「ごぞんじ」には3人の歌舞伎役者が描かれている。
沢村訥升、瀬川菊之丞、坂東三津五郎だ。


前回にも書いたように、歌舞伎役者には名跡といって名前を引き継ぐ(襲名)することがある。
そのため同じ坂東三津五郎でも、時期によって役者個人が違ってくる。それを区別するために「何代目坂東三津五郎」のように呼ぶ。


また役者個人もその役者人生において何度も名前を変えることがある。
したがって描かれた時期が異なる浮世絵のに登場する、異なる名前の役者が実は同一人物ということもありうる。

「旅するウナギ」や「うな繁」の解説によれば、3人はそれぞれ
2代目沢村訥升、5代目瀬川菊之丞、3代目坂東三津五郎であるという。
しかも2代目沢村訥升は天保2年1831年11月9日に襲名したばかりで、
その年末の12月27日には3代目坂東三津五郎が死去し、
明けて1月7日には瀬川菊之丞が死去しているので、
この3人が揃って描かれているのは奇跡的タイミングであり、天保2年1831年の年末であることが特定できるという。

歌舞伎に関する文献をすこし調べてみた。
2代目沢村訥升はその後も活躍している。
3代目坂東三津五郎は天保2年年末(新暦では1832年1月)に死去しているが、明けて天保3年2月にはすぐに4代目が襲名している。
2代目沢村訥升と3代目坂東三津五郎は共演することも多く、国芳が二人を描いた浮世絵も残されている。


国芳「花舞台丹前侠客」天保6年(1835年)

左が2代目沢村訥升、右が3代目坂東三津五郎


5代目瀬川菊之丞は天保3年1月に死去している。
4代目は亡くなったあとに4代目瀬川菊之丞の名を贈られている(追贈)ので、4代目として舞台には立っていない。
6代目瀬川菊之丞は5代目の死後約100年たった1933年に襲名している。
したがって国芳と同時代の瀬川菊之丞は5代目に違いないといえるだろう。

浮世絵は写真と異なり実際に3人が揃っていなくても空想で描けるので、「ごぞんじ」が「空想上の夢の競演」である可能性も否定できないが、それを言い始めたらなにも確定できないので、いまはつっこまないでおく。

3人が存命だった時期に描かれたとするなら、天保2年年末しかなく、描かれた5代目瀬川菊之丞が新巻鮭とやっこ凧を持っている=正月の景色ということがそれを補強しているといえる。

 

参考文献

岩波書店「歌舞伎年表」昭和36年刊