先週の金曜日、辰野恵一先生からK医科大学の先輩にあたる、山崎健一郎先生が非常勤の勤務先を探していると、紹介を受けた。

辰野先生は51歳、山崎先生は57歳だ。

先月、山崎先生は定年を三年後に控え、「医療法人社団・信愛会 市原総合病院」を突然、退職してしまった。

これには訳があったから、当院への再就職について、トントン拍子に進んだ。

本日は週明け火曜日。
山崎先生は、さっそく面接に来られた。

訪問診療が終了した夕方、俺は神々の診察室で20歳年上の先輩医師と対面した。
 
「退職後に報告したら、妻と娘に総スカンをくらいましてね、作戦は失敗でした。ハハッ」

先生は首を傾げて短髪のグレイヘアを、ポリポリ掻いた。

「うーん、そうだったんですか…」

先生はボソボソ小声で話されるし、穏和な雰囲気だ。見かけによらず大胆な行動は、ご家族だけでなく俺も驚いてしまった。

医師の場合は定年後も、仕事を続けるケースが多いが。
先生はあと三年で定年退職だ、この時期に職場を変えるなど、ご家族としては、寝耳に水だったろう。

「体力に余裕のあるうち、患者さんとゆっくり関わってみたい、長年の希望でした。
すっきりした味わいの珈琲と言い、貝殻の形をしたパイも、サクサクして美味いですねえ。何個でも、いけそうだ。これはイカン」
 
本音を告げた先生は、カップを左手で持ち珈琲を啜ると、美味そうに目を細めた。

先生は左利きだな。
外科的な処置を行う場合は、補佐をするナースの立ち位置も、配慮が必要だろう。

「先生の様に、経験豊富なドクターの勤務は、有難いです。珈琲とお菓子は、いつも美味しい物を準備していますので、期待して下さい」

俺は頭を下げた。

 「ハハッ、それは困りますね。
訪問診療で活動範囲が増えたら、大学時代の体重まで、落とせるかもしれない。
期待しているんですよ」

苦笑いする先生は、お腹周りをさする。紺色のスーツの上着を触れて、それはわかる程度だから、ダイエットは達成出来そうだ。
かつ大きな既往歴は無いし、ほぼ健康だ。

定年を前に腎臓内科部長の職を、あっさり終えてしまった訳は、長年培った知識や技術を、訪問診療や緩和ケアで、さらに活かしてみたかったのだそう。
 
ベテラン医師、山崎健一郎先生の専門は、腎臓内科と総合内科だ。
メインは慢性腎不全、人工透析。

腎臓内科はネフローゼなど腎臓の病気だけでなく、フォロー範囲がとても広い。

その理由の一つが、いわゆる生活習慣病だ。

特に現代は糖尿病の合併症…糖尿病性腎症が血液透析を行う主な原因になっている。腎臓の病気に由来する腎不全より、増えている。

同時に糖尿病性の高血圧症、神経障害などなど、合併症も多い、内科的なフォローは必須だ。

そんな訳で腎臓内科医は、総合内科専門医の資格を持つ方が多い、山崎先生もその一人だ。

市原市民病院では、総合内科外来も担当していただけに、先生は癌治療における緩和ケアの知識も豊富だ。

患者さまの中には、腎臓の悪性腫瘍を患う方もいらした。生活習慣病や、透析を行っている場合、腎臓の腫瘍を発症しやすくなるからね。


さてここまでは、面接も順調に進んだ。
山崎先生は訪問診療へ臨む意欲は満々だし、俺としても、採用は決定なのだが…。

 ジャジャジャジャーン…。

しかし「運命の主題」が浮かぶ、ここから先が問題だ。

古代ローマの神々と女神たちは、毎週水曜が診察日だ。

普通ではあり得ない診療なだけに、俺を始めスタッフ一同、悩んだ。
そこでまずイタリアの名物を、女神アテナに届けて貰った、第一印象が肝心でしょう?

貝殻の形をした「スフォリアテッラ」は、ドレープを寄せた見た目も可愛いパイだ。

リコッタチーズやカスタードクリームが中に入り、ダイエットにチャレンジする山崎先生も虜にするほど、とても美味い。

先週、結婚準備のために真紀子さんがローマへ滞在した際、お土産に持って来てくれたので、すっかりハマった。

昨日ヘパイストスは「名誉の転倒」から無事に回復し、市民病院を退院した。

彼は真紀子さんの自宅で、ヘルメスやアテナと過ごしている。

真紀子さんがローマに引っ越すため、その準備も兼ねているが。

例えローマに戻っても、ヘルメスとヘパイストスは当分、市民病院へ外来通院を継続する。

市民病院と美月クリニックは、当院の連携医療機関、神々にとっては、セカンドオピニオンでもある。
山崎先生は関連機関については、把握しているだろうが。プラスアルファで、包み隠さず伝えるつもりだ。

その上で当院で勤務するか否か、改めてご本人が判断されるだろう。
 
さらに辰野先生から、若かりし頃のエピソードを教えてもらった。
「山崎先生は、知ったところで辞退しないよ。
先生は学生時代山岳部で、遭難しかけた。
山の神さまに無事帰還できるよう、祈ったそうだからね」

