遺伝子交換作業についてはやはり相手が特定できないと

今の社会システム上、様々な禍根を残すことになるので

できるだけ相手が明確である方が望ましいことはわかる。


子供が独り立ちするまで営巣を継続していく必要性もある。


それらが関わらないのに浮気が裁かれる理由はなんだろう?


資産の分散という危険性が考えられるね。



もしも貴方が、中世の王様ならば

あっちこっちに子種をまきちらして

血の絆で結ばれた庶子でもって

最強の一個師団、一個旅団を作るのは 

ほぼ、王の務めの範疇だろう。


だが、庶子にはそれなりの地位と名誉と財産を

分け与える必要があるのだ。


それだけの財力がなければ、

いたずらに王権を揺るがす火種を撒き散らしたことにしかならない。



一夫多妻制とかハーレムはどうかしら。

こちらも建前としては複数の妻に同等の愛情と待遇を受けさせる義務があるらしい。


過酷な自然環境下で、

卵子が精子と出会う機会をシェアし、


貧富の差が激しい社会で

受精卵キーパーに安定した生活を保証するために

最適化されたシステムかもしれないとも思う。


そこに彼女たちの人権が保証されているかは別としてだけど。


一人のオスを複数のメスでシェアする。

古くからあるシステムだけど、そんな風に考えると

ちょっと新しいカンジがする。


私はこれが相互にシェアし合う社会が理想なんだけどな…。


だって人がその時々に求めるものは刻刻変化していくものでしょう?


10代、20代に求める相手と


40代、50代で求める相手が同じであることの方が

どう考えても希少じゃないのかなあ。


結果として同じ相手で一生うまくいったなら、

それはたまたまお互いの成長曲線が同じベクトルだった

稀に見る奇跡的なことなのではないかしらん。


あるいは、沿わなくて当たり前と達観した結果か。



人は孤独から逃れるために他人と自分とを同化させたがる習性があるらしい。


余談だけど、女子同士がやたらと会話の中に「それおんなじーっ」「私も私もーっ」

とやってるのは、「私はあなたと同類よ、敵ではないのよ」

というメッセージを送っていてるのだと思うわ。


彼女と彼氏、あるいは夫婦として相手を認識した時点から

お互いの境界線を侵食し合うのが愛だと錯覚してしまう場合がある。


時間を共有、趣味を共有、友人関係を共有…。

そうしているうちに、自分と違う方向を見ている相手に不安を覚える。

そして、「僕だけをみていてほしい」とか

「私しか見ないで」みたいな発言が…

「私と仕事、どっちが大事なのよっ」てのもこの仲間かな。


いくらチョコレート・パフェが大好物でも

たまにプリン・ア・ラ・モードを食べたくなる時だってある。


そんな時に、

「そんな裏切りは許さない。

ちゃんと今日もチョコレート・パフェを食べなさいよ」

などと言われたもんなら、私なら、確実にプチ切れるわね。


浮気なんてそんな程度のことだろう。


もちろん、私がこう考えるからといって

私に嫉妬心がないわけではない。


というより人一倍嫉妬心は強いと思う。


でも、それと相手の行動を規制するかどうかは別物だ。


私は 人からああせえこうせえ言われるのが 死ぬほど嫌いだし

人にああせえこうせえ言うのも ものすごく嫌。


私は命の次に自由が大切なので、

孤独と嫉妬と貧乏は縁の切れない一生のお友達なのだ。


これはもう諦めるしかないのよね。


でも、もし浮気をされたとしても、それを

「裏切り」などという言葉にすり替えない程度のプライドは持ってるつもりだわ。


「自分だけを見ていてほしい」なんて、

よほど自分に自信があるのかしらね。


自分ひとりのコンテンツで、

一人格ある相手の一生を満たす自信がなくちゃあ言えないわよ私は。


君のお母さんじゃないんだからさ


楽しくなきゃ、他に目が行くし、

構ってくれなきゃ、他に構ってもらうし

おごるよりはおごられたいし、

学ぶことがなければ、他で学ぶわよね。

これってフツーの人間の権利じゃないのかしらん。


なぜそれを「裏切り」などという卑劣な言葉で裁かれなくてはならないのか。

すごくおかしいことじゃないかしら。


人生は取捨選択の集大成で出来ているのよ。


再び選ばれたければ、それなりの努力をしなくては。

男女も大統領もね。


裏切っただなんだと青筋立てて暴れてるところに

舞い戻ってきてくれるのは


駄々っ子とお母さんの間柄だけよ。



なんかまだ言い足りないことがあるみたいだから、

さらにつづいたりする。予定。