ジジジーッ、ジジーッ。

ミキサーと似た形をした、薬剤クラッシャーが勢いよく回転する。

「サイレント効果は抜群で、食卓のテーブルも振動しない。これは優れものね」

牡蠣の硬い殻や真珠も、なんなく粉砕できた。薬剤師さんへ紹介したいくらいね。

私の役目は、ディュオニュソスが計算した量の粉末を、魔法のアンフォラへ入れる。

ただいま愛の神エロスの、骨折した翼を治療する、「特注ネクタル」を作っている。

「粉砕器もねえ、ヘパイストスが作ってくれたんだよぉ」

ディュオニュソスはクラッシャーを止めて、粉砕した薬草を、小皿にあける。

彼が使う薬剤調合キットは、全て鍛冶の神ヘパイストスが作成した。

手の小さいディュオニュソスが使いやすいように、作ってくれたのだそう。

「鍛治の神ヘパイストスは、得意なハンドメイドでビジネスを波に乗せた。人生は、逆転ホームランね」

「彼の広い工場は、ローマにあるけどお。扱う商品も社員も増えたからあ。ローマの郊外へ、第二工場の建設を検討している。
タトゥーショップもオープンして、フル回転大活躍だよぉ」

「その作品は見たよ、アレスの左肩甲骨周辺を彩る、艶やかな白鳥の羽ね」

「当たりイッ!」

ディュオニュソスから手渡された、薬剤の小皿を受け取り、シナモンの量を測る。
これをアンフォラに入れた。

そうそう。
神話によるとヘパイストスは、ヘラが一人で産んだので、父親はいないのよね。

誕生したベビーちゃんヘパイストスは、キュートな面立ちでなかったから、ヘラはお母さんをやめてしまう。

「彼は海の女神テティスに助けられて、海中で育てられた。そこでオールマイティー、不思議な物は全て作れる技を、習得したのよ」

プシュケはキッチンで、コーヒーを淹れながらチラッと振り返る。皆が疲れないよう、いつでも飲めるように準備している、とても気の利く女神さま。

女神テティスは、両膝に傷を負ったエロスが海中に転落した際も、助けてくれた方だ。

ヘパイストスを育てただけあり、優しいお人柄だとプシュケから聞いた。

「テティスとの出逢いが、ヘパイストスの人生を成功に導いたのね」

「亜子、そうなるわね」

ジョルジョ・ヴァザーリが、彼の鍛治場を描いていたな。

鍛治場では剣や盾、兜などを作っていて。
金属を叩く音や、多くの職人さんが仕事をする声まで聴こえそう、とても活動的なシーンだ。

「ヴァザーリの絵画では、アフロディーテが夫ヘパイストスの仕事を手伝っているね」

「実際の夫婦生活とは、違うんだなぁ」

ディュオニュソスの指摘通り、絵画では仲良く描かれているけれども。

ルネサンス時代の絵画だから、当時の夫婦関係などを暗示している。

ディュオニュソスが夫婦関係を良く知るのは、訳がある。

以前アフロディーテに頼まれて、「愛のネクタル」を作ったからだ。

「夫をアレスに似た、面立ちに変えて欲しい。そうなれば愛せるかもしれない。無理難題を、突きつけられたんだよぉ」

ディュオニュソスは困った。愛の妙薬は、ほぼ上手くいった試しがない。

例えばワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」のように、両想いになってもアンハッピーだったりね。

