昨日の続きより。

 

「皆さまこんにちは!

ウィーンコン・セルヴァトリウム、オペラ科コンサートへようこそ!ナビゲーターの闘牛士ドミニクと」

「カルメンこと、歌姫のクレアです」

 二人は手を取り合い、お辞儀する。


「ハハハッ!」

「バリトンとメゾの司会は珍しいなあ!」


つい先ほど、カルメンのステージを披露した二人がステージで軽妙なトークを始めるから、情熱的なオペラの世界から一転、お客様から笑顔が溢れる。

 

「前列のお客様、鋭いですっ。今年は趣向を変えております」

「私たちメゾやアルト。そしてバリトンとバスって、どちらかというと、二番手や三番手役が多いでしょう?

だから今日は主役を張ります!」 

大人っぽいオペラアリアを歌った二人が、今度は学生らしい軽い語り口でマイクを手にする、このミスマッチも好感度が高いだろうなあ。


 「アハハ!」

「いいぞ、いいぞ!」

ほら、お客さんも湧いてるよ。


カルメンはブラウスに、派手な花柄のスカートへキラッキラのヒップスカーフを重ね巻きした衣装。

エスカミーリョもヒラヒラブラウスと、黒のパンツ、腰には真紅のヒップスカーフとこれまた闘牛士コスチュームのまんまで、注目度抜群だな。いやお客さんの注意を惹きつけておくのだろうな。


ほらね、オケピットでは谷川瑠璃さんが、小さくタクトを振り始めたってことは…弦楽器が、厳かな旋律を奏で始めたぞ。

 

「O Isis oud Osiris…」

おお!バスといえば、このアリアが有名だ。

しかしカルメンの妖艶な雰囲気から打って変わり、こりゃ面白いな…神聖だ。

ステージの左から、朗々とバスの低い声が響く。同時に姿を現すのは、黄金のローブを身にまとう、大祭司のザラストロだ。


ゆっくりステージ中央に歩み寄ると、聴衆に向かい両手を広げながら、威厳を込めて歌うのは。

モーツアルトのオペラ魔笛より、バスのザラストロが歌うアリア「おお、イシスとオシリスの神よ」だ。


タミーノ王子とパミーノをが試練の乗り越え結ばれますように、こんな歌詞の意味だったかな。

神殿の大祭司ザラストロが、神へ祈りを捧げ歌う訳だが、実は彼がこの試練を与えるのよね。


ナビゲーターの二人は暗転した舞台の背後に、さりげなく姿を消しているから有限実行、普段はあまり目立たない、バスの独壇場だ。


俺はバリトンやバスの声域の方が好きだな、まあ王子様には向かないが。ワグネリアンの友人二人も同感だと思うよ…今回はワーグナー作品はまだ登場してないが。チラッと左を向くと、アヒム先生とベッカーおじさん…真剣な表情で聴いているから、やっぱり、この声域は好きなのだろう。

 

「Die ihr der Wand'rer……」

ザラストロ役の彼、名前は確か…クルトだったかな。

どっしりした暖かみのある声に柔らかさを乗せ、ところどころ細く歌う、大祭司らしい慈悲の心を示すのだろうかが、ニュアンスの変化や表現が上手いなあ、まあ楽譜が読めない俺の勝手な感想だけど。


フッ、白髪交じりのズラを被っているけど、長髪を結んだスタイルで似合う、祭司っぽい威厳を感じるな。いや笑ってごめんよ、若い君が被っていると、なんだか可愛いからさ…。

 

ああそろそろ終曲か。徐々にステージ全体が明るさを帯びてきた。


間もなく、クルトは厳かに歌い終えると、胸に手を当て深々とお辞儀をする。

 

「クルト、いいぞー!」

バチバチバチ!

「Bravo!」

ああお客様の、この盛大な拍手と歓声が反応が全てを物語るな。クルトはもう一度深々をお辞儀をしているし、低い歌声と印象は異なり、清々しいな。

 

そこへナビゲーターのドミニクとクレアがマイクを手にして、彼に歩み寄る。早着替えを済ませた二人は、ダークスーツと黄色のドレス姿。ドレスは歌手が着る裾広がりのタイプに変わっている。


「前評判通り、凝ってるわねえ」

俺の右腕に、ガッチリ腕を組むエッバ先生が、満足気にニコッと微笑む。

「ヒーローヒロインにスポットを当てない、これもなかなか面白いですよ」

 俺素直に感想を伝える。


おっステージでは3人が、トークを始めるぞ。

「皆さま、希少なバスの独唱をご堪能いただき、ありがとうございます」

笑顔のクルトが口火を切ると、客席からクスっと、笑い声が起こる。


「皆さま、よくご存じでしょう?

