親父が死んで約20年 おかんが70歳のころでした。

それから5年ほどたった寒い時期 (おかん75歳ころ) おかんは こたつに入って顔が真っ赤になって気絶してたんよ

たぶん脱水症かと (病院でも原因不明) また  昼夜逆転の生活にもなっていたんだよ。

タイミングよく見つけられたから 無事生還出来たんだよ

実家から離れたところで (腰の手術をしたのにも拘わらず) 前職(管理部課長)と同給料で雇ってくれた会社を理解を得て会社都合にしていただき 職を辞して 実家に帰ってきたんだ。 

おかんを見ていくために。

それが15年ほど前。

それからは 家から近い いくつもの 小さな会社を 数年で 転々と 契約社員として ここ15年働いてきてん。

残業のない仕事で 家に帰る時間の短い会社を ハロワで探すのも大変だったんだよ。 おジンだしねw

だから 金はない♪

 

それまでは

ぎりぎりのお金を かいぐりかいぐり(工夫)して 日帰りバスツアーやバスで行く四国お遍路など  おかんとよく行ったんだよ

平日は 仕事帰り 車でおかんを迎えに来て 焼き鳥や和食のお店で 晩ごはんを一緒に食べたんだよ  

でも (親氏が死んだ日ー実家に戻ってきた日) すでに昼夜逆転生活だったらしい (ご近所談)

 

脳血栓を発症した2月24日は 朝から 紙パンツとお菓子を買いに車いすに乗っけて 笑いながら帰ってきたんだ

おかんは夕方お昼寝して18;15にトイレに起きてきて もうすぐ晩ごはんやから こっち来てテレビ見ときやー

僕は米が炊ける時間まで 自室でPCで遊んでた 

18:30におかんが気を失ってるのに気づいた 

二日後に そのトイレに起きてから トイレットペーパーの補充をしてるのに気づいた(僕が鈍い)

だから 脳血栓の発症後30分ほどで病院についてた早さだったにもかかわらず

おかんの老齢と血管の細さなどで 初期対応が悉く成功しなかったんだ

医者も大変だったらしい

そして 麻酔でショック症状が出て 1週間ほど昏睡するんだ

 

あとから思えば 重症の脳血栓患者だったはずなのに 日ごろからしょっちゅう おかんが話してた 「寝込んだら死ぬ!」

眼はあかないのに 救急車の中で かろうじて動く左手をあちこち動かして つかまるところを捜して 起きようとしてたんだけれど 空振りばかりで 誠に 見るに忍びなかったんだよ。

あれを見て 僕は覚悟出来たんだよ

有効策が悉く失敗して ICUに送り込まれても 麻酔を打たれたのも拘わらず 左手が捕まるところを捜してた

数分続いてたんよ その時に もう確信して お別れが近いな と 悟ったんだよ。

親子の儚さというか 悲しさだったよ。おかんの生きたいという気持ちが僕に突き刺さっていたんだ。

「寝込んだら死ぬ!」

麻酔でやられてるに拘わらず 発症後の2日目迄 医者やナースの声に反応していたらしい。

僕には奇蹟だった! 昏睡してるはずなのに・・・・

「ご飯はそんなにいらない」 これがたぶんおかんの最後の言葉

僕はいなかったから 

「もうすぐご飯やで トイレ行ったらテレビ見とき」  「うん」 これが最後に聞いた言葉 

 

早く起き上がって家に帰らなあかんから 麻酔打たれてるのに 医者やナースの言葉に 本気で必死に反応してたんが 痛々しく

だから 気 と 病と麻酔でやられた身体 との ギャップが 重態化に走らせ 気 が 今日まで生き残されたんだと思った。

あと今日の午後 麻酔のショックから解放されて 自分に急速に戻り 疲労が一気に出て 人生を終えたんだと確信した。

もちろん 医者の見立てが正しいんだろうけれど

人は やっぱり 気 で生きているんやろうなあと

おかん 気にしいやから 2月29日には死にたくなかったんやろうなあとも思った

ベッドの横の壁には大きなカレンダーが張ってある。

眼は見えなくなってても 心の眼でじっくり見ていたに違いない

僕の勤務日程のカレンダーも観てたんだろう 効率良すぎるで! ほんま ありがとうな