22日、東京インターナショナルトーストマスターズクラブでスピーチをさせていただきました。
もともと日本橋クラブのゲストスピーカーに招待されたらやろうと思っていたのですが、先に別のクラブから声がかかったので喜んで出かかて行ったというわけです。今年2月19日に行ったスピーチと同じものですが、より感動的なものになるよう「おぎゃー」の場面を工夫し、原稿もしっかり覚えていきました。以下にその全文を(失敗した部分も含めて)掲載します。
アフリカ大陸最南端の南アフリカ共和国にPRETORIAという行政首都があります。標高1500m、人口50万のこの都市は、別名「Jacaranda City」と呼ばれ、毎年10月になると7万本のジャカランダが美しい花を咲かせ、街中が紫色に染まります。そこはまた、30年前私達夫婦が結婚して初めて海外生活を送った思い出の地でもあります。
その紫色の桜が咲き始める前に、妻が妊娠しました。当初、妻は言葉や習慣のちがう異国での出産に大きな不安を覚え一時帰国を考えていましたが、しばらくして友人から地元の信頼できる医師を紹介され海外での出産を決意しました。その医師の名前は、DR. DAVIS―経験豊かで温厚な50代の紳士でした。
それから8か月後、その日は突然やってきました。予定日より8週間―いや2週間も早かったのです。その朝、妻が突然陣痛を訴えたのでかかりつけのDAVIS先生に電話を入れました。すると、すぐにST. MARY病院に連れてくるようにと言われました。そこで、私は急いで妻を車に乗せて病院へと向かいました。
そこにはDAVIS先生が待っていました。
「おはようございます、DAVIS先生。よろしくお願いします。」
「やあ、おはよう、TAKKI(これは私の英語名です。)。今すぐ、君の奥さんを分娩室に運ぶから手伝ってくれ!」
「了解しました。でも、先生と私の他には誰もいないのですか、看護婦さんとかは?」
「いや、必ずしもそういうわけではないのだが、この国では出産には夫が全面的に協力することになっているからね。」
「えっ!私は今まで出産に立ち会ったことは一度もないんですが・・・」
「心配するな、TAKKI!夫であればだれでもできることじゃ。」
そういわれて、私はしかたなくDAVIS先生の助手を務めることになりました。そして、生まれて初めて
分娩室に足を踏み入れました。その間も妻は陣痛で苦しんでいます。でも、私にできることは妻の手を握って励ましてやることしかありません。
「酸素マスクをつけてやれ、TAKKI!それから鉗子を取ってくれ。」
「マ、マスクはどうやってつけるのですか。か、鉗子ってどれですか。」
「うろたえるな、TAKKI!マスクは口の上にあてておくだけでいい。鉗子はその棚の2段目に置いてある やつだ。」
「はい、先生。これでいいですか。」
「よし、いいぞ!これからは君の奥さんがベッドから落ちないようにしっかりと体を支えてやるんだ。」
「わかりました。DAVIS先生。」
こうして冷や汗をかきながら時間が過ぎて行きました。やがて、分娩室内に大きなうぶごえが響きわたりました。
「おぎゃー!」
それは一生忘れることのない感激の瞬間でした。
このように愛する妻と一緒に新しい命の誕生に携わったことは、今も私の心に深く刻まれています。
そして、その時生まれた「Jacaranda Baby」は、私達夫婦の1人娘としてすくすくと育ち、今は妻が残してくれたかけがいのない存在となっています。

もともと日本橋クラブのゲストスピーカーに招待されたらやろうと思っていたのですが、先に別のクラブから声がかかったので喜んで出かかて行ったというわけです。今年2月19日に行ったスピーチと同じものですが、より感動的なものになるよう「おぎゃー」の場面を工夫し、原稿もしっかり覚えていきました。以下にその全文を(失敗した部分も含めて)掲載します。
アフリカ大陸最南端の南アフリカ共和国にPRETORIAという行政首都があります。標高1500m、人口50万のこの都市は、別名「Jacaranda City」と呼ばれ、毎年10月になると7万本のジャカランダが美しい花を咲かせ、街中が紫色に染まります。そこはまた、30年前私達夫婦が結婚して初めて海外生活を送った思い出の地でもあります。
その紫色の桜が咲き始める前に、妻が妊娠しました。当初、妻は言葉や習慣のちがう異国での出産に大きな不安を覚え一時帰国を考えていましたが、しばらくして友人から地元の信頼できる医師を紹介され海外での出産を決意しました。その医師の名前は、DR. DAVIS―経験豊かで温厚な50代の紳士でした。
それから8か月後、その日は突然やってきました。予定日より8週間―いや2週間も早かったのです。その朝、妻が突然陣痛を訴えたのでかかりつけのDAVIS先生に電話を入れました。すると、すぐにST. MARY病院に連れてくるようにと言われました。そこで、私は急いで妻を車に乗せて病院へと向かいました。
そこにはDAVIS先生が待っていました。
「おはようございます、DAVIS先生。よろしくお願いします。」
「やあ、おはよう、TAKKI(これは私の英語名です。)。今すぐ、君の奥さんを分娩室に運ぶから手伝ってくれ!」
「了解しました。でも、先生と私の他には誰もいないのですか、看護婦さんとかは?」
「いや、必ずしもそういうわけではないのだが、この国では出産には夫が全面的に協力することになっているからね。」
「えっ!私は今まで出産に立ち会ったことは一度もないんですが・・・」
「心配するな、TAKKI!夫であればだれでもできることじゃ。」
そういわれて、私はしかたなくDAVIS先生の助手を務めることになりました。そして、生まれて初めて
分娩室に足を踏み入れました。その間も妻は陣痛で苦しんでいます。でも、私にできることは妻の手を握って励ましてやることしかありません。
「酸素マスクをつけてやれ、TAKKI!それから鉗子を取ってくれ。」
「マ、マスクはどうやってつけるのですか。か、鉗子ってどれですか。」
「うろたえるな、TAKKI!マスクは口の上にあてておくだけでいい。鉗子はその棚の2段目に置いてある やつだ。」
「はい、先生。これでいいですか。」
「よし、いいぞ!これからは君の奥さんがベッドから落ちないようにしっかりと体を支えてやるんだ。」
「わかりました。DAVIS先生。」
こうして冷や汗をかきながら時間が過ぎて行きました。やがて、分娩室内に大きなうぶごえが響きわたりました。
「おぎゃー!」
それは一生忘れることのない感激の瞬間でした。
このように愛する妻と一緒に新しい命の誕生に携わったことは、今も私の心に深く刻まれています。
そして、その時生まれた「Jacaranda Baby」は、私達夫婦の1人娘としてすくすくと育ち、今は妻が残してくれたかけがいのない存在となっています。
