ほんのうみ

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 ほんのやまにのぼったら ほんのうみにしずみたい  



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まみごころを、君に。












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オリンピック開会式が好きだ。

 

別に日本が国外に威光を示すことに酔いしれたいのではない。

幼いころからミュージカルが好きで、ショーが好きだから

スポーツはさほど興味がないくせにどの開催国も開会式だけは観る。

高額だったにも関わらず、第一希望で開会式の抽選も申し込んでいた。

 

オリンピックは200以上の国が集まり世界に同時放送される。

つまり、大会でトップアスリートが競技を披露するように、

開閉会式は、文化的な側面からその国のトップの作品を披露する場とも思っている。

国が絡む行事だから、わかりやすく大衆的でもあり、培ってきた歴史や文化が濃厚に現れる。

その文化に触れた表現が、クリエイターの斬新な発想と融合し、

素晴らしいものにしてしまうのだ。

 

少なくとも開会式を観ててもたのしいのは

今現在、その国の文化的作品の集大成を知ることができるからだ。

中国やロシアみたいに、予算を投じて必然的に豪華になる場合もあるけど、

豪華絢爛だから見ごたえがあるということではけっしてなくて、

独自の文化を培っている国なんかだと

ふとした音楽や振り付けという演出で

未知なる伝統や感性に出会うことはたくさんある。

オールブラックスのhaka的な)

 

リオの引継ぎ式の動画をみて、とてもかっこよかった。

衰退国なんかじゃない、日本はまだまだすごいんだ。

こんなにカッコいい表現が、国家を通してできるんだから、と。

 

最高の伝統と最先端技術を兼ね備えた唯一無二の国だと思う。

歴史ある芸能や芸術から、現代も独自の漫画・アニメ文化やキャラクターが生まれている。

今、日本で最高峰とする演出家達は一体、

どの角度から切り取って、素材に溢れた日本の表現作品を創り出すのか。

コロナ禍というのは、逆境としてプラスにできる状況とも思った。

コロナ禍の無観客だからこそ、表現できること、感動させ訴えれることはむしろ多いのだ。

リオの最高の引継ぎ式をみて、若手クリエイターのシン・ニホンの作品を観てみたい。

 

・・・という期待値をなんとなく持って鑑賞したら、

ほんとうにがっかりした。

 

辞任解任劇等、一連の騒動はのちほど詳しく知ったし

スキャンダル辞任やコロナ延期による予算の関係とかで、致し方ないことがあったことも察する。

起きた事象は、あえてここでは省略する。(調べたらいっぱいでてきます)

 

 

 

 

ダサい。

でもなんだろう、ただダサいから不快なわけではなく、

表現しがたい嫌悪感が全身にまとわり付く感覚。

コロナ禍だから仕方ないよねー、だけではない違和感と不快感。

なぜこんなにも国家プロジェクトに物申したくなるのか。

 

とにかく鑑賞後、がっかりと同時に

とても強い嫌悪感がまとわりついて、

自らその原因を検証してみたら、

ひとつの答えに到着した。

 

 

嫌悪感の根源は、

この開会式において、未来に希望が持てるような演出ではなく、

古い時代の人たちの利害が前面に出ている作品だったからだ。

今回の開会式はまさしく今の日本の姿であり、

さらに言えば、日本の社会の縮図だったからだ。

 

これは、巨大規模の国家問題ではなく、

自分自身が身近にある問題と同じだったからだ。

 

 

ちなみに文春の告発記事で

 

森元が懇意にしてる海老蔵を入れてくれとか

小池百合子の支援団体の江戸消防記念会を参加させろと要望出してきて、

演出路線に沿わないMIKIKOを電通が排除して言うこと聞く演出家を据えた、

みたいなことが今年の前半に行われました

 

というものが開会式前に出てて、

これが事実だとしたら

いや、真偽はともかく、あのうすら寒い開会式を観ると、

利害関係や政治的忖度で排除されたMIKIKOさん

的事件は間違いなくあったはずだし、

実際、利害の香りが染みついた演出だったと思う。

まさに政治権力VSクリエイターといういざこざで、

政治家が奪ったものがあの開会式だったんだ。

 

 

 

私はオーナー企業で働いてきた。

事務所秘書から経営者秘書(起業を学べるという触れ込みだった)の経験が数社あり

新規事業をいちから手掛けるのは楽しく、全力でがんばったつもりだった。

 

