「とんだ火山違いよ。桜島どころか、ヴェスビオス火山じゃない。アタシのイタリア飛行は、ここらかスタートした」
デコトラドライバー長谷川真紀子さんこと、真紀ちゃんはタイムリミットの48時間より早く、ほぼ24時間で、時空の移動から帰還した。
彼女は昨日の水曜日、18時に忽然と行方をくらました。
俺たちの予測どおり、涼君と早苗さんが仕掛けていた。
ミラー会議の途中で「居眠り運転による事故」を起こしたと、会社から報告があった。
しかし事実は異なる、事故ではない。
鹿児島の志布志港から荷物を載せフェリーに乗船した彼女は、大阪港で下船した。
大阪で荷物を降ろし、新たに積んだ。それらを配送先の倉庫へ卸しつつ、帰路に着いた。
物流独特の過程を利用され、時空を移動した。
イタリア半島上空をほぼ一周した彼女は、一夜明け早朝5時、トラックを運転し帰宅した。
俺たち主治医は、ヘルメスに彼女を受診させるよう昨日、伝えていた。
彼女のかかりつけ、美月クリニックは木曜日は休診日だ、ウチへ受診してもらった。
ハードな工程をこなしたから、できるだけ早い方がいい、昼休みの時間を利用した。
幸い真紀ちゃんは外傷もなく、大きなストレスも被ってなかった。
これは冥界の遣いでもあるヘルメスが「心身の危険を跳ね返す魔術」を、2頭の蛇が巻き付く「ケーリュケイオンの杖」に仕掛けた効果だった。
杖を首からぶら下げると、魔術は効果を発揮する。作用時間は、余裕を持ち48時間とした。
万が一、彼女を救出に向かう場合も、じゅうぶんな時間だ。
「真紀ちゃんが命の危険に晒されて、馴染みのない神々や妖精が目撃したら。俺は恋人を冥界へ連れて行くことになる」
だからヘルメスは事態を予期して、あらかじめ対処をした。
真紀ちゃんも不思議な出来事はいつか遭遇する、半ば覚悟していた。
それが昨日だった。
「間もなく家に帰れる。アテナやメルちゃんと、夜ご飯を食べに行こうって、力を抜いた正にその時よ」
ヘルメスのローマ神話名は「メルクリウス」、愛称でメルちゃんなのだろう。
メルちゃんの元へ早く帰りたい、彼女は例の幹線道路を走行中、前方で手招きする男女が視界に飛び込んだ。
歩道があるから、通行人はいた。
しかし誰一人、手を振る男女に気が付いてない。
「トラックのスピードに合わせて、伴走できる人間はいないでしょう?
振り返る人も、いなかった」
空中に浮く二人はトラックを伴走しながら、手招きを続ける。
メルちゃんから聞いた「タイムスリップした二人」に違いない。
真紀ちゃんは、トラックを路肩に止めた。
深呼吸をしながら、ヘルメスの愛用品「翼の生えた帽子」をかぶり、魔術を掛けた「ケーリュケイオン」の杖を袋にしまい、首にぶら下げた。
「自分に魔術を掛けました。古代ローマの神々と女神よ、どうかアタシを守って下さい…」
彼女は祈りを捧げ、運転席から降りた。居眠りどころか、ますます目は冴え、緊張が走る。
まして最近は、神スマ美容家アリアドネから貰った、女神のサプリメントを飲んでいる。
長距離ドライバーにとってそれこそ命取りになる、睡魔に襲われなくなった。
置き去りになったトラックを発見した人間界の視点では、居眠り運転でガードレールにトラックの左ボデイを擦り、ドライバーは逃走した、事故扱いとなった。
しかしこれは涼君と早苗さんが、「辻褄」を合わせたに過ぎない。
さてトラックを降りた真紀ちゃんは、二人に話しかけた。
「涼君と早苗ちゃん、初めまして。アタシは長谷川真紀子よ、何か相談があるの?」
無言のまま頷いた二人は、どんどん先へ進んてしまう。
ここでは話せない事情があるのだろう、彼女は後に続いた。
早苗さんの旧職場、ミッション系の幼稚園へ繋がる道を歩いていた。
しかし前触れもなく、地元の風景は消えた。
「次に現れた景色が、桜島だと思ったヴェスビオス火山だったの。
時空を移動したって、理解したわ」
