クロノスの内視鏡手術と俺の人生相談を終え美月クリニックから戻った、二時間後だ。

 

「毎度どうも!宅急便ぺガサリオンです」

 

ペガサスのネロが、通販ぺガハウスの注文商品を届けにきた。

 

「一週間ぶりだなあ。その節はありがとう」

「私達の恩人…」

「アハハ、僕が恩人だなんて。照れますね」

 

亜子がネロの左首に、抱き付いた。

どさくさ紛れに、俺も反対側からハグする。

 

はあっ。

癒しの、モフモフ感がたまらん。

命の恩人は心の恩人よ。


アリニュソス・レッドシリーズの、「オード・トワレ」もつけている。

オールド・ローズの、いい香りだなあ。

 

水色の馬毛は、相変わらず艶やか。

神々の遣いは、見出しなみに手を抜かない。

 

これも、商品が売れる理由だろうなあ。イケメンペガサスが空から登場したら、女神や妖精たちは、ドキドキ胸が高鳴るだろうからね。

 

「しかし、魂を失う者がおらず幸いでしたね。それに、まだまだ油断は禁物ですよ」


澄んだ黒い瞳には似合わない、ネロは眉をひそめる。


彼も魔術を封じたアンフォラの処分に加わるメンバーだと、ケンイチさんから聞いた。

 

「クライマックスは、これからだな」

「そうですよ」

 

明日、神々の安全対策会議を開く前に、主要メンバーが集まり「鉄骨タランチュラ作戦」を煮詰めるようだ。


子供の悪戯みたいなネーミングだけど、大まかな内容を聞いて仰天した。ゼウスって、ホントに古代ギリシア・ローマの最高神だった。

やるときゃやるのね、関心したさ。

 

しかし脇を固めるクロノスも、タフだなあ。

明日の長丁場になるだろう会議は、内視鏡で胃癌を切除した翌日だ。


人間ならば、仕事を休むだろうに。おまけにオンディ―ヌと結婚式も、控えている。


来週の再診までに、念のため様子を確かめておこう。年齢は不詳だが、相当な年月を生きているだけに、心身はフル回転を続けているからな。

 

「そうそう、これねゼウスから倫太郎さんへ預かったんですよ」


ネロは背中につるした配達バッグから、A4サイズ程度の小包を出した。

 

「ええ、何だろう?夕方、電話でクロノスの結果説明をしたけれど、荷物については触れなかったなあ」


受け取ると、若干重い。

 

「さあて、僕も中味は不明です。それから注文された商品のお代は、結構ですよ。アレスとアフロディーテからのプレゼント、迷惑をかけて申し訳ないって」

 

ネロは朗らかな笑みを浮かべ、左前足で段ボール箱を指している。


二人はローマ郊外、ティボリにあるハドリアヌス帝の別荘で謹慎中だ。

 

「いいのかな。休職中だろ?気が引けるよ」


「神々のクリアウォーター・アンフォラは、結構なお値段よ?」

 

愛の女神アフロディーテは通販ぺガハウスのカタログで、モデルを務めているが休職。


彼女の愛人、戦いの神アレスはシテール島で土産物店を経営している。バイトが店に立っているだろうけどさ…。俺と亜子は人間界の常識で、躊躇してしまった。

 

「いいの、いいの。同じ物を直人先生と祐樹さん宅に、これから配達するんです。二人の気持ですから、受け取って下さい」

 

ネロはもう一度、清々しく微笑んだ。


その笑顔は、ヘパイストスの椅子に潜んだ「魔力」から解き放たれた、二人の精神状態を現わしているかもしれない。


うん、今回はありがたく頂戴しよう。

 

「遠慮なく頂きます。代わりと言っちゃなんだけど、アレスに降圧剤プラスアルファの内服薬を届け下さい、説明は済んでいます」

 

「了解です。謹慎中の二人と対面できるのは、僕ら宅急便ぺガサリオンだけですからね」


「それも、寂しいだろうね」


「亜子さん、その通り。でも今回の事態を招いた大元ですからね。反省しきりですよ」

 

