愛情と執着は違うのだ。

というと、それでおわっちゃうんだけどさ。


愛は突き詰めると「手放し続けること」だと思う。

与えて与えて、与え続けて、そして与えたことを記憶しておかないこと。


美輪明宏さんの言うところの「無償の愛」ってやつですね。


与え続けて 恩に着せず 

その見返りに仕打ちを受けても恨み言を言わず…


そんなことが普通の男女間で可能とはとても思えないけど。

だけど、それが多分「愛」なのね。

菩薩様にでもならなきゃ無理だわよ。



そしてどうやら 恋は奪うものらしい。


相手の時間を奪う。

相手の自由を奪う。

相手の収入を奪う。


うわ…恐ーい。何が楽しいのやら…。


束縛、拘束されることを、自分を必要とされていることと勘違いし

執着されることを、自分の価値にすり替える。


つまり勘違い能力が高いことが恋愛能力ということなのかな。


そもそも恋はするものでなくて「落ちる」ものらしいから

落ちる前に穴ぼこに気づいてしまうようでは恋はできないということになるな。


うーん、遠く離れて俯瞰してみると、恋愛ってそういうことだったんだろうか。

と、すでに過去形だし、あまりにも遠く離れすぎてよく見えんが…(-_-;)



あら脱線してるわ。


友人曰く

「帰ってくることが前提になってないと『浮気』って言葉も使えないよね」

至言ですな。


行ったままなら、本気だったってことでー…。ご愁傷様です。




人を支配する方法は大きく分けると二つだそうで


一つは恐怖で縛ること。

罰則意識で浮気を裁くのはまさにこちらね。

「今回は許すけど、今度やったら殺すわよ」とかさ… おっかねー。


そしてもう一つは、愛されること。

愛される存在であり続けることで、相手の自由を奪うという逆説的方法ですな。

その存在を喪失する恐怖で相手を縛るともいえるかも。



さてあなたはどちらを選ぶ?


私はどっちもイヤ。

その時その時自分にとって必要な相手を自由に選択したい。

歴史の共有なんてものが実はかなり幻だってことを学んだから。


せっかくこんなに長い時間を費やしてきたのにっていう

投資家的思想で自分の人生を縛るのはイヤ。


常に新しくならなければ朝を迎える意味がない。


積み重ねることも大事だけど、

積み重ねたことを忘れることも同じぐらい大事だと思うから。



「浮気」なんて恐ろしい言葉から自由になりませんか?

人を縛ることで自分を縛ってることに気づきましょうよ。


精子も卵子も「結婚の誓い」なんてしませんよ。

浮気できないもん。誓う必要がない。


誓いを立てるものを信じるなんて不毛なことをやめましょうよ。


私なんか、昨日の自分も明日の自分も信じられないもん。あははははー。



そんなこんなで、よく「自由でいいね」とか「自由奔放だよね」などと

言われたりするけど、

実際には、相手のバックグラウンドとか考えちゃったりすると

あれもダメ、これもダメと、どんどん候補は減っていき


さらに、ここまではいいけど、この先はやっぱりダメとかなっちゃって

なかなか思い通りになんかなっちゃあ いかないのよ~。


自由思想と、モラルがないこととは同じじゃないですからね。


はあ、残念。そこまで突き抜けてみたいものよのう。