ある時、同僚の秘書にまったくもって事実無根なことを告げ口されたことがあった。

連日徹夜をし、数字として結果を出し、慰労されるために呼ばれたはずの場に、

先にきていた男秘書にあることないことを言われた。

話を鵜吞みにしたボスに強い口調で追及された。

自分で言うのもなんだけど、一連の流れが

ああ、ドラマでみるやつだ~と思えるくらい、

コテコテの陥れをされた。

 

あまりにくやしくて、つい、そういう男女のことで左右されるのも含め、

こんなばかみたいなことで責められるのはとても不快だと感情的に反論をしてしまった。

その時点で私にも落ち度はある。

相手はとても変わり者とはいえ、一国の主である創業者だ。

冷静に起きたことだけを話せばまた違ったであろう。

 

 

今の仕事は大変だけれど、やりがいはあり、

役員サイドとして実質運営しているので、

自分の好きに働かさせてもらってる自覚はある。

 

過去の職場にも感謝してることはいくつもある。

今の会社や今のパートナーと出会っているのは、

すべて過去の携わってきた会社や人のおかげなのだ。

たいてい、過去の経歴が関連して次に繋がっているから。

 

 

ただ、それまで渡り歩いてきた企業で感じてきた

日本の権力社会の歪み。

 

私が組織として機能していない特殊な世界にいた自覚はある。

そういうところに導かれがちだし、そういうところでしか働けなかったのだ。

基本的には社員定着率が悪い、業績は良いけれど所謂ブラック企業的体質の会社ばかりいた。

皮肉にも利益はあるから、尚更ありえない歪みも許容されていた。

 

トップを取り巻くのはイエスマン、逆らえば干される。

気に入らないと徹底的に追い込まれる社員。

気に入られたら好き放題さぼり放題の謎の社員。

嫉妬による悪口、告げ口。

オンナとして扱うバカと、オンナを売るバカ。

駆け引きや罠がまかり通る世界。

 

見てくれてる人は見てくれるが、

実際に外部の人に手を差し伸べられることはあっても、

基本的には内部でそもそも働き続ける人たちは、

そういう世界に順応しているため

実際に反旗を翻す社員はいなかった。

 

売上のある企業文化をぶち壊すのが正しいとも思っていない。

お金を生んでいる限り、その人たちのやり方が儲けとしては成功してるからだ。

だた、現場ベースとして、とてももやもやした思いは常にあった。

 

なんでこんなことが当たり前に行われて、しかもそれで回っているのか。

ドラマのようなことが、当たり前に行われていた。(立場上さらにいろいろ知ってしまうし)

 

いまだに、こういう悪の権威みたいな人が成功する社会で、

それで成り立つのがこの日本社会なのだ。

これだけ加速する技術社会で、時代の変化を受け入れない古い人たち。

その下にいる「やれなかった」のではなく「やらない」人達のかたまり。

 

 

でも、こんなやり方はいつか絶対に破滅する。

変わらないと置いてかれる。

新時代に沿っていない。

それに危機感もない。

このままでは会社も国も消滅してしまう。

今のままではだめな、

もっと新しいやり方も必ず必要になる時が、もうきてる。

 

 

 

一時期、料亭でもアルバイトをしていて、

いわゆる超一流企業重役や有名政治家の会合も見てきた。

お金のある人たちが女目当てに享楽にふける乱痴気騒ぎのお店ではなく、

日本を動かしてる人たちが集結して重要な仕事の話をたくさんしていた。

 

もちろん生きる偉人のような素敵な人もたくさん見たけれど、

特に政治にかかわる人たちは、「本当にこんなレベルの人が日本を動かしているのか」と

(生意気ながら)唖然としたことがたくさんある。

それは、有能だけれど素行が悪い、口が悪いということではない。

実際に政治について語ってる話を聞いて、ええ、こんなことマジでいってんの!?と思わすベテラン議員。

媚びへつらって、今大問題になってる〇〇について、上に振られて一斉に口を閉ざす若手議員。

世をにぎわした政治家たちの失言集は、

「この人なら言うだろうな」とテレビを通して毎回思っていた。

 

規模が違えど、自分の苦しんできた変わらない体質の会社での圧と、

実際この目でみた変わらない政治家たちの一部の姿、

 