「真紀ちゃんは荷物の輸送で、鹿児島の志布志港からフェリーに乗船しただろ?当然、桜島も見えた、だから勘違いしたんだ」
神々ご用達タクシー・バタフライのように、瞬時に時空を超えた真紀ちゃんは、仕事がら慣れ親しんだ鹿児島どころか、ナポリ湾の上空を飛んでいた。
数メートル先に涼君と早苗さんが、彼女を誘導するように両手を広げ飛んでいた。
「改めてみると姉妹都市、鹿児島市とナポリ市は風景が似ているな」
中でも錦江湾の背後にそびえる桜島と、ナポリ湾とヴェスビオス火山の景色が、良く似ている。
古代ローマ、ポンペイの遺跡が気になるが、今は話題にならない。
「どちらも青い海の先には、古の時代から噴火を繰り返してきた、活火山を望むのね」
俺は電子カルテに入力しながら、亜子は真紀ちゃんのバイタルサインを計測しながら、スマホに開いた二都市を見比べた。
真紀ちゃんはヘルメスの「翼のついた帽子」を被り、時計まわりに、イタリア半島の上空を飛行した。
ヴィアンキ家に関係するであろうローマ、フィレンツェ、レッチェを経て最終的にローマの郊外、ティボリにある「エステ荘」へ到着した。
涼君と早苗さんは州や都市の名前以外は、口を利かなかったそうだ。
それでも地図に慣れている真紀ちゃんは、上空から主要な都市の位置を、覚えてしまった。
因みに初めてのイタリア旅行だ。
「倫太郎先生や亜子さんを茅ヶ崎海岸まで追いかけたり、旧職場のマリア像を見てまわったり。一体何が目的なの?
ここまで連れ回したからには、そろそろ話しをして頂戴」
翼の生えた帽子で飛行してない分、さすがに疲れたのだろうか?
彼女は歳下の二人が、口を開くのを待った。
そんな尋常でない旅を語る真紀ちゃんの血圧は、150/90mmHg、脈拍100回/分だ。
度胸のある彼女も、初めてのイタリア旅行は血湧き肉躍るってもんでしょう、体は正直だな。
後で亜子が血圧を再検してくれるだろうし、彼女が落ち着くまで時間を置こう。
さてバイタル測定を終えたら採血と心電図、レントゲン撮影だな。
神業とは言え、イタリア半島をほぼ一周した。
人間の彼女は不整脈の発生や、感染症などの罹患も否定できないからね。
亜子は真紀ちゃんの左上腕を駆血する。
穿刺部を消毒し、丁寧に穿刺した。
「オルガンの噴水に、水が吹き出たタイミングで、二人は口を開いたわ。
まず最初に詳細は明かせない、神ではないから歴史を歪める可能性がある、前置きした。
でも過去のアタシが、バリーニ家かヴィアンキ家に属した事は、間違いないそうよ。だからゆかりのあるアタシを、連れてきた」
真紀ちゃんはスピッツに溜まっていく赤い血液を眺めながら、やや声のトーンを落とした。
「早苗さんと涼君と言い、二人を助けた画家のムネメ、そして姪にあたるピアニストのムネメも、現在は魂の状態で、彷徨っているらしいの」
画家のムネメと、ピアニスト・ムネメは、叔母と姪の関係だった。
ムネメには姉がいたそうで、彼女の長女がピアニストになった、これは初耳だ。
しかしピアニストが身を隠す様に生きた理由までは、明かさなかった。
一族の歴史が、変わってしまうのだろう。
「現代から過去へ時間を遡り、未だに彷徨うヴィアンキ一族の魂を救って欲しい、託されたわ。
それが涼君と早苗さんを、我が子同然に可愛がってくれる、二人のムネメの望みなんだって」
亜子は血算と生化学、スピッツ2本分の採血を取り抜針した。
真紀ちゃんの全身状態は、検査で判明するし治療もできる。
過去に生きたヴィアンキ一族の魂が、現代まで彷徨う原因を消さなきゃ、成就しないだろう。
それは俺たちが新たにヒントを発見した、一族の野望だろうなあ。
カルロ枢機卿は、ローマンカトリックから除名になった。
古代から存在する、多神教の神々に頼りたい気持ちは分かる。
そして紀元元年から、共に存在したバリーニ家の力も、当然借りたいだろう。
「ヴィントレットとカルロ枢機卿は、アケローン河の船着き場を、彷徨っていたでしょう?
