これまで年をまたいで10回以上にわけて「ご存じ」の浮世絵について書いてきた。

それだけわからないことの多い浮世絵だが、一番の疑問は「いづ栄」なのか「山くじら」なのかに尽きる。

 

「山くじら」は古美術商のホームページに載っていて、展覧会で展示されて私も実際に見ている。

 

「いづ栄」は「旅するウナギ」といくつかのブログに載っていて、いづ栄のメニューの表紙にも使われていた。

しかし、うな繁のサイトでは「紙を貼った」と婉曲に捏造を指摘している。いづ栄の現在のサイトには「ご存じ」について全く触れていない。

 

「デジタル加工した」とか、「復刻版レベルで作成した=いわゆる贋作」なら判らないこともありえるが、「紙を貼った」というレベルなら、さすがに実物を見れば気がつきそうだ。

そのつもりで「旅するウナギ」の図版をみれば、紙を貼った境目らしき線や文字の濃淡などもある気がする。しかし書籍の図版なので確証はない。

「御ぞんじ いづ栄」部分拡大図

(「旅するウナギ」より)

 

「旅するウナギ」以降の一般に確認できる資料には「山くじら」のほうが紹介されるか、「食と浮世絵」のようなテーマでもこの浮世絵が全く扱われない状況だ。

浮世絵研究の世界ではとっくに決着しているのかもしれないが、一般には知らされていないし、論文検索にも見当たらない。

 

あらためて断っておくが、過去の誤りを掘り返して指弾するのが私の本意ではない。

 

科学的研究にも美術史研究にも間違いはつきものだ。

 

新発見により定説がくつがえるのは当たり前だし、

学術論文のデータが捏造だったとか、国宝級の美術品が実は贋作だったとかいう話も珍しくない。

(旧石器時代の石器捏造事件や、古くはフェルメール贋作事件など)

フェルメール贋作事件を扱った「私はフェルメール」

 

ウナギからして「大地のはらわた」に始まり、生態がいまだ解明されていない。

「土用の丑の日にウナギは平賀源内」という通説が文献資料の裏付けがないというのは、ウナギ文化に詳しい人は知っていても一般には知られていないだろう。

それなのにいまだに「平賀源内が「土用の丑の日にウナギ」をひろめた」と事実として紹介してるニュースが後を絶たない。

 

なれば「山くじら」と「いづ栄」のどちらかが間違いや加工であったとしても、「間違いでした」「加工でした」ですむ話だろう。

もしどちらとも本物なら、あるいはどちらかとも間違いなら、そう明言すればいい。

 

巨額の詐欺事件に関わるのでなければ、語り草になりこそすれ延々と罪に問われることもないだろう。

 

一番やっかいなのは「ウヤムヤにする」ことだ。

「実は〇〇だった歴史上の真実」という話のなかに、専門家や研究者がウヤムヤにしたために一般に間違いの通説が定着してしまった場合が少なからずある。

 

「ご存じ」が「いづ栄」であれ「山くじら」であれ、鰻屋がウナギをさばく様子を大きく克明に描写している浮世絵であること、当時の人気歌舞伎役者が三人も描かれ、国芳という有名な浮世絵師の作品であることに変わりはない。

「沢村訥升の鰻屋」は

ウナギを調理する様子をもっとも克明に描いた浮世絵のひとつだ。

そして「御ぞんじ」は3枚続きであることに意味がある

 

しかし、真偽がウヤムヤにされることで、「沢村訥升の鰻屋」という一部分だけがトリミングされて紹介されたり、この浮世絵自体が紹介されなくなってしまっているように思える。

 

それがウナギ関係者のみならず、美術・江戸文化愛好家や研究者、はては単に浮世絵が好きな人にまで大きな損失をもたらしていると私は残念に思っている。

 

世の物事全て正確でなくてはならないなどとは言わない。私の見解やこのブログの記述にも不確実な情報や間違いがあるだろう。

 

どうしてもはっきりさせたいなら私自身が専門的研究に身を投じるべきでもある。

 

それができないもどかしさを抱えつつ、さりとて疑問をひとり胸にしまっておくこともできず、こうして長々と吐露した次第である。

 

できれば私が知ることができる間に、「ご存じ」の浮世絵に関する確かな情報が明らかになることを願っている。