私のスポーツ遍歴~その1~

                              
 一昨年2月にポポロACに入会してはや2年になろうとしています。今年は還暦という人生の節目を迎える私ですが、会員の皆様の暖かい励ましと応援に支えられ、昨年は故障ひとつしなかったばかりでなく、お陰様で壮年部のクラブベスト記録もいくつか更新することができました。
 もともとスポーツとは縁が遠かった私ですが、社会人になってからスポーツに目覚め、その楽しさや苦しさをさんざん味わってきました。思い返せば、20代は空手道、30代はゴルフ、40代はテニスに熱中し、そして今はマラソンに魅了されていますが、いずれもその時の自分の生き甲斐となっていたように思います。
 その最初のきっかけとなったのは、高校を卒業して「進学」した東京の全寮制の鉄道員養成学校でした。そこは、公認の陸上競技場を始め、空手道場、剣道・柔道場、テニスコート、水泳プールなどほとんどのスポーツ施設が揃っており、学校も勉学のみならず心身鍛練にも力を入れていたので、ともかく強くなりたいと思い空手道部に入部したのが、私のスポーツ遍歴の始まりです。18歳の春でした。3年間の在学中は、空手専用の道場で練習に集中しました。また、時々基礎体力強化のため、陸上部の仲間にも入れてもらいました。校内マラソン大会(6km)では優勝した思い出もあります。
 卒業後、九州の鉄道駅に配属されてからも、職場の空手道同好会に入り修行を続けました。ここでは時間の制約もあり密度の濃い練習が行われました。その時に参加した合宿は、血尿が出るほどの厳しいもので、今でも「合宿」と聞くと恐怖心が先立ちます。そのうち、北九州を総括する局の陸上部から声がかかり、空手の練習のない日には実業団の選手としてトラックも走るようになりました。九州勤務はわずか1年間でしたが、転勤直前に「延岡西日本マラソン」に出場しました。22歳で挑戦した初マラソンは、足を引きづりながらサブスリー(2時間55分30秒)で完走しましたが、それが今でも自己ベスト記録になっています。
東京に研究員として戻ってからも再び国分寺の道場で空手道を続け、やっと初段(黒帯)になりました。その間組み手の練習で蹴りを食らい気絶したことなど多くの試練を乗り越え、後輩から贈られた黒帯を締めたときの感激はいまでも忘れられません。
 入社6年目に中学時代からの夢が叶い、外交官に転職しました。翌年、朝鮮語を習得すべく韓国に留学しました。2年間の留学期間中も空手道を続けたくて、今度は空手とよく似た韓国の「テクォンドー」に入門しました。韓国では、小学生と軍人に人気のあるスポーツですが、空手道と違うのは、脚を使った技が中心で精神修養をそれほど重視していないという点です。留学期間が終わる頃にはこれも初段の認定を受けました。
 その後実務につくようになってからテクォンドーとは縁が遠くなりましたが、4年後に帰国してからは職場の空手道部に入部し、主将や部長を歴任するなどより一層空手道との縁が深まっていきました。

(写真:私の尊敬する師範)