悩んだ末、エロスの黄金の矢を粉末にして、その中に薔薇や蜂蜜、真珠だの「美の元」をとにかく「混入しまくった」そう。

「結果は、笑っちゃうよぉ。ヘパイストスが新しい商品を、作り上げたんだよぉ」

「ええっ、それはなあに?」

なんと通販ペガハウスのロングセラー、ヒット商品、「神々のクリアウォーター・アンフォラ」だった。

彼が商品を思いついたきっかけも、絶妙なタイミングだった。

アフロディーテがアンフォラに入れた「愛の妙薬・ネクタル」を、鍛治場に持ってきた。

「アナタあ〜、お疲れさまあ。たまには元気の出るお酒を、飲んでちょうだい」

「アフロディーテめ、どう言う風の吹き回しだ?怪しいっ…」

ディュオニュソスはワインを飲んで無いから、陶酔して役者に変身できない代わりに、可愛い物真似を披露してくれた。

さて、妻の行動を訝しく感じたヘパイストスは、お酒は後で飲むと言い、一先ずアンフォラを受け取った。

アフロディーテは直ぐに飲んで欲しいと願ったとのの、彼は頑として譲らなかった。

彼女の頑な態度で、何か企んでいると確信したからね。

彼女が帰ったあと、彼はグラスに少量のネクタルを注ぎ、油で汚れた肌に付けてみた。

これは、パッチテストの発想。
例えば貼付したテープに、アレルギー反応を起こすと、皮膚は発赤する。

さてさてヘパイストスの場合は、どのような反応を示したか?数分後には油で汚れた肌が「美肌」へ変わった。

「こりゃあ、ボクが作った特注ネクタルに間違いないって、バレちゃってさぁ。
ヘパイストスから、中身を教えて欲しいと連絡があったんだぁ」

アフロディーテから「愛の妙薬・ネクタル」を頼まれたと、正直に打ち明けたところ。
ヘパイストスは、ハッと閃いた。

「愛のネクタルは化粧品になるから、商品化した方が良いいと、勧めてくれて。
彼は不純物を濾過できる、アンフォラを思いついて。直ぐにサンプルを作り始めたんだ」

行動の早いヘパイストスはロングセラー商品を、一週間で誕生させた。

それが「神々のクリアウォーター・アンフォラ」だ。

そのアンファラは真っ白だ。不純物のない美味しい水が入ってそうなイメージを抱きやすい、お客さんの心理も突いた。

アンフォラの中に海水や川の水を入れておけば、クリアーウォーターが出来上がる。


一方ディュオニュソスも、ワインの醸造と薬剤の知識を生かし、化粧品を作ってしまった。

「陶酔するほどの美肌をあなたへ
アリニュソス・レッド」

これが第一号製品の、化粧水。
ネーミングは奥さんのアリアドネと考えた。

「奥さんとボクの名前を足したんだぁ」

レッドはもちろん、彼がこの世で初めて葡萄酒を作ったから、シンボルをアピールした。

因みに現在は、奥さんとお子さんの協力もあり、アニュソス・レッドの種類も増えた。

シミやくすみを取る、エイジング商品も製造している。

因みに全ての商品はワインレッドカラーで力強い効果を印象付け、かつ真珠の粉が入るのでキラキラ煌めく。

「陶酔するほどの美肌」になるのではないか、商品を購入したくなる販売心理学効果も、工夫している、のだそう。

ペガハウスのコスメ部門で、上位の売り上げを占めるだけに、こちらも人気商品だ。

「皆さん、商売上手だな。羨ましい…」
以前倫太郎さんは、クリニックへ就職を考えていた精神科のドクターに、キャンセルされてしまったので、感心しきりだ。

「さてとぉ。魔法のアンフォラに全てを入れたから、これが最後の仕上げだよぉ」

ディュオニュソスは魔法のアンフォラに、キュッと栓をした。

私とプシュケは静かに、ディュオニュソスの左右に立ち目を閉じた。

彼が魔術をかけるために集中するので、そちらへ意識を向ける。

「では、はじめるよ」

あっ、彼は陶酔状態へ変わったのね。
声が凛々しい。

「古代ギリシア・ローマの神々と女神よ。

我、酒神ディュオニュソスに。

眠る魔力を、覚ましておくれ。

ここに命の源である、太陽の力を加え、

今このネクタルはエロスの翼、骨折を治す薬へ変わる」

神々の不思議な力、偉大なパワーは実在する。
私は、それを目の当たりにしている。

そして微笑ましい「副業」は、ちょっぴり切ないエピソードあり、家族愛あり、だからこそ魅力的なのだと思う。


お時間を割いてお読み下さり
どうもありがとうございました

写真 文 Akito

参考図書
世界文化社
吉田 敦彦 監修
名画で読み解く ギリシア神話