古都鎌倉へ行ってきました~建長寺編②~
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仏殿前の「ビャクシン」。
右側に四株、左側に三株、計七株が植えられている。
「ビャクシン」は、禅寺の前栽として植えられるもので宋風の前庭様式を踏襲したものだそうです。
建長寺開山の蘭渓道隆が宋から持ってきた種を植えたと伝えられる株もあり、幹回りは7メートルにもおよぶ巨木(新日本名木百選)。
かつては、仏殿と山門(三門)の間に十株の、山門(三門)と総門の間に六株の「ビャクシン」が植えられていたんだそうです。
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建長寺(山ノ内)の境内に4月21日、仏殿のブロンズ模型が設置されました。制作したのは、透明点字シート付絵本などを手がけるユニリーフ(葉山町)の大下利栄子代表(64)。目が見えない人でも、建物の形を手で触って感じられる模型で、大下さんは「ともに生きる社会の具体的な一歩へ」と期待を寄せました。
制作のきっかけは、10年ほど前。視覚障害のある娘の歩さん(27)と旅行した際、娘が建物や景色を感じられず、感動を共有できない寂しさを感じた。そんな時、ポルトガル旅行で目を惹かれたのが、世界遺産「ベレンの塔」の前に置かれたブロンズ模型。「これなら一緒に触れて思い出を共有できる」➡️娘さんを思う母の強い思いが実現につなげる事が出来たんですね~!何事も諦めない!それが一つ一つの希望と幸せに繋がるんですね~!本当に感動しました。
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建長寺創建当初の仏殿は、左右に土地堂(つちどう)と祖師堂を従えたものだったそうです。
現在の仏殿は、1647年(正保4年)、芝増上寺の徳川二代将軍秀忠夫人(崇源院)の御霊屋が移築されたもの(1628年(寛永5年)の建築物・国重文)。
崇源院御霊屋の造替の際に譲り受けたのだという。
内部は、すべて漆塗で、華麗な装飾が施されています。
崇源院は、織田信長の妹お市の方と浅井長政との間に生まれ、姉は豊臣秀吉の側室となった淀の方。
娘には豊臣秀頼に嫁いだ千姫がいる。
千姫の養女は東慶寺二十世の天秀尼。
仏殿の他、方丈の正門であった唐門(勅使門)と西来庵の中門も崇源院の御霊屋にあったものが移築されています。
崇源院は、NHKの大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の主人公でもあった浅井三姉妹の三女お江さんですね~!長女は豊臣秀吉の側室であり、豊臣秀頼の母である淀の方(茶々)、次女は常高院(お初)、そのお江さんとゆかりのあるお寺だったとはホント歴史って面白い。😁✨✨
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仏殿の本尊は地蔵菩薩坐像
建長寺のある谷は、もとは処刑場で地獄谷と呼ばれ、建長寺が建立されるまでは、地蔵菩薩を本尊とする心平寺があったそうです。
そのため、建長寺の本尊は地蔵菩薩なのだという。
横浜の三溪園には、心平寺の地蔵堂といわれる建物が移築されています。(国重文)。 建長寺の仏殿脇段に置かれている地蔵菩薩坐像が心平寺の本尊と伝えられ、「心平寺地蔵」と呼ばれている。 済田地蔵は、心平寺地蔵に納められていたものと伝えられ、建長寺創建後は、本尊に納められていたものだという。 いずれも鎌倉二十四地蔵の一つ。 |
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