ラグビーレジェンド紹介 「ジェイミー・ジョセフ」 | Rugby Explorers

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みなさん、こんにちは。DTです。

 

皆様方から好評を頂いているラクビーレジェンド紹介。今回は、現ラグビー日本代表ヘッドコーチである

 

「James Joseph (ジェイミー・ジョセフ)」

 

ラグビーの現在の状況の要因にも繋がる話しにもなると思います。

 

 

小学生の頃の話しにはなるんですが、ジェイミー・ジョセフの映像と言いますか、情報も含めてあまり知らなかったんですよね。当時、僕にとってラグビーと言えば、関西リーグと花園だったので、あんまり選手とか知らなかったんですよね。
 
そりゃそうだろうと言われそうですが(笑)確か、現在の東海大仰星の監督である湯浅大地が、花園で仰星を優勝に導いたのはこの年くらいだったような記憶があります。だから、現在トップリーグで活躍してる選手達の花園出場はほぼ見ている事になるんですね。時が経つのは早いものです。だから、むしろ当時は高校生のが詳しくて、社会人の選手があまり知りませんでしたね。
 
まぁ、僕の事はどうでもいいとして(笑)話を戻すと、「ユースト・ファン・デル・ヴェストハイゼン」の紹介のブログを見てもらえた方は、お察しの方もいるかも知れませんが、僕が選手の事を良く解るようになるのは、2000年以降でジェイミー・ジョセフがスーパーラグビーでプレイしていた当時を僕は知りません。
 
なので、彼を知ったのは1999年のワールドカップ前。2人の元オールブラックス戦士が日本代表入りしたという情報を雑誌か何かで知ることになります。それがJJことジェイミー・ジョセフとグラムハム・バショップの8番、9番のコンビ。平尾ジャパンの救世主と言われてましたね。当時の日本代表の事は良く印象に残ってます。
 
 
当時2人はサニックス(現 宗像サニックスブルースに所属。当時は今とシステムがだいぶ違い、関東、関西、九州とそれぞれリーグが分かれていた時代で、今のように何でも情報が手に入る訳ではなかったので、九州リーグのチームの試合なんか見れないし、情報もかなり限られたものでした。
 
全国大会には、九州リーグから一枠あったものの、100点ゲームで負けてさよならーって感じでしたし、当時北九州で高校生だった知り合いに話を聞いても、何かとんでもない選手がいるらしい位の認識だったらしいです。今で言うとスコット・バレットとアーロン・スミスくらいの立ち位置の選手が、チームに入ってきたようなものに。
 

 

代表のルールも当時は良く解ってなかったので、それがどういう意味なのかも良く解ってませんでした。1997年頃に日本代表の監督に平尾さんが就任する事になって、その後の1999年にその2人が代表に加入したパシフィック・リム選手権で、めちゃくちゃ日本代表が躍進したように憶えています。前の年からだったか記憶が曖昧な所ですが、その躍進によって、「これ平尾ジャパンワールドカップいけるんじゃね?」という空気になりはしました。でも、結果はダメだったという(笑)
 
随分と長くなりましたが、話したいのはこの4年前からのこと。日本ラグビー凋落の大原因となる試合がありましたね。それが1995年ワールドカップのオールブラックス戦。
 
当時の日本のスポーツ界の状況と言えば、Jリーグが丁度スタートした頃で、野球人気低迷が叫ばれていた所イチロー、松井秀喜のスター選手が登場して、凌ぎを削る時代に突入。さらに人気漫画スラムダンクとマイケル・ジョーダンという組み合わせのバスケの存在もあった訳です。
ただラグビーも連覇してた神戸製鋼の影響であったりとかで、まだ人気は保ってました。それで、1995年ワールドカップの直前で平尾さんが戻ってきたんですかね?そこそこ健闘出来るんじゃないかという雰囲気もあったと聞いています。
 

 

そこに突きつけられたのが145-17という結果でした。この辺りから、スーパーラグビーがスタートしたり、ラインアウトでリフトが出来るようになったり、ラグビーがどんどん近代化していって、それに日本は全く付いていけていない現実を見せつけられてしまった。そして、最悪な事に他の人気スポーツに人材が流れていくこととなります。
 
その試合に出てたのがJJとバショップ。それに後に神戸製鋼に移籍してくるラーセン。(他にもリコーにオズボーンが来たりするけど割愛)控えFWだったJJとラーセンは半分ずつ出てたかな?バショップは当時の若いバックス陣をしっかりリードしてました。
 
JJは、容姿の通り明るく陽気。得意なプレーは派手なコンタクトとフィジカル強のさで、相手を圧倒するといった感じで、4〜8ならどこでも出来た選手。ただそのイメージしかないですね(笑)バショップは、普通にハーフとしての役割遂行能力が高く、テンポよいリズムのパスに、ディフェンス面ではしっかりカバーリングもこなすホントにいい選手。ただ日本代表で初めて見た時は、なんかチームにおじいちゃん混じってる!!と思いました(笑)バジョップごめんなさい。
 
ハーフで歴代日本でプレーした選手中ではダントツで上手いし、飛び抜けてると思います。エリス以上でしょう。ロムーやマーテンズと言った若手バックスを入れ替えてワールドカップに挑んだから、バショップの存在はいろんな意味で大きかった。それでラーセンは、まさに「The ロック」という選手で、後に神戸に来るんですが、本当に真面目でしたね。いつも1人で練習終わった後、スパッツ1枚なって走ってました。サインプレーもいい加減で、ペナルティとったら神戸はみんなラーセンGOて叫ぶんですよ(笑)。
 
この3人は、確実に日本ラグビーどん底時代の選手なんですが、日本で素晴らしい活躍を見せてくれました。そして今やJJは日本代表の監督です。あれから24年も経っています。日本ラグビーをどん底に落とした1人の男が、日本で開催されるワールドカップでラグビー日本代表をどこまで引き上げてくれるのか?本当に期待しています。(JJとバショップが代表になったせいで、在住3年で代表経験無しがルールになったという話があります。それくらい平尾ジャパンて豪腕でした。)