私、対象を信頼することと
観察・評価を放棄して思考停止することとは
絶対に別物だと思ってるわ。
だけど、実際には混同してる人が多い気がする。
先日、騙されやすい人についての記事を読んだの。
http://youpouch.com/2012/09/03/80024/
ここから----------------------------------------------------------
研究者たちはまず、脳障害を持つあらゆるタイプの患者の
「ある部分」を調査しました。
「ある部分」とは、感情をコントロールし物事の善悪を判断する
『前頭前皮質腹内側部』。
ちなみに『前頭前皮質腹内側部』は人間の頭の先端、
ちょうど目の上辺りにあるそうで、
その大きさはソフトボールほどだといわれています。
すると、この部分が損傷を受けている人ほど、
より人を信じやすくなる傾向にあることが判明したのです。
ここまで----------------------------------------------------------
目の上辺りの頭の先端って 第三の目 がある場所かいっ!
仏さんみたいな顔したお年寄りは、こうして出来上がるのね。
偏屈ジジイって、ある意味スゴイわー
ここでは「信じやすい」って書いてあるけど
私は「信じる」ことと「疑わない」ことは
まったく別物だと思ってるので
ちょっとニュアンスが変わってくるわね。
私はこれを 観察・評価を放棄してる と受け取ってるのよ。
信じるっていうのはもっと能動的なことだと思ってるもん。
んでね、対象について
どこまで信頼するかっていう度数みたいなのって
無意識にあると思うんだよね。
なんでもかんでも
All or Not には振り分けられないからさ。
100%信頼できなきゃ誰とも付き合わない
なんてリアリティないでしょ?
何段階評価かは知らないけど
自分の中で 「ここまで信頼する」とか
「これ以上は信頼できない」 とか あるじゃない。
だから、この人にはここまでは喋るけど
この先まではダメー。
って一応決めてるつもりなんだよね。
なんだけど、話の勢いがついてきちゃうと
気がつくとその境界線は、遥か後方に…
ちょっと、私、いつ踏み越えちゃったのよー!
みたいなことは、しょっちゅうあるわ。
それで何度も痛い目みてるんだけどさ。
なかなか治んない。
そんなことが最近もまたあったの。
その相手っていうのは…
ほぼ毎日お世話になってるこやつらのうち
上の2点。
アメリカからはるばるやってきた
ローカカオ、ローマカ、そいからドライゴジベリーもね。
何が信用ならんかって、
こやつらのパッケージのジッパーなのだ。
粉末が細かいせいか、それともジッパーのレールが細いせいか
わかんないけど、とにかく閉まりが悪いのよ。
レールに粉が挟まってるかなとか用心してるんだけどさー。
それを何度も何度も確認して閉めたつもりが、翌朝に見ると
あら不思議、開けてないのに開いてるじゃなーい!
なんてことがよくあるの。
最初に驚いたのは、届いてすぐに口を開けようと
ミシン線に沿って、手で切り取ったら
ブハッ!!って…中身が吹き出した時だわね。
つまり、ジッパー、最初から開いてたのよねー。
何だかもう、日本製だったら、ちょっとこれ何とかしてよっ
とかクレームの一つもつけてやりたいレベル。
だけど、アメリカから来てるしね。
やっぱね、お国柄的に オープンなのよ。きっと。
ちっとも嬉しかないけどさ。
だから、毎回、きっちり閉まったかどうか
しっかりチェックしてるつもりなんだけど
ついうっかりテキトーに閉めたりしてると
そんな時に限って、袋をドタッと横倒しにしたりして…
んで、だいたいそんな時って、まだあまり量が減ってなくって
…ってことは、倒れた拍子に噴出する量もハンパなくって…(涙)
ほんと、対象を評価するのも大事だけど
その評価を忘れないことの方が
実はもっと大事かもしれないという話…
ううっ (;´Д`) 私だけかしらー。
もはや自分が信用ならん。