「ふえええっ〜?
キミヒコォ…信じてくれヨォ。ボクはぁ、新しい主治医について、アフロディーテに話してないよぉ。ボクは診察すら、受けてないのだから」

酒神ディオニュソスは相変わらず、ヘベレケに酔ってるなあ。でもこれが彼にとっては、普通だ。

「疑ってないし、信じてますよ」

「ありがとネェ〜。ボクだって、こう見えて子供が4人もいるパパだから。嘘つきは泥棒の始まりって、教えているさあ〜」

彼が月桂樹の冠を被って、子供たちと手を繋いでさ、ニコニコ微笑む姿が目に浮ぶよ。

「うんうん。君は愛妻家だしね、家族を大切にしているよ」

奥さんはギリシア神話に登場する、クレタ島の王女アリアドネだ。 
出会いの経緯は、諸説あるが。

アリアドネの元恋人で英雄テセウスは、ミノタウルス(牛頭人身の怪物)を倒したものの。

そのままアリアドネを、クレタ島に置き去りにする。そこで、酒神ディオニュソスと結ばれた…らしい。

「それにねえ〜ヘラは苦手だからこそ、距離を保ってるじゃぁ〜ん。
お互い、刺激は避けてるよお〜」 
「そうだよね」

基本ヘラとディオニュソスは、顔を合わさない。
過去のいざこざが、蘇るからだ。

彼の主張は側から見ていて、間違っていない。陶酔や狂気の神ではあるが、自分を認めた相手には、心を開いてくれるのだ。

僕や紘一には、腹を割って話してくれる。

彼の狂気は、ヘラに呪縛をかけられ、宿してしまったんだ。だからヘラ自身も、後悔と懺悔に駆られている。

二人の関係は複雑なだけに、距離を保つことで均衡が取れている。

つい先程ヘラから、アフロディーテの「健康診断希望」について連絡を受けた。
僕と紘一は、直ぐに動いた。

すんでの差で、紘一はアフロディーテから、受診希望の連絡を受けたから。

僕がディオニュソスへ事実を、確かめていた。

彼が電話で明かした内容によると。
夕べ、酒宴は中止して欲しいと、ヘラから連絡を受けた。

中止の理由は、ゼウスの快気祝いにドクターストップが掛かかったから。彼は素直に、ヘラの要望に従っていた。

かつ酒宴は、内輪で行うつもりだったから。
アフロディーテとアレスを、招待していない。

だからアフロディーテは、ヘラに作り話をした。招かれていた酒宴が中心になったとは知らず、シテール島から出てきたとね。

そして出てきたついでに、健康診断を受けたいと切り出したのだ。

「キミヒコォ…アフロディーテは〜こうとなったら突き進むからねえ〜…ゴクッ、ゴクッ」

おやっ?
ディオニュソスがワインを飲んで、言い淀んでいるな。

これは何か、思い当たるのかもしれない。
ちょっと、黙っておこう。

そう言えば、彼はゼウスの大腿部から、誕生したあと。ニンフの元へ、里子に出された。

そこで成長するうちに、世界初、葡萄からワインを生み出してしまう。だから酒神なんだ。

「公彦。アフロディーテはニンフから、情報を得てやしないだろうか?」

あっ、陶酔スイッチが入った。
演劇の神でもあるから、酔いが回ると、なにか憑依したように、役にのめり込んでいるんだ。

「さすがディオニュソスは、鋭いね」

褒めつつも、演じている役柄が気になる。
しかし水をさすから、不要な質問はやめておく。

彼が元の状態に戻ったら、閃きを忘れてしまう可能性があるからだ。

「ありがとう。
ニンフは水場から水場へ、移動できる。
だからシテール島にいるアフロディーテが、情報を得るのは、充分可能だ」

なるほど、これはありうるぞ。
ニンフ…妖精は川や水辺に住んでいる。
倫太郎さんに惚れた、オンディーヌしかりね。

「ディオニュソスの推察に、同感だよ。
ニンフの誰かが、アフロディーテが興味を惹くような…日本人男性なり、なんなり伝えたに違いないね」

ニンフは、雑談程度のつもりだったろう。

「バカンスでも、刺激は欲しいだろうからね。アフロディーテは、ニンフから新しい主治医にまつわる情報を得たんだろうな」

「なるほど、ヒントをありがとう。また何か思いついたら、知らせて下さいね」

「公彦、了解です。紘一に、宜しく伝えて」

今日の陶酔スイッチは、キリッとしてカッコいい役柄だったな。名残り惜しいが、ユーモラスなディオニュソスと、通話を終えた。

なるほど、アフロディーテの背景が読めてきた。

最初は数年振りに神々の主治医が決まり、興味本位で、ニンフから噂を聞いたのだろう。

しかし息子のエロスとゼウスが受診した経緯を知り、刺激的なアイデアが浮かんだ。

いくら絶世の美人であっても、毎日がバカンスでは退屈だろうからね。

おそらくアレスと二人揃って、健康診断の希望をする気だ。その方が、よりスリリングだから。

さあて…ここは一先ずローマにいる、紘一から連絡を待とう。

女神ウェスタには、まとめて報告すれば良いし。
ヘラは女神と同じエリア、フォロ・ローマノに住んでいる。

ウェスタ神殿と、コンコルディア神殿は近所だ。
ヘラは直々に、相談に出かけただろうな。

「しかし不思議だ。僕はローマで暮らすディオニュソスと、通話したし。倫太郎さんと亜子ちゃんの自宅、そして職場は同じ市内だもんなあ…」

遠いようで近いローマから、アフロディーテはアレスと共にやってくるぞ。

今日は火曜日だから…。
明日はゼウスの再診があるし。おそらくエロスも、関節注射を打ちに行くだろう。

エロスはプシュケと飛び回り、魂と想いを昇華する仕事で多忙だ、羽を酷使している。

今のところ週一回の割合で、肩関節周囲炎に対して関節注射を継続中だ。

となると…。
ドラマチックな美男美女は来週、健康診断を希望するかもしれないな。

もちろん倫太郎さんと亜子ちゃんには、ここまでの経緯は相談した上で。
健康診断の内容も、検討をしてもらおう。


お時間を割いてお読み下さり
どうもありがとうございました

写真 文 Akito

参考図書
河出書房新社
杉全 美帆子
イラストで読む
ギリシア神話の神々