GWに図書館からどっさり本を借りてきた。
たまには本格的な小説などを読みたいと思うのだが、結局借りてきただけ、になってしまうという言い訳シリーズ。
どうしても手軽に読めるものになりがち。
そんな中に、ライフスタイルプロデューサー(思えばスゴイ肩書だね)の
パトリス・ジュリアンさんの本があった。
タイトルは「きちんと暮らす」
その中に
タイトルの「お皿は、なぜ割れたか」という章があった。
そのとき、あなたの意識はどこにありましたか?お皿を洗うことだけに、100%注がれていましたか?目の前のことから意識をそらした瞬間、あなたの世界はふたつになってしまう。・・・・・(途中略)
大切なお皿を失わないためにできること。
それは、理由も考えずに、目の前にあることを、ただ行うこと。
あなたの人生は、常に目の前にある、それひとつだけ。・・・・・
本当は、たまたまこんな記事を書こうと思っていたのだ。
管楽器といってもトランペットやトロンボーンといったブラス系楽器あり、サックスなどの楽器もある。
もちろんすべての楽器は落っことしていいものなどあるワケないが、管楽器の中で特に精巧に作られ、その構造が、微妙なバランスで成り立っているサックスという楽器の取り扱いは、要要要注意だ。
少しぶつけただけでも、
ほんのほんのわずかの距離を落っことしても、
お金持ちの家にしかないような毛の長いカーペットの上で倒しても、
たぶん、リペア行きだ。
かつて私自身も、そして
何人もの新入生の生徒さんが、目の前で楽器を落として叫ぶのを見てきた。
その瞬間はいつもまるでスローモーションのようだから面白い。
気をつけて、といった瞬間落としてしまう。
もっと悲しいことに、リペアをして戻ってきた瞬間、また落としてしまったり、なんてことも。
そして不思議なことに、一度落とすとそれ以降よほどのことがない限りそのことを繰り返すことがなくなるのだ。
もしかしたら、落として一人前、なのかもしれない。
精神論は好きではないのだけれど、
結局、サックスという楽器が自分の景色の中にうまくおさまる、
そうなってこそ楽器と本当の付き合いができるようになるのかもしれない。
しばらくの間、様々なことに忙殺されがちな日々ではあるのだが、
サックスを手にし、ひたすら音を出す。
この有意義な練習時間は何物にも代えがたい。
もっと練習して、と。
たまには本格的な小説などを読みたいと思うのだが、結局借りてきただけ、になってしまうという言い訳シリーズ。
どうしても手軽に読めるものになりがち。
そんな中に、ライフスタイルプロデューサー(思えばスゴイ肩書だね)の
パトリス・ジュリアンさんの本があった。
タイトルは「きちんと暮らす」
その中に
タイトルの「お皿は、なぜ割れたか」という章があった。
そのとき、あなたの意識はどこにありましたか?お皿を洗うことだけに、100%注がれていましたか?目の前のことから意識をそらした瞬間、あなたの世界はふたつになってしまう。・・・・・(途中略)
大切なお皿を失わないためにできること。
それは、理由も考えずに、目の前にあることを、ただ行うこと。
あなたの人生は、常に目の前にある、それひとつだけ。・・・・・
本当は、たまたまこんな記事を書こうと思っていたのだ。
管楽器といってもトランペットやトロンボーンといったブラス系楽器あり、サックスなどの楽器もある。
もちろんすべての楽器は落っことしていいものなどあるワケないが、管楽器の中で特に精巧に作られ、その構造が、微妙なバランスで成り立っているサックスという楽器の取り扱いは、要要要注意だ。
少しぶつけただけでも、
ほんのほんのわずかの距離を落っことしても、
お金持ちの家にしかないような毛の長いカーペットの上で倒しても、
たぶん、リペア行きだ。
かつて私自身も、そして
何人もの新入生の生徒さんが、目の前で楽器を落として叫ぶのを見てきた。
その瞬間はいつもまるでスローモーションのようだから面白い。
気をつけて、といった瞬間落としてしまう。
もっと悲しいことに、リペアをして戻ってきた瞬間、また落としてしまったり、なんてことも。
そして不思議なことに、一度落とすとそれ以降よほどのことがない限りそのことを繰り返すことがなくなるのだ。
もしかしたら、落として一人前、なのかもしれない。
精神論は好きではないのだけれど、
結局、サックスという楽器が自分の景色の中にうまくおさまる、
そうなってこそ楽器と本当の付き合いができるようになるのかもしれない。
しばらくの間、様々なことに忙殺されがちな日々ではあるのだが、
サックスを手にし、ひたすら音を出す。
この有意義な練習時間は何物にも代えがたい。
もっと練習して、と。