俺は会話を小耳に挟みながら、レターパックに詰めた一か月分の内服薬を、ネロのバッグへしまった。


そうだなあ…もしも不眠などが増すようだったら、抗不安薬も検討した方が良い。

 

幸いアレスの24時間ホルダー心電図の結果、不整脈は内服治療するほど出現はなかった。


むしろ、高い血圧の方が問題だった。いやはや、一日三回の測定を継続して正解だった。

 

血液データーでは、脂質異常が認められたからねえ。これは高血圧の原因にもなるし、ゆくゆくは動脈硬化を招く。


高血圧、及びコレステロールと中性脂肪を低下する薬を開始した。

 

「では、毎度!これからあの幹線道路に沿って、両家にまわります」


ネロは颯爽と、東の空へ飛び立った。


 「勇気あるねぇ」

「道中、お気をつけて」

亜子と俺は手を振って、見送る。

 

あの日以来、俺は幹線道路を走行できないぞ。


ワルキューレの槍がすっ飛んできて、同時にデコトラが正面に迫る光景が、脳裏に焼き付いているからな。


「傀道命」…街道命の当て字を、キャブへ貼り付けた桜吹雪模様のデコトラに、ネロと俺は正面衝突寸前だった。

 

それも、元はと言えばアンフォラに閉じこめた魔力が引き起こしたからな。

だからゼウスは強固な魔力の消滅に、全力を注いでいる。

 




俺達はリビングに戻り、荷物をほどいた。


亜子が注文したホワイトカラーのアンフォラは高さ30センチ、一回に2リットルの水を浄化できるタイプだ。


サイズも幾つかあるから、家族構成に合わせて備えられる。

 

水道水でなくても海水や池、水ならば何でも飲料水に変えられる優れもの。


ボトルへ注入し、15分で変化する。

これは胴体が丸い、左右に半円形上の取っ手が付く、アンティークなデザインの壺だ。

 

使用期限は、2年間。

亜子は水道水を入れる前に、壺の底へ本日の日付を明記した。

 

俺はゼウスから届いた、小包を開ける。

「亜子、カードまで添えてあるよ」

「あら、珍しいね」


まず目に飛び込んだのは、紘一さんの代筆と思しきメッセージだ。

 

「ターバンは、掛け布団の変わりにもなる。これを使って亜子ちゃんと仲直りするように…だってさ。そうか事実を知らないのは、ゼウスとヘラだな」

 

俺はゼウスのユーモアに、胸がじーんと熱くなった。もうねえ「みんなのお父さん」、こんな存在よ。

 

「心配してくれて、嬉しいね」


亜子はオフホワイトのシルクターバンに触れながら、しんみりしている。

 

水曜日の夜、祐樹ファミリーの車に乗り込んだゼウスとヘラも、亜子が親父の息子と連れ立っているのを目撃した。

 

さらに美月クリニックで仕事を終えた林主任まで、男性と歩く亜子の姿を見かけていた。


これでは亜子が寄り道をしていると、誤解されるのも分からなくもない。

 

「息子さんはY大学の医学部卒業、かつ消化器内科医だったなんて。飯島賢一郎さんは、倫太郎さんと離れた寂しさを、長年抱えてたのかもしれないね」

 

「新しい家族と暮らして、寂しくあるもんか。

その上、息子さんが俺と同じ大学、大学病院に勤務してさ、消化器内科と外科の違い。こっちは不愉快よ」


全く、亜子のセリフを繰り返してしまった。


「まあまあ…直人さんにも言われたでしょう?カッカするなって」


「そうだけどさあ。出て行った割りに、影でコソコソして、そんな所も嫌だ」

 

俺がムスッとしたせいか。


亜子はターバンを体に掛けて、柔らかい肌触りは心地がいいと微笑む。

右半分を、横に座る俺に掛けてくれた。

 

「へえ、なかなか気持ちいいね。これなら、ゼウスも好みそうだ」


寝ぐせ直しや、バッグにも使っていたな。

頭に撒く姿は、なんとも微笑ましい。


オレンジ色のトーガに、純白のターバンコーデを好むからなあ。

 

このターバンや亜子が流してくれたモーツアルトのピアノコンチェルトは、複雑な事情を相談すると重くなりがちな空気の潤滑油になるよ。

 

飯島氏の息子さんは、6つ年下だった。

学生時代や、医局ですれ違ったかもしれない。

向こうは、とっくに気が付いていただろうなあ。

 

飯島氏は羽沢家を出てからも弟夫婦を通して、俺と別れた妻の動向を把握していた。


婿に入ったが義理の両親が他界したので、この付近へ自宅を購入した。

 

老舗の箪笥屋を潰した父親、文一爺さんと似た様な人生を送る、後悔があったのだろうか?