それでだいたい想定してることが起きたのだろうな、と否が応でも思わす集大成が

あのオリンピック開会式だったのだ

 

 

紹介入社ってある意味コネであり、自分もそういう「都合の良い」立場にいたから、

すべては自業自得だし、たしかに文句をいう筋合いはない。

それを選んだ自分が悪いんだ、

そういう思いはずっとあった。

「自分の世界は特殊だったんだ」と。

 

しかし、開会式をみて、もしかしたら私がとてもありえないと思っていた世界は

当たり前のように日本に蔓延っていて、もうこの国の体質は、会社内云々ではなく、

どうしようもない状態になっているんじゃないか、と

あのセレモニーを見て思わされたのかもしれない。

(そもそも、そうやって国家行事に過剰な夢を馳せる私自身、前時代の人間の価値観である。)

 

戦時中から高度成長期に、

日本を支えたのは実際名もなき多数のイエスマン達なのだろう。

日本はこのやり方で成功体験があるのだ。

 

だから、壮絶ないじめをしれっと紙面で語たるアーティストが責任者もやれるし、

また別のアーティストという立場の人が平気でトレース作品でトップに君臨している。

日本国内のみのイベントなら、そのまま平然と居座っていたであろう。

今回は世界の舞台だし、インターネットがあったから逃げられなかった。

それだけだ。

 

 

変化をすることを嫌がり

変化をするのがとても遅い

悪いことをしてもバレないならそれでいい

提案があっても上には言ってはいけない

それは歯向かいとなる

歯向かうなら自分でやってみろ

できないなら辞めろ

組織を統制するために

足並みを揃えるために

出る杭は打たれる

もしもそれによりトラブルが生まれても

全力で揉み消す

 

そんな人たちがこのグローバルで情報化する社会についていかず、堰き止めている。

 

リオの引継ぎ式でみたわくわくさせるMIKIKOさんの演出からの劇的な劣化。

平和の象徴でいまだに教科書に載るimagineを使ったり、

昭和の茶の間スター、歩けてないよぼよぼのおじいさんの長嶋さんを借り出す感性。

紅白の演出レベルのうすら寒い寸劇。

ああ、まだこの日本を動かしているのは、昭和30年代が黄金期のひとたちが中心なんだ、と。

そことやりあった次世代の若手(?)は、つぶされてしまったんだ、と。

 

問題は、MIKIKOさんという選択肢があったのにもかかわらず、それを選べない日本の体質だ。

 

 

 

 

某巨大宗教団体の長男が、そこを飛び出し、告発するyoutubeをみていて思う。

愉快な展開だ、と。

 

私は「悪いことをして稼ぐからよくない!」と主張したいわけじゃない。

もう、とにかくすべて旧時代なんだ。

 

超絶効率が悪いけど責任とりたくないから提案せずだまってるとか

間違ったことわかっているけど上司だから言えないとか

その反動で陰湿に後輩をいじめるとか

天下りやコネでとか、女使ってのし上がるとか

もう、ぜんぶぜんぶ昔のやり方なんだよ。

紙とハンコで仕事ができていた時代の話なんだよ。

その危機感はないまま、日本はまだそういうひとたちで動いているし、動かしていこうとしてる。

その先にどんな未来があるのだろうか。

 

 

 

前職を辞める時も、ありがたいことにうちにおいでよという人が登場した。

けれど、さすがにもう知り合いの紹介でそこで直接仕事をする、は懲りた。

でも、新規事業支援をやっている方を紹介してもらい、試験を受けた。

社長はほぼはじめましてだった。

「彼女はとても有能な方だよ、今の待遇を聞いてると、とてももったいないんだ」

その方の言葉に、救われた。

 

私は敬うということを知らないわけじゃない。

こういうことを経験し、尊敬し、相手に求められなくても今の社長にはひれ伏している。

まったく何も言わない、ルールもない(なさすぎて驚き、新人研修マニュアルを提案して作った)

ただ結果のみでインセンティヴで評価される。

まさしく「新しい形の企業」だ。

今の社長のが、圧をあけまくる権力者よりも

ずっとずっと、なぜか彼のやりたいことを全部やろうという奉仕の気持ちが芽生える。

 

人間ってそういうものだ。

こんな不況下で、わたしはステップアップできた。

なんとか、今は居場所がある。

 

