「涼君、あなたのご両親は、美月先生の自宅付近に、今でも住んでいるのですよ」
「早苗さん、お母様は子宮癌の末期。あなた方を探して、治療が遅れてしまったんです」
俺と亜子は、ジリジリ波打ち際に追い込まれていた。それでも二人へ、問いかけていた。
「お前たちは、ヴィアンキ家の生まれ変わりだ」
「我々に、協力すればいいだけよ」
相変わらず、家族に関しても返事をしないな。
俺達の弱点を突いて、揺さぶりを掛けてきた涼君と早苗さんのしわがれた声が、穏やかな波の音以上に聴こえた。
ザザーン…ザザーン。
満月、スーパー・ムーンだからなのか、浜辺はつい先程まで夜遊びやら、SNSへ投稿だろう撮影する歓声が上がっていたんだ。
既に、人っ子一人いない。
魔術の仕業なんだろうが、ちょうどいい。
亜子と俺は、二人を医療者の視点で「観察」していた。
だからスーパー・ムーンが放つ光は、「ライト」の代わりになる。
背後に波打ち際が迫るのは、百も承知しているよ。トホホ、生身の人間なもんでね、魔力は使えないのさ。
「ティボリへ、ハドリアヌス帝の別荘へ案内してもらおうか」
「抵抗するならば、アフロディーテが誕生する前、海の泡に戻ってちょうだい」
「ライト」から診る二人の視線は、俺達に向けているものの、虚ろなんだよな。
もちろん目を覚ましているし、意思疎通は出来るよ。
アフロディーテの誕生まで皮肉に使う、思考もあるのだろうけど。
でも虚ろな視線や、しわがれた声といい、二人の全身状態は「何か変」だ。
かつここまで「任務」に関わる内容しか、言葉を発しない。
そして二人は、偏った食生活を送っているに違いない。
袖がふわりと筒状になったアンティークデザインの白シャツと、茶色のパンツスタイルでも、著明なるい痩が見て取れる。
サスペンダーで吊ったパンツも、ダブダブだ。
シャツから覗く鎖骨と肋骨は、かなり隆起しているな。
…倫太郎さん、二人の意識状態は「Ⅰのレベル」ではないかしら。
…えっ、ちょっと待てよ。確かめよう。
自分の前世が、右下肢を失ったリーモ・バリー二だと告げられた亜子が、最初に指摘したんだ。
彼女は手術というキーワードと、「何か変」な二人の全身状態を目の当たりにして、ナースの視点に切り替わった。
意識を把握するために用いる、「コーマ(意識)スケール」が浮かんだ。
そこから俺達は、二人の様子を観察してきた。
こんな窮地では、それしか出来ない。
せめて触診のチャンスは、ないだろうか。
不整脈を、キャッチできるかもしれない。
とにかく彼らは、なんらかの「診断」が付くだろう。
「涼君は駅近くの美容院へ務めていた、予約で一杯の、人気ヘアスタイリストさんでしたね」
俺の手を握る亜子の右手は、恐怖とシビアな過去生を知ったショックのためだろう、まだ震えている。
それでもナースの思考回路へ集中し、「意識状態を確かめる」質問を繰り返す。
「早苗さんは、幼稚園教諭でしたね。お絵描きとピアノが上手な先生で、沢山の笑顔に囲まれていました」
やはり、二人は答えないか。
俺達をある程度まで追い詰めて、味方のワルキューレなりペガサスでも呼ぶのだろうか。
しかしヘラの過換気発作を、極端に誘発するほど、過去の出来事を女神に見せつけるなんて。
二人はどの程度、魔力を使えるのだろう。
それも気がかりだな。
ザザザーン…。
うわっ、ついに逃げ場は海だ。
亜子とデザイン違い、平底のローマン・サンダルに海水が浸みてきてしまった。
それでも、二人の全身状態はざっくり把握できたぞ。
…亜子、二人は「見当識障害」と類似した、精神状態だ。これはタイムスリップが原因ではない、
おそらく薬剤性か他の影響だ、可哀想に。
…哀しいね、二人をこのままにしておけないよ。
お互い素早く、耳打ちした。
コーマ(意識)スケールを参考にすると、彼らは「刺激しなくても覚醒」している。
でもね、場所や日付が言えない。
そして自分の名前や生年月日が、何度聞いても出てこない。
そしてお互いを「名前」で、呼ばない。
これらを踏まえると、意識状態はやはり「Ⅰー3」だ。
刺激しなくても覚醒しているけれど、普通でない状態がある。
この意識状態は、身体になんらか原因があるに違いない。
もちろん最初は、無視を決め込んだのだろうと疑ってもみた、病気を装うとかね。
だから母親の羽田京子さんの病気、二人の職業までヒントを出してきた。
しかし空を見つめて、焦点が合わなくなる。
二人は、誤魔化しているのではない。
明らかに意識状態が、バランスを崩している。
そしてしわがれた声、嗄声の原因は何だ?
