5月5日の「こどもの日」(端午の節句)には、鯉のぼりを飾るのが習わしです。

最近では個人の家で飾ることは少なくなりましたが、

日本の伝統的な風物詩として親しまれていますね。

そんな「鯉のぼり」とよく似た「うなぎのぼり」という言葉もよく知られています。

今回はそんな「こいのぼり」と「うなぎのぼり」について書いてみます。

 

・「こいのぼり」について

 「こいのぼり(鯉幟・鯉登)」の由来は、中国の古典に

 「鯉が滝をさかのぼることが出来ると竜になれる」

 という逸話があり、そこから立身出世の象徴となった事だそうです。

 出世のきっかけとなる出来事を「登竜門」というのも同じ逸話を起源としているそうです。

 この逸話から、男の子の成長と出世をねがう端午の節句に

 鯉が滝を力強くさかのぼる絵(掛け軸など)を飾ったようです。

 

(葛飾北斎「鯉の滝登り」東京国立博物館所蔵)

 

また、金太郎(坂田金時)がたくましい男子の象徴となっていたことから

滝を登ろうとする鯉を金太郎が抱きかかえる図案もみられます。

(歌川国芳「坂田怪童丸」)

 

一方で、端午の節句には武士の象徴である鎧兜を飾るとともに

旗指物(はたさしもの)を飾る風習があり、江戸時代に

この旗指物を鯉の形にすることで、大空を泳ぐ鯉の姿が

「鯉の滝登り」と視覚的にぴったり一致したので、現代にも通じる

こいのぼりの形態が出来上がったのではないかと推察しています。

(この辺の経緯は未確認です)

 

歌川広重の浮世絵(19世紀半ば)にも、いま見られるのとほぼ同じ姿の

こいのぼりが描かれていますね。

(歌川広重「名所江戸百景のうち『水道橋駿河台』」)

 

・「うなぎのぼり」について

 一方で、「うなぎのぼり(うなぎ上り・鰻登り)」は

 景気や人気などが急上昇することを表現する慣用句として

 ごく一般的に使われています。

 「アイドルの誰それの人気がうなぎ上りだ」

 「景気がうなぎ上りだ」

 などのように使われますが、価格の高騰にも使われるので、最近は

 「ウナギの価格がうなぎ上りだ」

 などと、あまりうれしくないダジャレになったりもしています。

 「うなぎのぼり」という言葉の使われ始めは、まだちゃんと確認していないのですが、

 北斎漫画に有名な「うなぎのぼり」の図案があるので、

 幕末にはすでに一般的な言葉だったようです。

(葛飾北斎「北斎漫画より『うなぎ登り』」)

 

・ウナギとコイは滝を登るのか?

 ここで疑問に思うのが

 「実際にウナギやコイは滝を登れるのか?」

 ということです。

 

・コイは(たぶん)滝を登れない 

 科学的検証をしたわけではないですが、コイが他の魚と比較して

 特別に流れをさかのぼる力が強いとは考えにくいので、

 少々の段差や落差ならともかく、絵に描かれるような滝を登れるとは

 考えにくいです。

 また「こいのぼり」「登竜門」の起源となった逸話にしても

 一見、不可能なことを成し遂げたからこそ竜になった(出世した)と

 読み取れることから、やはり鯉が滝を登るのは困難だと思われます。

 

・ウナギは滝を登れる?

 それではウナギは滝を登れるのでしょうか?

 私は、その答えは△だと考えています。

 

 ウナギはあのヌルヌルした粘液のおかげで、適度に濡れていれば

 水中でなくても皮膚呼吸ができます。

 また蛇のように体をくねらせることで、地面を這うように進むことが出来ます。

 その結果、川べりの濡れた岩場などを這い上ることができるのです。

 この生態は今でも実際に観察することが出来ます。

(うなぎプラネットチャンネルより)

https://www.youtube.com/watch?v=C4a6EWhKJ3E

 

 それでは、水が流れ落ちる滝をウナギがさかのぼれるか?というと

 やはりそれは難しいのではないかと私は考えています。

 濡れた岩場を登れることと、自由落下する水流を登れることは

 まったく別の問題だからです。

 

 華厳の滝の上流(中禅寺湖)やナイアガラの滝の上流にも

 ウナギが生息していることから、ウナギは滝を登れるとする文献もあります。

 しかし、実際のところは(夢のない話ですが)人為的に持ち込まれたか、

 百歩譲って、滝の脇の濡れた岩場を地道に登ったのではないでしょうか。

 

ウナギの滝登りについては、もうすこしちゃんと調べて

いずれまた書き込みたいと思いますが、5月5日には

屋根より高い鯉のぼりをみながら、鰻登りにも思いをはせたいと思います。