水曜日、21時。
俺と亜子はリビングのソファに腰掛け、サラサラ蕎麦を啜っていた。

蕎麦は黒っぽい、だからサラダはイタリアの三色旗さながら、野菜とチーズのフレッシュな緑白赤が際立って見える。

より美味しく感じるのは、視覚効果だけでなく、本当に上手い「中華マン」チーズだから。

そう外見は中華マン…ブッラータ・チーズの中央に十字の切り込みを入れたら、生クリームがトロリと溢れ出た。

レッチェも含まれる、プーリア州の名物チーズはバターも混ざる、濃厚でクリーミーだ。
 
バジルとキュウリ、レタス、アボガドとミニトマトを付け合せ、美味しゅうございます。

しかし、ソファがテーブルの代わりだ。
全く洒落てないし、お行儀も良くない。
オホホッ、ごめんあそばせ。

これからお楽しみの、ミラー会議だ。テーブルの上に、長方形の姿見を横向きに置いた。
 
総勢17人が顔を出すには、横長の鏡はちょうど良い面積だ。
 
およそ二時間前プラセンタを打った、元々女優さん並みにお肌ツヤツヤなナルキッソスが、本日も中継を繋げる。
 
エロスとケンイチさんもプラ注射のおかげで、疲労の回復が早い、効果に喜んでいた。
俺達と同様、慌ただしくローマへ戻ったが、会議に出席できる。
 
なんてったって今日は、プルート・バリー二とヨナスも出席する。
例の「消えた当家の記録」について、報告書を参考に、解説する予定だ。

想像するだけで、「時間冒険旅行」へ旅立つような気分だ。
 
さっそく酒神ディオニュソスが現れた。

「ミラー会議とネクタルのアドバイス限定で、今日から解禁だよお。皆と顔を合わせると、元気になりたい気持ちが、維持できるんだ」
 
「ディーオが、ご心配をおかけします。採血では病気の特徴、炎症反応や白血球の上昇もありませんわ。
倫太郎センセから体調の良い時間を限定で、オッケーを貰いました。少しでもお役に立ちたい、それがディーオの意欲になりますわ」
 
会議のスタートを盛り上げた、酒神と神スマ美容家夫婦の報告に、一同拍手でエールを送った。

そうそう珍しいブッラーダチーズの賞味期限は48時間、これは夫の診察に付き添ったアーリィのお土産だ。

実は以前、クリニック近所のスーパーで、このチーズと間違えて、中華マンを買ってしまった。
中央から十時の切り込みを入れて、薄茶色の中身に仰天した、だろうなあ。

フフッ…やはりキュートな神スマ企業家夫婦は、ムードメーカーだ。

すやすやオネムさん大樹を抱っこする好好爺ゼウスも、二人の仲睦まじい様子に、シルクのターバンで涙を拭き、あらまあ思いっきり鼻をかんでいるよ。
 
先週デオニュソスから、新再生ネクタル造りにアドバイザーとして参加したい、希望があった。

微熱や疲労感は残る。
しかし体に負担が掛からない程度、新再生ネクタル造りへ関わるのは、彼のメンタルヘルスには良いと判断した。
 
だから神スマ美容家アーリィはお手の物、休息のバランスを確保、栄養管理を引き続き頼んだ。

かつ抗不安薬の内服と、プラセンタ注射も継続する。プラセンタは自律神経を整え、免疫力を高める。慢性疲労症候群の治療にも有効だ。

治療のエビデンスは人間が基本だけど、神々は不老不死だ。
ディオニュソスのように回復のリハビリを、早めに取り入れた方が、適切な場合もある。
 
 
続いてヘルメスとアテナが、へパイストスの術後経過を話し始めた。
 
「月曜日ドクター辰野の執刀で、左人工関節置換術を受け、問題なく終了した。翌日火曜日から、歩行練習を開始した」
 
知恵の女神らしく、簡潔明瞭な説明が始まった。
 
「ヘパイストスを担当する理学療法士は、20代の石川君だ、勉強もしているし経験も豊富だ。彼のお陰でリハビリ中に転倒もなく、順調に進んでいる。来週は階段の昇降を予定して…」
 