 

祐樹が息子さんに見覚えがあったのは、消化器内科学会で何度か見かけていたからだ。


親友は同じ大学だけど、卒業後はT医科大学病院の消化器内科へ入局した。

 

「飯島氏の奥さんと娘さんが在宅の移行と、俺の看取りを拒絶しているだろう?

川畑さんのように、在宅へ移行できないよ」

 

せんだて食道癌の末期で、看取った方だ。

祐樹が主治医で、かつては直人さんのクリニックを掛かりつけにしていた。

 

川畑さんの娘さんが在宅へ移行してからも、この選択に悩んでいた。


果たしてケアを継続できるのだろうか?

病院にいた方が、父親は安楽に過ごせるのではないかとね。最終的に奥さんと娘夫婦、そしてお孫さんに寄り添われて、川畑さんは静かな最期を迎えられた。

 

飯島氏は、とてもこのように進むとは思えない。


やはりケアをするキーパーソン、奥さんと娘さんが猛反対しているのであれば厳しいよ。


病態はアルコール性肝硬変によるHCC(肝細胞癌)そして腹膜播種、末期だ。腹水もドレナージ中だ、多くのケアを必要とする。


「私も倫太郎さんの意見に同感だな。飯島さんの場合は、緩和ケア科へ入院していた方が、穏やかな時間を過ごせると思うよ」


「そうだろ?本人が希望されても、ご家族により色々な事情があるから、必ずしも在宅へ移行できるとは限らないよ」

 

緩和ケア科の主治医に、相談したものの。

当然、本人は奥さんと娘さんと意見がすれ違い、進展していない。


飯島氏の強引に物事を進める性格は、さほど変わってないじゃん。

 

息子さんの消化器内科病棟へ入院していたが、末期は緩和ケア病棟へ移動した。


俺に看取って貰えるのではないか?

万に一つでも希望を持ったと、亜子に打ち明けたそうだけどねえ。


夕方、俺に連絡してきた際も、家族の事情を顧みずフォローを頼むの一点張りだった。

 

「訪問診療に来てくれれば、離れた時間を埋められるだろ?」


…アータが勝手に出て行ったのよ?

離れた時間もなにもないわ…


俺の心の叫び。


「まずは、ご家族の同意も得て下さい。こちらからは在宅の移行を、進められません」

なんとか、冷静に対応したわ。


幾ら相談されても、こちらが動けるはずないだろう?訴訟問題にも、なりかねない。


外出時に医師の息子さんが連れ出したのは、最後にもう一人の息子に合わせてやろう。せめてもの、サプライズだったわけよん。

 

「爺さんと親父を反面教師に、アタイはすくすく育ったわよ」


「フフフッ…。だからアタイは神々の主治医になった、心付けまで頂いてしまったね」


「そうよ」

 

亜子の膝にもたれて、背中をさすってもらう。

ターバンも、ゼウスの優しさが伝わるようだなあ…有難いわ。

 

そうしながら、ふとナルキッソスの言葉を思い出した。


力を借りたい時は、自宅で一番大きな鏡に向かい呼び出してくれ…だったな。


いつ必要になるか分からないが、頭の片隅に置いておこう。

 

帯状疱疹は俺の処方とディオニュソスの「帯状疱疹ネクタル」で、悪化は妨げられるはずだ。


明日ガレノスが、繊細なナルシストを往診するから、病状を伝えてくれる。

 

飯島さんのフォローは、こんな風に現実味が湧かないんだよなあ。

 

 

お時間を割いてお読み下さり

どうもありがとうございました

 

写真 文 Akito

 

 

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