けれど、私はたしかに、旧時代の体質の中で

権力に抗い、煮え湯を飲まされた経験がある。

ここはどれだけ過去を美化しても、変わらない真実だ。

 

「正しい」自分が「正しくない」権力に負けたというつもりはない。

どちらが正義かの話ではない。

ただ私は、絶対的権力者の側で仕事をしたら、

うまく立ち回れず、血だらけになった。

 

 

 

 

これは単に開会式がダサくて恥ずかしいという問題じゃない。

むしろある意味今の日本のすべてを小一時間で表したという、とてもシュールな作品だったのだ。

成程、逆説的に考えたら、わたしが求めていた「その国の集大成」をまさに表現しているじゃないか!

 

つまり日本は30年くらい遅れているけど、表現技法としては300年先を行っている・・かもしれない。

(皮肉じゃなくて本気で思った)

 

 

 

 

小さな会社のため、

広報も企画も営業も総務もすべてひとりなのですが

今までの職場と違い、教えるという概念ができた。

 

わたしの職歴は、いろんなことをやってきたようで

とても閉ざされた空間もしくは、ちいさい規模の世界ばかりで

「後輩がたくさんいる」「部下を育てる」

という経験があまりなく。

そもそも3年周期で仕事辞めてるのもあるんだけど。

 

今の職場にはエンジニアの子が複数いて、

そのうち、人柄を気に入り未経験でとったはいいものの

プログラマーとしてはセンスがなく(言葉を選ばない笑)

案件がなくて社内待機してるひとがいて。

私が手掛ける新規事業の補佐として使ってよいということに。

 

基本はいろいろやってもらってるけど、

社長の指示で、一応教育もしなくてはいけなくて。

日経新聞の記事を一部ピックアップして彼に読ませてといわれて。

やってみはいいものの、上滑りな業務にかんじてしまい勝手に終了し、

今日からわたしチョイスの記事を読ませる謎の時間が登場しました。

 

 

記念すべき第一回は此方

 

 

 

 

今年の誕生日はロブションに連れて行ってもらいました(唐突)

その次の週に、カンテサンスへ。

日本の最高峰フレンチに2店舗連続でいけるという幸福に見舞われました。

 

高かろう良かろうという考えはあまりなく、

むしろフレンチという世界の謎の創作料理や雰囲気の強制は苦手で

こういうお店に懐疑的なタイプの人間でしたが、

さすがにこのクラスになると、素晴らしいしか思えなくて。

その流れでお店を調べて、行きついたのがこの記事でした。

 

理路整然とした文章、

そして生き様もまるでフランス料理のように美しすぎる。

外国的感性の発想力・独創力、いわゆる天才肌と

日本的感性のコツコツ雪かき職人気質を兼ね備えた人は

どんな道に進んでも成功するという説を思い出しました。

料理人としてとても才能がある!というよりは、

たまたま料理人だっただけ、そういう感じです。

 

そしてその生き様もすてきだし文章も良いし

マリアージュをかんじるこの記事を令和ボーイに読ませてみました。

 

ぜんぜん響いてなさそう・・(笑)

いいのいいの。それでいいの。

それが教育というものだ。

 

 

去年も、誕生日前日にいった申虎というお店。

美味しいし、なにより同い年なのにとてもしっかりした店長さんの清廉さを思い出しました。

 

こういうお店のお食事は、ほんとうに味以上に得れるものがあります。

 

 

 

 

「人生は好きな人を増やしていく旅だと思えば、ちょっとたのしくなる」

 

 

すごいなあ。

2005年からかいてるブログが残ってるって。

当時はアメブロがなくて、2回くらい移植してるんだよね~

さるさる日記もエキサイトブログもヤプログも今は亡きよね~

あと数年寝かせたら20年分だよ~~ひえーーー

 

なかなかない経験だから

あえて恥を承知で消さないし更新もしてみよう

 

 

でも若かったねぇ

すきなもの羅列して

ポエムみたいなことかいて

さらに政治まで語りだして

自己顕示欲爆発だねぇ

恋愛的な悩みで下書きになってるものみたら

笑っちゃった。

いつも誰かひとりをしっかりと愛してたんだね

 

 

もうね、心情的なことも起きた事象も

ああ、これを形で残したいって思えることが

この年齢だと、ないかもね

でもせっかくだから

なにかあればかこうかな