ふと、アテナが口をつぐんだ。
 
「アテナ会議から抜けるよ、着信だ」
「着信?真紀子さんではないのか?」
 「違うよ」
 
おやっ?
真紀子さん以外からヘルメスに着信は妙だ、アテナも一瞬、怪訝な顔をした。

ヘルメスは詳細を明かさず、スマホを片手に、いそいそベッドから降りて、ミラーの画面から消えてしまった。
 
「彼女と俺達主治医以外に、ヘルメスに連絡する人物はいるかな?」
思い当たらない。
まして神々は、人間の機械を持たない。
 
「一太君は、夜勤でしょう?
直人さんと祐樹君も、スマホは触れてなかったから、相手は誰だろう?」
 
俺と亜子だけでなく会議に出席するメンバーも、
ヘルメスの不可解な言動を見逃さなかった、黙りこくってしまった。
 
 
「中断して失礼。それでリハビリの目標は、杖なし歩行だ。おそらくヘパイストスは、入院中にそこまで回復できる」
 
知恵の女神アテナは、テキパキ説明を再開してくれた。お陰で一同は再び、彼女の報告に耳を傾けた。
 
「退院まで、長くて3週間だ。アレスは彼の奥さんアフロディーテに、ゼウスは母親のヘラに病状を伝えてくれ」
 
「アテナ、任せろ。アフロディーテは毎日、回復を祈ってるぞ。一度、見舞いに行くつもりだ。
なあ、父さん?」
 
「おおっそうじゃ、ヘラと日程を合わせている。母親だからの、心配でたまらんのだ。手術日はウエスタ神殿に籠りっきり、月桂樹の香油を焚いて祈りを捧げていたんじゃ」
 
アレスとゼウスは、誕生以来初めて手術を経験した夫と息子を心配する、妻と母親の様子を伝えてくれた。二人の女神が真剣に祈る姿は、さぞ美しいだろう。
 
「まっ、参ったなあ…通話を終えたら…イッ、息が苦しくなりそう…」

顔面蒼白なヘルメスが通話を終え再登場した、やはりトラブルのようだな。

 彼の呼吸は浅くて速い。アテナに支えられ、やっとこさベッドに腰かけた。
額からは、大粒の汗が滴る。
 
「倫太郎さん、ヘラと同じ発作が心配」
「うん、過換気発作を起こすかもしれない。ヘルメス…」
 
彼の状態に危機感を抱いた俺は、口を開いた。

「ヘルメス、僕の声が聞こえるかい、直人だよ。息を吐こう、自然に空気が入るからね。アテナは深呼吸を、誘導して下さい」

「ドクター直人、了解だ」
 
一足先に、直人さんが対処を促してくれた。
ああ良かった。
思わず、手汗を拭いてしまった。

アテナはヘルメスに呼吸を合わせるよう、背中をさすりながら調子を取っている。
 
 
「ガレノスも含めて医者は4人いる、ヘルメスは任せよう。ヘルメス、申し訳ないです。
僕らは、一先ず会議を進めようか」

「ええ、長丁場になりそうですからね。ヘルメスさま、先を進めております」
 
事態を正視していたプルートとヨナスが、仕切り直ししてくれた。

「20世紀初頭アレッサンドロ・バリー二は、当家とヴィアンキ家にまつわる記録を、聖クララ修道院へ預けた」

直ぐに、現当主のプルートは「消えたバリーニ家の記録」について説明を始めた。1900年から1910年代にかけて綴った物だ。

俺は深呼吸を続けるヘルメスの様子を気にしつつ、何度も読み直した報告書に目を落とす。

亜子は蕎麦とサラダを片付けてくれた。
もはや空腹は感じない、

フィレンツェにある聖クララ修道院は、次男ヴィンチェッロ・ビアンキが、児童養護施設を併設した。
 
「長男ヴィントレット・ヴィアンキと、三男カルロ枢機卿亡きあと。バチカンは、カルロを異端とみなして除名した。カルロ枢機卿に疎まれた枢機卿らが、結託したんだ」
 
こういう流れって、カトリックの世界でも多いから、カルロ枢機卿の除名は容易かっただろう。
まして彼も、ヴィアンキ家の野望を遂げるために、手段を選ばなかったそうだしなあ。

