「大樹君のお爺ちゃま、お洒落ですね。アフロヘアで、白シャツと黒のワイド・パンツコーデも若いなあ」
「ええまあ…お世話様でした」
保育園の菜月先生は、両手を口に当てて驚いておる。
ヘアスタイルは、カオスから神々が誕生した古代から変えておらん。
アフロではなく、単なるくせ毛じゃ、巻毛。
今日のワシは日本人のお爺ちゃんへ完璧に変身した。だから、ターバンも巻いておらん。
しかしワシの変身より。
菜月先生、貴女はローマ神話の絵本を、読み聞かせをなさい。
日本神話と同じように、「子供にはナイショなドラマ」が、たんと潜んでおります。
それなりに、子供達にも伝わりましょう。
通販ぺガハウスで全12巻販売中、もちろん大樹も持っています。
ウブだった少年倫太郎君も、「教科書に載らない古代ローマ史」で、たんとお勉強しました。
そして真面目なウラ歴史は、時にシビアなんですから。
「ゼウス…ジーちゃん」
おっといかん。
今日は出来るだけ早く、美月クリニックへ戻らなければいかん。
「大樹、帰ろうか。パパとママは、お仕事中だからね。応援しに行こうか」
「うん」
ワシは大樹の柔らかく小さな手を握り、保育園を出た。
不慣れなエリアだが、ワシは方向音痴ではない。
凛ちゃんから借りたスマホの地図を頼りにできるし、およその道も覚えた。
これは寄り道癖が、功を奏したのじゃ。
さて、保育園を出て5分だの。
ここが、あの幹線道路か。
片側2車線あり、交通量も多いのう。
「ジーちゃん…アオだ」
「大樹、偉いねえ。青信号は、進む」
横断歩道を…いや幹線道路を横切る。
帰宅途中の学生や、会社員も多いな。
この道路を北へ進めばヘルメスが入院した市民病院、南は小田原厚木道路方面か。
そうだなあヘルメスは、しばらく真紀子さんの家で、お世話になった方が良い。
今ローマへ戻るのは、再び魂を狙われる可能性が高い。
フラフラ空を飛ぶのも、控えた方がいい。
ワシらを狙うのは、もちろんヴィアンキ一族だ。
「大樹、見てご覧。夕焼けがきれいだろう?」
神々を悩ませた原因の一つである道路とは言え、茜色の空を眺めると、郷愁にかられるのう。
「あかいねえ」
おおっ、西の空へ両手を振るなんて可愛い。
ちょうどペガサス模様の、シャツだ。
フフフフッ、大勢のネロ…ペガサスが低空飛行するようだのう。
ヘラに、見せてやりたい。
過換気発作なんぞ、途端に止むだろう。
「赤い空を進むと、爺ちゃんと婆ちゃんの住むローマだ。今度、おいで」
全ての道は…空も、ローマへ通ずってもんだの。
「うん、パパとママも行く」
「いい子だね、そうだよ家族でおいで。フォロ・ローマノで、いつも待っとるよ」
「ジーちゃん、ありがとう」
横断歩道を渡ったから、孫を肩車した。
フフフッ…。
ローマの街を、見渡せるかもしれんの。
今日は水曜日だ。
今頃倫太郎と亜子は過去生を告げられ、仰天しているだろう。
しかしワシが詩乃さんに代わり、保育園へ大樹のお迎えをしたと言ったら、ピッタリの役目だとゲラゲラ笑い出すに違いない。
フフフッ、ワシも楽しんどるから、こんな自分に驚いた。
いいや少しばかり、現実逃避したかったのかもしれんな。
最近神々の世界は、ますます立ち往生している。
まずヘラが二日連続で、過換気発作を起こしてしまった。
だから、こちらへやって来たのだ。
現在へラは健康診断に来たウエスタの巫女4人と共に、直人の診察を受けている。
その分、裕樹が巫女の健康診断を分担する、ナースの詩乃さんも超勤だ。
そこでワシの出番じゃ。
ホホホッ、保育園へお迎えもできる万能の神。
いやはやワシは大樹に、癒されておるが。
ヘラの過換気発作を誘発した原因も、ヴィアンキ家に関係する事件だったのだ。
しかもフォロ・ロマーノで「ケイ・バリー二」、新作の撮影中だ。
ちなみに菜月先生に褒められたワシのコーディネートが、撮影した新作だ。
再生ネクタル造りが、遅れてしまったからのう。
洞窟を「再生する」お礼の代わりに、ナルキッソスやエロスを始め、神々が新作の撮影にモデルで参加したのだがねえ。
ヘラの過換気発作は、なんと撮影中に起きた。
彼女がウエスタ神殿の前で、真紅色のドレスを着てポーズを取っていたんじゃ。
オペラ座でオペラを観劇するにふさわしい、半袖のロングドレスだ。
ところがヘラは急にワシに助けを求め、呼吸が荒くなった。
「ゼウス大変よ。姉さん…女神ウエスタの神殿から炎が上がっている。ホワイト・ゴールドの炎じゃない、あれは不審火よ。
神聖な神殿が汚される…誰か火を消して頂戴!姉さんを助けて」
なんとヘラはシャッターの光で、ヴィアンキ一族の誰かが姉さんの神殿に放った炎を、思い出したのだ。
この時の過換気発作が一昨日の月曜日、流石に彼女の撮影は中断した。
しかしヘラは初のモデルに、やる気満々じゃ。
