パレスチナ・イスラエルから帰国した
2002年6月は、
折しも、イラク戦争直前。
世界中で沸き起こった
100万人単位の反戦デモの
ウエーブが地球を一周し、
数か月間アメリカは何度も攻撃を延期。
開戦するかしないか、
ギリギリの攻防が続いていました。
私も寝食を忘れて、デモや集会や
学習会や写真展開催に駆けずり回りました。
しかし2003年3月イラク戦争が始まり、
運動は一気に意気消沈。
それでも爪先立ちを続けたのち、
燃え尽きを体験することになります。
その燃えつきの自殺念慮の淵で
踏みとどまらせてくれたのもまた、
亡くなった親友でした。
◆私が燃えつきた朝。
2005年2月。
直接のきっかけとなったのは、
祖母の突然の服毒自殺でした。
10年近く精神疾患の妄想に
悩まされ続けた末に、冬の早朝、
自宅にあった農薬パラコートを
飲み干したのです。
往復17時間がかりで
雪の中の葬式に参列して
ひどい風邪をひいた上、
祖母の微々たる遺産をめぐる
親族同士の小競り合いに疲弊。
さらに、「私の30年を返せ!!」と
父と祖母を罵って泣き喚く母を
なんとかなだめ、消耗しきって帰宅しました。
当時、地元神奈川では、
アメリカ本土からキャンプ座間への
米軍総司令部の移転が計画されていました。
これに対して、キャンプ座間を
2千人レベルのヒューマンチェーンで
包囲するアクションを呼びかけていました。
主催側として倒れるわけにいかず、
振り絞るように包囲行動をやり遂げた
数日後の朝、体中に力が入らなくなり、
布団から起き上がなくなっていました。
職場に休みの電話を入れて切った瞬間、
突如として、「死にたい」という衝動に
囚われました。
「でも親友が死んでいるから、自分は
どんなことがあっても絶対に死ねない」
と必死に念じる一方で、
「でもそれじゃあ、
一体どうしろっていうんだ!?」と
頭がバラバラになりそうな感覚に襲われ
「じゃあもう皆死ね死ね!!!」と
発想が異様に攻撃的に。
これはさすがにヤバイと、
かかりつけのメンタルクリニックに
電話しようとするも、
指が震えてうまくかけられず。
精神も身体も自分の制御を
離れてしまう恐怖に貫かれ、
ようやく電話が繋がった時には
どっと涙が溢れました。
助かった、と思いました。
処方薬を変えて、なんとか
凌ぐことにしました。
翌日出勤したものの、動悸が激しく、
指先の震えが止まらない。
電話の音や話しかけられた声だけで
飛び上がり、誰彼構わず怒鳴りつける。
傍から見ても、相当異様な様子だったと思います。
ギリギリのところで、なんとか
踏みとどまることが出来たのは、
もえつきのセミナーを受講して
その概念と治療を再認識したこと、
そして当事者の人達と体験をシェアする
機会を得たからでした。
「それはある日突然やってきた」、
「ちょうど、電気を使いすぎると
ブレーカーが落ちるのと同じ」と
経験者は書かれていましたが、
その通りでした。
私は燃え尽きたのでした。
(続きます)
byしゅくらむ
「しゅくらむ」は、アラビア語で「ありがとう」を意味しています。
ココでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、感謝をこめて。
シュックラム!!
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