ここで平行し、かつ時代を遡り考える。

プーリア州に八角形の城「カステル・デル・モンテ」を建築したフリードリヒ2世も、ローマ教皇から二回、「異端」とされたんだ。

ローマンカトリックだったけと、彼の政策と反りが合わなかったのね。カルロ枢機卿と、偶然が重なる。

因みに八角系のお城は、当時カトリックの中心だったフランスのシャルトル大聖堂と、イスラムのメッカを結ぶ、一直線上に位置する。

フリードリヒ2世は、語学だけでなく数学や天文学、博識だった。
イスラム文化圏の影響も、受けていたらしい。
彼の頭の中では、全ては調和していたんだな。

やがて時は流れピアニスト、ムネメ・ヴィアンキは、レッチェルの街へ行くすがら、八角形の城に足を運んだ。
 
となると。

ヴィアンキ家は「早く生まれ過ぎた天才」フリードリヒ2世からも、何か求めたのではないか。
それは神々を超える力を持つ野望と、関係あるのではなかろうか?

俺たちの中で新説が浮上したが、もちろん結論は出てない。
ミステリアスな皇帝同様、ヴィアンキの真実も謎のままだ。
 
「ところでアレッサンドロは、カルロ枢機卿の除名処分は反対した。
理由はヴィアンキ家の祖先も、イエスの時代から生きていた。当家と同じく、初期キリスト教徒から始まったからだ。
除名を覆せなかったのは、既にアスコリ・バリーニ枢機卿が肺結核を患い、残念ながら勢いを変える力が無かった」
 
そうそうアスコリ枢機卿は30代末で世を去って、早々に直人さんとなり誕生した。

同じように俺達も、時代に巻き込まれて早世したらしい。
アーメン…ってカトリックではないけど、捧げたくなる。

そして今世は、更に太古の昔から生きている神々の主治医となった。
かつヴィアンキ家と関わっている。

アレッサンドロの優しさは理解できる、ここまでの経緯は、必然だったのかもしれないな。
 
「除名を覆せず、悩んだアレッサンドロは。
せめて記録だけでも、両家にゆかりのある聖クララ修道院、擁護施設に預けた。
ヴィンチェッロは創設者だが、名前は伏せていた。カムフラージュは役立った」
 
「アレッサンドロとヴィンチェッロは、深い人間愛を持っていたんだな。
カルロ枢機卿やヴィントレットは、バリー二家に代々伝わるイエス最後の弟子、マリの記録も狙った。それでも黄泉の国へ旅立った二人を、救おうとした」
 
