しつこく書いてた がんの記事が その前に書いてた「原発」と繋がっちゃった

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ラッセル=アインシュタイン宣言

http://www.pugwashjapan.jp/r_e.html


とても素晴らしい宣言なんだけどさ、

57年前に出された、これのね、「紛争」「爆弾」「戦争」「争い」っていう言葉を
「原発」とかに置き換えちゃうと、そのまんま今の状況で通用しちゃうんだよね。


世界の名だたる科学者たちが宣言して半世紀以上経ったのに
未だに実現できていないどころか、


彼らの思っていた「平和利用」としての原発も
しっかり該当する事項になってる。


しかも、今のところ自爆ばっかしですけど
平和利用のはずの原発が爆撃のターゲットになれば、
そのまんま核兵器になってしまう…。


これはあくまで抜粋です。ちょっとしか端折ってないから
どうせならURLで読んでみてね。 
悲しくなるから。



引用ここから-----------------------------------------


人類が直面している悲劇的な情勢の中、科学者による会議を召集し、
大量破壊兵器原発開発によってどれほどの危機に陥るのかを予測し、
この草案の精神において決議を討議すべきであると私たちは感じている。



私たちが今この機会に発言しているのは、

特定の国民や大陸や信条の一員としてではなく、
存続が危ぶまれている人類、いわば人という種の一員としてである。



世界は紛争にみちみちている。そこでは諸々の小規模紛争は、
共産主義と反共産主義との巨大な戦いのもとに、隠蔽されているのだ。


政治的な関心の高い人々のほとんどは、

こうした問題に感情を強くゆすぶられている。




しかしもしできるならば、皆ににそのような感情から離れて、
すばらしい歴史を持ち、私たちのだれ一人としてその消滅を望むはずがない
生物学上の種の成員としてのみ反省してもらいたい。


水爆戦争原発大規模事故になれば大都市が跡形もなく破壊されてしまうだろうことは疑問の余地がない。
しかしこれは、私たちが直面することを余儀なくされている小さな悲惨事の1つである。
たとえロンドンやニューヨークやモスクワのすべての市民が絶滅したとしても
2、3世紀のあいだには世界は打撃から回復するかもしれない。


しかしながら今や私たちは、とくにビキニの実験以来、
核爆弾はこれまでの推測よりもはるかに広範囲にわたって
徐々に破壊力を広げるであろうことを知っている。


信頼できる権威ある筋から、現在では広島を破壊した爆弾の
2500倍も強力な爆弾を製造できることが述べられている。


もしそのような爆弾が地上近くまたは水中で爆発すれば、
放射能をもった粒子が上空へ吹き上げられる。


そしてこれらの粒子は死の灰または雨の形で徐々に落下してきて、
地球の表面に降下する。日本の漁夫たちとその漁獲物を汚染したのは、この灰であった。


そのような死をもたらす放射能をもった粒子がどれほど広く拡散するのかは誰にもわからない。
しかし最も権威ある人々は一致して水爆による戦争は
実際に人類に終末をもたらす可能性が十分にあることを指摘している。


もし多数の水爆が使用されるならば、全面的な死滅がおこる恐れがある。
――瞬間的に死ぬのはほんのわずかだが、


多数のものはじりじりと病気の苦しみをなめ、肉体は崩壊してゆく。


著名な科学者や権威者たちによって軍事戦略原発政策上からの

多くの警告が発せられている。
にもかかわらず、最悪の結果が必ず起こるとは、だれも言おうとしていない。


実際彼らが言っているのは、このような結果が起こる可能性があるということ、
そしてだれもそういう結果が実際起こらないとは断言できないということである。


この問題についての専門家の見解が彼らの政治上の立場や
偏見に少しでも左右されたということは今まで見たことがない。


私たちの調査で明らかになったかぎりでは、
それらの見解はただ専門家のそれぞれの知識の

範囲にもとづいているだけである。
一番よく知っている人が一番暗い見通しをもっていることがわかった。



さて、ここに私たちが皆に提出する問題、きびしく、恐ろしく、
おそらく、そして避けることのできない問題がある――



私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争原発を放棄するか?
人々はこの二者択一という問題を面と向かってとり上げようとしないであろう。


というのは、戦争原発を廃絶することはあまりにもむずかしいからである。


戦争原発の廃絶は国家主権に不快な制限を要求するであろう。


しかし、おそらく他のなにものにもまして事態の理解をさまたげているのは、
「人類」という言葉が漠然としており、抽象的だと感じられる点にあろう。
危険は単にぼんやり感知される人類に対してではなく、


自分自身や子どもや孫たちに対して存在するのだが、
人々はそれをはっきりと心に描くことがほとんどできないのだ。


人々は個人としての自分たちめいめいと自分の愛する者たちが、
苦しみながら死滅しようとする切迫した危険状態にあるということが

ほとんどつかめていない。


私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、
幸福と知識の絶えまない進歩がある。


私たちの争い便利な生活を忘れることができぬからといって、

そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか?


私たちは、人類として、人類に向かって訴える


――あなたがたの人間性を心に止め、

そしてその他のことを忘れよ、と。

もしそれができるならば、

道は新しい楽園へむかってひらけている。


もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている






決議


私たちは、この会議を招請し、

それを通じて世界の科学者たちおよび一般大衆に、
つぎの決議に署名するようすすめる。


「およそ将来の世界戦争においては必ず核兵器が使用されるであろうし、
 そしてそのような兵器が人類の存続をおびやかしているという事実からみて、
 私たちは世界の諸政府に、


 彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、
 このことを公然とみとめるよう勧告する。


 したがってまた、私たちは彼らに、

 彼らのあいだのあらゆる紛争問題の解決のための
 平和的な手段をみいだすよう勧告する。」





1955年7月9日 ロンドンにて


マックス・ボルン教授(ノーベル物理学賞)
P・W・ブリッジマン教授(ノーベル物理学賞)
アルバート・アインシュタイン教授(ノーベル物理学賞)
L・インフェルト教授
F・ジョリオ・キュリー教授(ノーベル化学賞)
H・J・ムラー教授(ノーベル生理学・医学賞)
ライナス・ポーリング教授(ノーベル化学賞)
C・F・パウエル教授(ノーベル物理学賞)
J・ロートブラット教授
バートランド・ラッセル卿(ノーベル文学賞)
湯川秀樹教授(ノーベル物理学賞)