敢えて脱走する様に仕掛けたのは、二人のムネメだった。
その結果、予想以上にパワフルに動き回った二人とワルキューレのお陰で、衝突事故にあったメルちゃんは腹腔内出血を起こした。
文化遺産に等しいヴィーナス教会や洞窟まで、害を及ぼし申し訳ない、謝っていたわ」
心電図を始めるから、ここで真紀ちゃんは口を閉ざした。
「俺が心身の危険を除去する魔術を掛けてなかったら、真紀ちゃんは魂の状態になったろう。
そのままヴィアンキ家の彷徨う魂たちの元に連れていかれ、協力する事になったろう」
案の定、俺と亜子は真紀ちゃんと同じ目的で、茅ヶ崎海岸へ追い詰めたそうだ。
アテナに助けられた。
「倫太郎、俺達の方向性は正しい。このまま新再生ネクタルを造り出せば、ヴィアンキ一族の魂を救えるさ。同時に、現在は点々と判明しているヴィアンキ家の過去が、徐々に繋がるよ。
もはや事故の記憶が戻らない事は構わない、むしろ救わにゃいかん…」
ヘルメスは最後に命の恩人と慕う、一太の口癖を真似た。
かつては泥棒の神でもあった自分が、人間を救うとは。随分長い時間を生きてしまった、ニヤッと照れ笑いした。
ところで涼君と早苗さんは旧職場のマリア像にこだわる理由や、水を嫌う理由までは打ち明けなかった。
にも関わらず噴水の前で相談し、前回と同様に水の中へ、震えながら姿を消した。
前回心許ない二人を見送ったのは、ペガサスのネロとオト―だったが、今回は真紀ちゃんだった。
水を通り抜ければ、一族の彷徨う魂が待つ、エリアなのだろう。
例え水が苦手でも、ここが「通り道」なのだと、協力を求める俺たちに、はっきり示した訳だ。
一方、マリア像にこだわる理由は「消えた両家の記録」を保管する、聖クララ修道院と関係があるのではないか、プルートとヨナスは推測する。
場所は移動したが、修道院は残っている。
「アタシの前世は、どちらの一族に存在したのか不明よ。だから感情移入することなく、二人の告白を冷静に受けとめられた。もちろんメルちゃんの魔術が、守ってくれたお陰よ。
それでねえ…」
診察と検査を終えた真紀ちゃんは、これからはもっと皆の力になれると、はにかんだ。
血圧も正常範囲に戻った。
ちなみに「居眠り運転、消えたドライバー事故」は、自然と消えてしまった。
イタリアから輸入した食品を大阪で積んだ長谷川真紀子は、取り引き先の倉庫に卸しつつ、きちんと会社に業務終了を報告した。
もちろんデコトラの傷も、消えていた。
これは全能の神であり、ヘルメスの父親ゼウスが魔術を掛けたからだ。
「アレス並みにやんちゃな息子が、真紀ちゃんに世話になっとる、ここはワシの出番だ。
彼女は女神のサプリメントや酵素のお陰で、徐々にワシらと似た体になっている。
この意味は、間もなく真紀ちゃんが、ヘルメスの妻になるからだ。この機会に皆へ発表する」
ゼウスは途中で終えたミラー会議の最後に、突然二人の結婚を報告した。
ヘルメスは一瞬キョトンとして、発表はまだ先のつもりだった、逆に驚いていた。
神と人間の結婚は、やはり特別な課程を踏むらしい。
真紀ちゃんはケンイチさんやガレノスの様に、人間から不老不死になる、ゼウスは女神ウエスタに許可を取った。
