ラグビーの未来と過去①序章第1回ワールドカップ | Rugby Explorers

Rugby Explorers

「ラグビーをカルチャー、ライフスタイルと結びつけ、未来へと繋げる」をコンセプトに活動をしています。
質問はこちら→https://peing.net/ja/gunjiexispart?event=0
Twitter→@gunjiexispart
FB→https://www.facebook.com/Rugby-Explorers-399879817211593/

 
俺が生まれる1年前の1987年。
ラグビーワールドカップは日本のKDDIがメインスポンサーとして始まった。テレビでスクールウォーズが放送された後で
まだまだ大学ラグビーの人気も高かった。
社会人リーグだと釜石の連覇が85年で終わり、神戸製鋼の連覇が始まる前の辺り。
 
日本でのラグビー人気は最高だったとも言える時に初めてのワールドカップは開催されます。
ラグビーのコンセプトで言えば、「10(テン)マンラグビー」というFWを全面に押し出すものから、「オープンラグビー」と言われるものに変わっていく時代でもありました。
 
実際ワールドカップでもヒーローになった(?)のは多くがバックスの選手でした。
オールブラックスは元日本代表監督のカーワンやフォックス、ワラビーズのライナーやキャンピージ、シャンパンラグビーと言われたフランスのブランコとセラ、またフィジー代表もフィジアンマジックと言われ走り回り大会の象徴的なチームでもありました。
オープン大会と言われる位置づけではありますが、ラグビーとしては華やかな方向性をさしていたかな?と思います。
 
これからプロ化していくことがオープン化と呼ばれたのも、この「オープンラグビー」て言葉の影響も大きいんじゃないかな?と思います。
 
平成時代のラグビーと言う時、まず最初のキーワードは、この「オープンラグビー」でしょう。
 
そしてこれは俺が教えられたラグビーでもあるかな?と思います。
 
娯楽要素を込めてラグビーを見せるため、
実際、神戸の選手はわざと大外にボールを回してトライすることまで義務付けられたくらいの話まであります。
 
ただこのラグビーのオープン化に世界も日本も振り回されたとも言えるかな?
 
アマチュアイズムが先行してた文化としてのラグビー。
 
それを昭和に置いてきたかったのに引き摺り続けて来たのが平成ラグビーの話かな?と思います。
 
こうして昭和は終わり、いろんな意味でオープン化に向けてラグビーは動き出していきました。
 
いろんな意味と言ったのは、冷戦の影響や様々な思惑も含められていたから。
 
南ア、西サモア、ソ連と言ったチームがワールドカップに出られませんでした。
 
これが第1回ワールドカップはプレと呼ばれる部分の1つかもしれませんし、ここから全ての遺恨ははじまってるのかもしれません。
 
日本ラグビーは87年度に神戸製鋼の連覇が始まり、89年高校ラグビー決勝の日に昭和天皇の崩御と同時に昭和時代が終わりました。
 
この平成に変わる何年間かで、ラグビーにも新しい時代の種が膨らみ初めていたんだろうなと思います。