まさか食事の代わりに、過剰な喫煙や飲酒で済ましてきたのだろうか。
だからるい痩も著明なのか?
とにかく二人の心身状態を、このままにしてはいけない、精密検査が必要だ。
「これ以上、進めないぞ」
「往生際が悪いわ、諦めなさい」
ガシッ。
涼君と早苗さんに、俺達は片方の手首を掴まれた。亜子と目配せを交わす。
申し訳ないが、イチかバチかでこの機会を待っていた。
「ティボリへ。ハドリアヌス帝の別荘へ案内しますよ」
「海を通過すると、近道です。では、私達と一緒にいらして下さい」
ドボドボドボ…。
俺と亜子は二人をひっぱりながら、足首まで海水に浸る。
もう、鍛冶場のなんとやらだ。体感温度も麻痺しているのか、水温も感じないよ。
「やめてくれっ!水は近づくな」
「離して」
二人は物凄い力で抵抗し、砂浜へ戻ろうとする。
やはり異常に、水を嫌がるな。
よもやと思い、これも確かめたかった。
捨て身の作戦よ。
モネの庭には睡蓮の池がある、そしてローマはテヴィレ河、フィレンツェはアルノ河がシンボルだ。そして、ヴィアンキ家の拠点地だった。
拠点地であるからこそ、彼らは、水を嫌うような気がしたんだ。
本心から、一族に勤めているのだろうか?
意識状態が、それを暗示してやしないか?
さらに早苗さんは、モネの弟子になれず、二人は画家のムネメ・ヴィアンキに助けられた。
モネの庭は美しい池があり、色とりどりの睡蓮が咲き乱れていた。
「水」は、アーティスティックな才能を持つ繊細な早苗さんにとって、心のいたみを伴うような気がしたんだ。
まあ水を嫌う背景は、今後判明するだろう。
それでも再生ネクタルを手に入れる任務のためだろう、俺達の腕を離そうとしない。
やっぱり「何か変」、これはもう間違いないよ。
ザバザバザバ…。
しまった。
太ももまで、海水に浸かってきた。
うわっ、悪寒が走るほど冷たい。
心臓が止まらなくて、良かった。
クーッ…。
冷静になると、感覚が戻ってしまった。
冷てえ〜って絶叫したいが、グッと堪えた。
彼らはもっと、辛い思いをしたかもしれない。
「なぜネクタルを狙うのですか、神々を超える力を欲しいから?
僕らは生まれ代わりなのだから、ヴィアンキ家の野望を話してもらえませんか」
プルートや直人さんが昨年、二人を助けにタイムスリップしたが、それを拒んだ。
でも俺たちは、ルーツを辿れば仲間なのだから、今度こそ二人を…心身を助けたいよ。
「海から上がれ、さっさと従うんだ」
駄目か、答えない。
力ずくで、浜辺へ引き戻されていく。
しまった、亜子と距離が開いた。
俺の手はもう届かない、彼女は早苗さんに引かれ沖へ進んでいる。
「あなた達を、ヴィアンキ一族と末裔を救えるはずなんです、女神ウエスタとバリー二家もそれを心から望んでいます」
「ティボリへ、案内して」
るい痩や見当識障害はあっても、腕力では叶わないな。
任務であれば、嫌う「水」であれ底知れない「力」を発揮するのだ。
まさか、これも魔力なのだろうか。
「早苗さん、お母さんの夢に現れたのでしょう?涼君と貴女は本来、優しい…」
「アフロディーテは海の泡から誕生した。リーモは、戻るだけよ」
「あっ…亜子!」
亜子の声が途切れ、全身が海水に浸かった。
お時間を割いてお読み下さり
どうもありがとうございました。
写真 文 Akito