遭難しかけた山崎先生は、穂高岳から無事帰還した。現在も、神々に感謝は欠かさないはずだ。

だから古代ローマの神神の主治医である当院へ、就職するだろう…。
辰野先生は、太鼓判を押していた。

それらを踏まえて面接は、神々の診察室で実地している。
デスクの引き出しには、神々と女神たちの手書きのカルテをしまってある。
必要となったら、いつでも取り出せる。

カルテNO.1のエロスは、「肩関節周囲炎の症例」を紹介しても構わない、病院慣れした神さまは、快諾してくれた。
 
躊躇しても始まらない、そろそろ打ち明けよう。
俺は珈琲を啜り、一旦気持ちを落ち着けた。

ところが、番狂わせが起こった。
 山崎先生は顔色一つ変えず、何の前触れもなく口を開いた。

「ようやく、愛しいアナタと再会できた。
遥か昔、また逢おうと約束して、年月が経ってしまったね」

 「愛しいアナタって…ゴホッ、ゴホッ」

突拍子もない告白に、俺は仰天した。
あろうことか山崎先生はボソボソ小声で、しかしいきなり前世について切り出した。

アブナイったら、ありゃしない。
珈琲を電子カルテのキーボードに、吹き出しそうになった。

ハンドタオルで口元を抑え、何とか堪えた。
同時に、二週間前の夢を振り返る。

そこで過去、俺はクレオパトラの側近か、踊り子だったと判明した。

彼女の肌に香油「キフィ」を塗っていた。さらに
宝石を散りばめシャラシャラした、華美な衣装を身に付けて踊っていたんだ。

でもこのシーンは、山崎先生との出逢いを思い出すような、ヒントは浮かんでこないなあ。

だとすると記憶の底に眠る、他の過去生が、新たに判明するのだろうか?

先生の告白によると、おそらく俺たちは恋人同士だった。もしかしたら、男色だったのかな。

古代ギリシア以前から、ごく普通の習慣だった。カエサルや皇帝ネロ、最高神のゼウスも然りだ。

当時、生きていたならば、それはあり得るな。

もちろん後で、詳細を確かめよう。
さすがに先生も珈琲を啜っている、気持ちが落ち着いたら、話すつもりだろうしね。

しかし驚いたな。
敏感だった山崎先生も、何かの拍子に、前世の記憶が蘇ったのだろう。

そこで切ない別れをした恋人が発覚したら、やはり相手を探したくなる。

身近な存在、同業者からあたるのが無難だ。
例えば俺も総合内科専門医の資格を持っている、名簿を見れば分かる。

そこでピンと来た名前が、俺だったとする。
ひょっとしたら後輩の辰野先生を経由すれば、繋がるかもしれない。こんな時の勘は、ビビビッと冴え渡るもんだ。
 
「羽沢先生、驚かせてごめんなさい。
前世で僕は、アナタとの約束を果たせなかったから。まず先に伝えて、謝りたかったんです。
これから、説明しますよ」

俺が頭の整理を兼ねて黙っていたら、先に先生が冷静になったのだろう。

左手で短髪を撫でながら、過去の恋人に、謝ってくれた。

当時も再会を約束するくらいだから、優しい人だったのかもしれない。

現在の穏和な雰囲気も、俺としては当時の人物像を思い出す、ヒントになるかもしれない。

「俺は当時の記憶が蘇ってないんです…謝って頂いて、逆にすいません」

なんだか申し訳なくて、返事をする声が震えてしまった。

「妻を、亜子を同席しても構いませんか?
おそらく彼女も、繋がりがあるでしょう」

亜子の方が、何かと鋭いし。
歴史に関しては俺の方が詳しいから、相乗効果を期待できそうだ。

「もちろんです。
亜子さんの前世も、僕は知りたいです」
 
山崎先生はどうぞ…左手を差し出し、了承してくれた。亜子の過去生にも興味を持っているようだな。

亜子の前世は、皇帝ネロのお抱え職人だった。
彼は黄金宮殿の壁に、当時流行したグロテスク模様を装飾したんだ。

それは後ほど、まとめて話せばよい。

「では、失礼します」

俺は椅子から立ちあがり、山崎先生の右横を通り抜けた。

出入り口を開けると同時に、受付へ声をかけ手招きした。

「亜子さん、手伝ってくれないかな?」
「あっ倫太郎先生…分かりました」

敢えて普段通りに声を掛けたが、面接の途中にナースを呼ぶなんて、まず有り得ない。

異変を察したのだろう亜子は、素早く受付から出てきてくれた。
 
幸い岸田主任と桜井主任、事務の荒川さんと木村さんは、談笑している。
非常勤医師の採用、期待に胸を膨らませているのだろう。
俺の変化は、気が付いてない様だ。


「倫太郎先生、どうかしました?」

目の前に立った敏感な亜子は、耳打ちした。

「実はとんでもない、展開になった。山崎先生と俺は前世の一時期、恋人同士だったらしい」

「ええっ、凄い偶然だ…」
亜子は目を見張り、自分の口を押さえ、声が拡散しないよう配慮した。

「一緒に記憶を辿ってくれ。神々の主治医である説明は、そのあとだ」
「うん、分かった」

山崎先生は神々の主治医を務める当院へ、就職して下さるだろう。
と言うのも、前世では神々と深く関わりのある生活を、送っていたはずだ。

過去生の記憶が蘇った際、先生はそれを垣間見ただろう。それでも躊躇せず、当院の面接に来て下さったからね。

亜子と俺は揃って、診察室の中へ入った。


お時間を割いてお読み下さり
どうもありがとうございました

写真 文 Akito

 

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