腕組みをする裕樹は目、を閉じた。
そしてボソボソ般若心経を、唱え始めた。

腕が痺れたゼウスに代わり、大樹を抱く元御典医ガレノス、そしてクロノスも、般若心経を唱える裕樹に目を細めている。

フフフッ、一太を見習ったんだな。

裕樹は当時フィレンツェで活躍した、チェーザレ・バリー二医師の生まれ変わりだ。

今回滞在するのはローマだけれど、奥底に眠った記憶が、蘇るかもしれない。
彼もそれを期待している。

前世が不明なのは、俺だけじゃん。
「ああ、イタリアに帰りてえなあ…」

あれっ?
思いもやらない言葉が、口をついだ。

「倫太郎さん、急にどうしたの?」
亜子に左膝を突かれ、顔を覗き込まれた。

「いいや、時間冒険旅行に行きたいだけ」

自分でも理由が分からないから、説明できない。
でもイタリアへ帰りたい、体の奥から、つき動かすような衝動に駆られたのは確かだ。


「プルート、話しの途中でごめんよ」
ここでヘルメスが割って入った。
ああ、良かった。
呼吸は平静に戻ったな。

「いいえ構いません、僕の話しは、急ぎませんからね」

アレッサンドロと血の繋がるプルートも、回復したヘルメスの状態に安堵したのだろう、微笑んでいる。
 
「実は真紀ちゃんが、幹線道路で居眠り運転をした。事故を起こしてしまった、会社から連絡が入ったんだ」

えっ?
誰もが耳を疑い唖然としたのは、緊急事態を知っただけではない。

 一報を聞き、過呼吸を起こしかけたヘルメスが、意味ありげにニヤッとしたからだ。

不可解なサインに、親友のディオニュソスだけでなくエロスとナルキッソスも、呆然としている。

俺は昼間走行した幹線道路のルートが、走馬灯のように浮かび、一瞬背中がゾクッとした。
 
「デコトラは、ガードレールを擦りながら停止した。左ボディの桜吹雪模様に、長い傷が出来てしまった。その上、連絡してくれた会社の上司と、警察は、非常に困っているんだ。
居眠り運転をした真紀ちゃんが、行方不明だからね。でも、真相を一般的な人間界の基準に当てはまるのは、ナンセンスでしよ?」

デコトラが止まった場所を左折すると、「あの幼稚園」に続く道だと、補足した。  

 ははーん、そう言う事か。
なんだか霧が晴れたきた。

「真紀子さんは神隠しに遭った、我々はこのように、理解しましょうか。
カトリックの世界でも、起こるとされています。
まして新再生ネクタル造りも進む、このタイミングならば、あり得ましょう。
 ねえ、倫太郎先生?
時間冒険旅行も、そろそろ必要ですって」

「神隠しでも時間冒険旅行でも、真紀ちゃんが無事なら、何よりだよ」

最近ケンイチさんの黒い二つの瞳に、見据えられると、身動きが取れなくなりそうだ。

ヘパイストスの十八番、動けなくなる魔術を、かけるようだもの。

クールな補佐は、プラセンタ2アンプルの効果で、ますます冴えてる。
人間だったとは、思えない。

「直人、アテナ…そしてみんな、心配かけてごめんよ。驚かすつもりは無かったんだ」

ここで、ヘルメスが詫びた。
自分も真紀ちゃんと同様、「幹線道路から続く道」でヴィアンキ家の二人から、狙われた。

まして未だに腹腔内出血を起こした、当時の記憶は戻らない。
複雑な思いが重なり、胸が締め付けるようだったと、呼吸苦の引き金を明かした。
 
「デコトラ傀道命号に乗る真紀ちゃんは、旅の神である俺の恋人だ。神隠しは、動じないよ」
 
冥界の遣いでもある神ヘルメスは、自分の経験を踏まえ、万が一を想定し事前に対処していた。

真紀ちゃんに神隠し…時間冒険旅行を切り抜ける方法を伝えて、脱出できる魔術を掛けていた。

「命の恩人、大事な恋人は、48時間以内に戻るだろうから、安心してくれ」 

ヘルメスは頬を赤らめ、今度はニヤッと笑った。
 
「ワタクシが持参した中華マン・チーズのタイムリミットと同じですわねえ…オホホホッ。
彼女は女神のサプリと、酵素を飲んでます。
ワタクシ共と同じような心身に、変化しつつある。更にヘルメスの魔術が掛けてあるなら、大丈夫ですわよ」

緊急事態に、会議は中断したけれど。

最後にムードメーカー神スマ美容家は、真紀ちゃんの帰還を、朗らかに願ってくれた。



お時間を割いてお読み下さり
どうもありがとうございました
写真 文 Akito
 
 

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