俺が計算した月桂樹をネクタルに混ぜて、ウエスタ神殿で香油の様に炊いた時だ。
「姉さんの神殿をレンタルした際に、まずは報告したんじゃ」
酒神ディオニュソスへ嫁いだアリアドネも、太古の昔は人間だった。
だから「アニュソス・レッドシリーズ」女神のサプリメントや酵素を真紀ちゃんに勧め、スムーズな変身を促していた。
ここまで来ると真紀ちゃんの体験は、背後でゼウスが見守っていた。
俺たち主治医は、そう捉えている。
表面的にはヴィアンキ家の彷徨える魂が、事態をたまたま起こしたに過ぎないんだ。
ゼウスならば特別な結婚発表の、機会を逃さないだろう。
まして親子関係にある神々には、受け入れて貰いたいだろうなあ。
「ミラー会議は豊穣の神クロノスや元御典医ガレノス、神々の重鎮が揃っていた。ゼウスは絶好の機会に、息子の結婚を打ち明けたな」
ミラー会議が急遽終了になったので、直人さんはプルートへ、結婚祝いの相談をしたらしい。
確かに人間界の常識で良いのか、サッパリ分からない。神饌なのだろうか?
「真紀ちゃんは、芯が強い人だからこの事態を乗り切る。ゼウスは息子の奥さんを、紹介したかったんすね」
会議のあと裕樹はクロノスとガレノスと共に、新再生ネクタル造りに取り掛かった。
場所はバリーニ本家の、敷地内だ。
フォロ・ローマノから離れ、ローマ郊外のアッピア街道沿いに位置する。
このタイミングで真紀ちゃんは、イタリア上空を飛行していた。
クロノスの親友の一人に、魔術では誰一人敵わない、ヴォータンがいる。
神々の頭の中で、彼女の飛行する様子が見て取れる…こんな魔術の依頼は、急遽可能だろうか?
黙々と作業を勧める二人の様子に、裕樹は疑問を抱いた。
因みにゼウスはヘラを伴い、志乃さんと大樹を連れて「夜のローマ郊外」を、なんとまあロマンチックに案内したそうだ。
「古代ローマはのう、双子の兄弟が王様となり、建国したと言われるんじゃ。なかなか可愛い始まりだろう?」
大樹を抱っこする好好爺ゼウスは、二人の王様がおさめたローマは、二つの丘から始まった。
昔話しをしつつ、星空を指さしたそうだ。
「アーリイは賞味期限48時間のブッラータチーズを、お土産に持参してくれた。
ヘルメスの魔術と、同じ作用時間だなあ…思いの他早い結婚を、伝えたかったのかな?」
「真実は最高神のみぞ知るね」
俺と亜子は賞味期限内に、バター風味で中から生クリームが出てくる、ハマると危険なくらい濃厚で美味いチーズを食べ切った。
とにかく真紀ちゃんがデコトラを運転する、タイムリミットが近づいている。
「これからは、もっと皆の力になれる」
彼女も結婚を明かしてくれたからね。
ヴェスビオス火山、ポンペイの遺跡だってさ、古代ローマを知る重要な手がかりだもんなあ…。
当然、古代の神々も存在しておられた。
最高神ゼウスは真紀ちゃんに、自分が守ってきた長い歴史を持つ古代ローマ世界を、少しでも知って貰いたい。
同時に、かつては栄華を誇ったであろうヴィアンキ一族を、飛行しながらイメージを膨らませて欲しかったのだろうか。
最高神にとって、ローマで懸命に生きた人間たちなのだからね。
お時間を割いてお読み下さり
どうもありがとうございました
写真 文 Akito