ショパン作曲 ノクターン作品9-2番
4月8日はスーパームーンのようですね。満月の光を邪魔せず、どこか靄がかり、ゆったりとして、小さな起伏にとむ旋律ですね。
ヴェネチア共和国 コルティジャーナLunaの屋敷
「今日は満月、随分明るいはずだわ」
窓の外は、波をうつ水面が金色の光を反射している。Felmoがいるから色鮮やかに開花した私であっても、彼が戻ってしまえば、違う世界へ身を投じている。
ゴトン…。
背後で物音がする。振り返ると白い布が取り払われ、描きかけのヴィーナスがあらわになる。
「へえ、師匠のヴィーナスを模倣したのか。下絵にも関わらず、まるで君の息遣いまで感じそうな出来ばえだ」
金糸が織り込まれた深緑色の上着を着るヴィントレットが、細長い顔にはやしたあごひげを撫でながら、下絵を見つめる。
「そうでしょう? 貴方とわたくしが、Felmoに多くの絵を描かせたなかで、最高傑作になるに違いないわ」
ヴィントレットの隣にいても、己のうつしみを愛しく感じ、生あたたかい肌を想い出す。先ほどとは別物、薄いシルク生地の、部屋着に着替えを済ませておいた。この人が好む淡い緑色のガウンは、周囲をぐるり金色の糸で縁どっている。
「私もFelmoの作品、この完成を待ち望もう。
ところで、最近評判の若い画家の噂は耳にしているだろう?」
ガサッ、ガサッ。
腕を引かれながら、寝台へ腰かける。
「ええ、なんでもティントレットの弟子、名前はCletoでしたね」
無名の画家になぜ興味を持ったのか、それはFelmoの師匠がティツィアーノ。ティントレットの弟子がティツィアーノだから、絵画の腕も期待できるかもしれない、その程度しか興味はないものの。引っかかる存在で、これは頭の片隅に留めておけというサイン。
「そのうちCletoに注文してみよう。師匠から踏襲した色使いや、時に繊細で、時に激しさを伴う表現を、この目で確かめてみたい。君を描いてもらうのもよい」
ガウンの紐が、解かれる。
「それはお任せしますわ。でもFelmoの兄弟子、Alboに描いてもらってもいいではありませんか?
わたくしは力強く躍動感あふれる、彼の表現も好みます」
Alboは先週、ここに立ち寄りひとときを過ごした。
「Aldoも師匠に引けを取らない画家だ、私が見込んだだけある。そろそろ、新しいスタイルの画家が良かろう。変化がなくては国政も進まない、これと同じだ」
何気なく話題を反らしていくから、今後動きがあるのだろう。ヴェネチア共和国は、オスマントルコ帝国と覇権争いも続く。いや、次回のコンクラーベで、当家出身の枢機卿が教皇の座に就くために、策を練っているのかもしれない。
「そうそう、神秘主義に詳しい人間をようやくみつけた。君に詳細は話せないが、本当に会ってみるつもりかね? キリストのような奇跡は起こせない、いくら教えを体現した生活を送れど人間だからな。祈祷はしてもらえるだろう」
ゴトン…ガタン。
この人の波に巻かれればよいだけ。
「分かっておりますわ。どのように、霊的な存在を感じているのか、話を聞いてみたいだけ」
「Lunaと出会い、随分な時が経ったが。初めて君は、神秘主義に執着をみせるから、まあ深く追求せん。ほどほどにするがいい」
私の胸の内を分かっていると、ほのめかす。その一方で離れない仲だと、お互い心と体に刻まれている、これを承知しているのだから。
「ええ」
あごひげが首のまわりに触れるから、くすぐったい。この人は見かけや態度にそぐわず、お互い安らげるように、動いてくれる。
ちょうど金色の月光がこの部屋を隙間なく照らすから、黄泉の国へ招かれるような感覚に落ち込んでいく。
とうにゴンドラも到着しただろう…。
あの人の中では、私は狂ってしまう。幾度となく、いっそ魂を一つにしたいと、狂気じみた思いに駆られた。
「ここへ来る前に、君のゴンドラを見かけたが。はて、乗っていたのはAlboだったものだから、てっきり彼がここにいたのだと思ったが。
このヴィーナスの作者では無いのだな…だから、君に確かめたのだ」
「えっ?…」
私の心身は、凍りついた。
続きはまた明日
Akito
写真、文Akito
神秘主義については、wikipediaを参考にしています。