老舗「ケイ・バリー二」のカタログだからのう、神々だって胸が弾む。
昨日は巫女の家、グリーンの芝生が眩しい庭へ、撮影場所を変更した。
しかしまたもや、過換気発作を起こした。
「不審火を放ったヴァインキ家の人間は、巫女の家に隠れていた。そうよ、屋上から眺めていた。姉さんと巫女は二度も危険な目に遭った…助けたのはアレッサンドロ・バリーニ、アスコリ枢機卿…そしてチェリストのシン・バリー二よ」
ヘラは当時の記憶が、ほぼ蘇ってしまった。
運よくプルート・バリー二が撮影現場に顔を出していたから、この様子を目の当たりにした。
彼も直人の再診を受けるよう、勧めてくれたのだがね。
「その不審火は、早苗と涼がヴィアンキ家に加わって間もない頃でしょう。僕のひいお爺さんが生きた時代なんです。アレッサンドロは、当時の当主ですよ」
昨年、彼はヨナスや直人と共にタイムスリップした際、当時の「ケイ・バリー二」本店に忍び込み、たまたま不審火の噂を耳にしたそうだ。
おそらく、1916年前後の事件らしい。
ワシらは、年代まで覚えてなかった。
この時3人は涼から魂を狙われた、ヴィアンキ一族は、やはり超ワルちゃん一家だのう。
ライバル家の子孫まで、亡き者にしようとした。
しかしヘラの過換気で蘇った事件は、思い出したワシも背筋が寒くなった。
姉さん女神ウエスタも、あれは気味の悪い出来事だったと、顔をしかめたほどだ。
「大樹…爺ちゃんとのナイショ話にしておくれ」
「ううん…いいよお…」
ワシは肩車する孫へ、そっと声をかける。
指先から伝わる、柔らかい肌の感触に癒されるのう。
「再生ネクタル造りも、進まないのだよ」
これも、ワシらは頭を抱えておる。
「ふーん…たいへんだねえ」
ディオニュソスのレシピは、完成には程遠い物だった。
体調も悪かったから、仕方がないだろう。
しかしねえ神々は、なんだか立ち往生しているのう…。焦っても仕方がないのは、重々承知している。
だがねこんな時に限って、早苗や涼…ヴィアンキ家の影が再びちらついておる。
まして倫太郎は早苗の母親を、短期間だが往診していたのう。
「早苗と涼、そしてヴァインキの末裔の存在を、できるだけ早く探した方が良さそうです。ヴァインキ家は、力を取り戻している可能性が高いでしょう。古代の神々も巻き込まれ、魂の危険に晒されている」
勘の鋭いプルートは、一族の動きを憂慮した。
エロスに似た旧家の主は、お洒落に決めたワシより決断力もあって、カッコいいのう。
「倫太郎と亜子に「再会」する、絶好の機会ですよ」
だからヨナスを伴い、ワシらと共に時空を超えたのだ。
この際ペガサスのネロと、オト―の背中へ乗って貰った。
「ジーちゃん…ほしだ」
「ほう、金星じゃ。キラキラ光るう、お空の星よおー」
いつのまにか、西の空には金星が輝いていた。
ああ金星は、アフロディーテのシンボルじゃな。
そうじゃ彼女の行動も、ヘラ曰く注意しないといかん。
ヘラも心労が尽きないのう…困ったもんだ。
アフロディーテは、再生ネクタルを造る夫と愛人を、彼女なりに懸念している。
それは、分かる。
「アタシも現地へ行くべきではないかしら…何か手伝えるかもしれない」
「いいえ、大丈夫よ。元御典医ガレノスとクロノスが、助っ人に向かったわ」
過換気発作のおさまったヘラが、慌てて止めた。
助っ人は本当だ。
しかしアフロディーテには、黙っておかねばならない件がある。
ヘパイストスの「もと愛人」も、ティボリ行きを考えている。
ワシの娘で、名前は女神アテナだ。
果たして、ヘパイストスの愛人と言えるのだろうか?この二人も、微妙な関係だ。
いいや、もう分からん…。
ヴァインキ家の件も絡み、ワシの頭はアフロでなくカオスだ。
「神話絵本は、面白いだろう?」
こんな時は、孫に癒されるのが一番だ。
「パパが、ヨムよ」
フフフッ、裕樹も子煩悩だのう。
大樹は、志乃さんと離婚した旦那さんのとのお子さんだったなあ。
「そうかい、パパに読んでもらうのか?
そりゃあいいねえ…」
「うん。ジーちゃんも、よんで」
「ああ、もちろん」
そうさねえ絵本には、ヘパイストスと女神アテナの関係も、やんわり書いてあるだろう。
二人の間には、子供がいる。
そうそう、ヘパイストスがたまに息子の元を訪れているな。
ハアッ…。
アフロディーテやアテナに、今回だけはネクタル造りに関与するのを控えて欲しい。
集中しずらい、可能性があるだろう。
ハアッ…。
二度もため息をつくなんて、我ながら珍しい。
神話で活躍する神々も、現在は立ち往生している。絵本のように丸くおさまらない、裏歴史は時にシビアだの。
お時間を割いてお読み下さり
どうもありがとうございました
写真 文 Akito
参考図書
河出書房新社
イラストで読む ギリシア神話
杉全 美帆子