクローズアップできない。



部活に部活以外の意味を

持たせたのは いったい誰だ!


犯人がいるとすれば

間違いなく そいつなのだ。