魔笛の中にはこの他にも、バスの渋いアリアが控えていますが。本日は時間の都合上、泣く泣く割愛します」


「アハハハ…!」

さらにドミニクが、お客様へ笑いを誘う。

 

「というのもですね、この後バリトンのパパゲーノと、ソプラノのパパゲーナの二重唱を…」

クレアが続けるが。


「パ、パ、パ、パパゲーナとパパゲーノの2重唱よ」

前列のお客様、年配の女性が先を当ててしまったな。

「ハイ、正解です。ヒーローとヒロインじゃない、わき役の愛の二重唱です」

 

「アハハ!」

「いいねえ!」

どっと客席も湧くきあがるが。


あれ?ここで舞台が薄く暗くなるな。

ステージの三人は肩を寄せ合い、まるで恐れおののくように客席や、ステージをきょろきょろ見渡す。


「ええっ、どういう意味?」

「二重唱の雰囲気では無いだろう」

客席からも、どよめきが起こる。

 

ドドドドドーン!バアーン、バアーン!


あらまっ、ここでどんでん返しだ。ティンパニーとシンバルが、けたたましく鳴り響く。

ってねえ、これさ落雷だろうか?って事は、ほらね、お客さんはステージに釘付けだよ。


ってか、俺も含めて皆さんこれを期待していたに違いないな。魔笛っていったらさ、バスの最低音と…このアリアだろ!


 ステージ背後のカーテンに、黒い影が揺らめいた、次の瞬間だ。

「ザラストロを打て!」

鋭い声がカーテン越しに響き渡る。

 

バチバチバチ!

「ヒューッ!」

ものすごい歓声が上がる、だろうなあ…。

 

オーケストラはまるで地の底から這いあがるような、短い前奏を奏でると。

「Der Hoelle Rache Kocht in meinem Herzen!…」

夜の女王が、声高らかに姿を現す。


ハハハ、衣装もすげえな。ティアラを乗せて、キラッキラのシルバーのドレスに、真紅のマントを羽織ってさ。魔女みたいなデカい付け爪は真紅だよ。

しかし、この真紅の意味は、女王の二面性を表すのだろうか。

 

劇中、この女王が初めて登場するときは、ザラストロに捕らわれた娘を助けてくれと懇願するけど。

後半になると、今現在歌うように大祭司を打てと娘に言い放つ。

真紅は表現のいかんで、善悪どちらにも変身できると思うなあ。

 

それはそうと。

夜の女王はステージの左はしに身を寄せ、恐れおののく3人をギロッとみつめ、そのまま中央に進む。いよいよだぞ…。

 

「…meine Tochter nimmermerhr--aaaaa a-aaa aaaa a-…」

女王の見事なコロラトゥーラに圧倒されて、客席はシンと静まり返り、微動だにしない。張り詰めた空気が支配する。

 

「…Ban aaa aaa…」

三連符を歯切れよく歌うけど、これは何小節続くんだよ。

で、音程も上下に良く動く。

梨奈の情報によると、女王役のアグネスさんはオペラ科一のソプラノ歌手で、現在は劇場のオペラ公演にも合唱パートで出演しているとか言ってたなあ…。


ふと、梨奈が歌っていた夜の女王のアリアを思い出す。

 「Hoert! hoert! Rachegoetter! …超絶技巧で、歌詞の意味もシビアなのに。

ピアノの伴奏もよく聴いてね、ほらところどころ、モールアルトらしい清らかな旋律だよね。ダークな世界にも一筋の光がさす、まるで人間そのもののようね」

梨奈は、ところどころ伴奏だけを弾いてくれたっけ。


俺は普段から色々な角度で、音楽に接しているわけだよなあ。

ちゃっかり重唱や合唱パートをのぞき込んだり、各楽器が奏でる音を弾いて貰ったりね。

特にこういう難しい曲になると、コレペティの梨奈に教えを乞いたいもんだ。

どのあたりで声の頂点を持っていくから、それに合わせ、どう呼吸や発声をコントロールするとかさ…。

 

あっ俺としたことが、聞き流してしまった…。


「hoert der Mutter Schwur!」

あらっ夜の女王は、勇ましく歌い終えてしまったな。


まっ、いいか。そりゃ生でプロの歌声も素晴らしいのだが…梨奈の素朴な声で、また歌って貰おう。

しかし俺もアヒム先生と同じくらい、ウンチクが好きだろうか?

歳をとるにつれてそれが進んでいるかもなあ、まだ30代半ばだけど、これってオジサン傾向だろうか。

 

「Bravo!」

バチバチバチ!


いやはや、これまで一番のスタンディングオベーション、お客様の興奮と熱気が吹き荒れる。


指揮者の瑠璃さんも拍手をして、オーケストラもドンドン、ドンドン、足を鳴らして称賛するし、ナビゲータの二人も夜の女王を拍手で称える。


あら、いつの間にか俺の両腕はフリーになっていた。両腕を解放してくれたエッバ先生とアデーレ先生も、夢中で拍手してるよ。さて俺も同じようにしよう。

 

おお、かっこいいね。ザラストロ役、バスのドミニクがアグネスさんの手を取りエスコートしてる。

で、彼は彼女に右手を向けるから称えているわけだよね。


それにしても絵になる二人だなあ。

かたや神託を告げる者、もう一人は女王なのだから選ばれた存在で、特別な存在の二人が並んでいる。


アグネスさんもホール全体を見渡し、深々とお辞儀をしてさ、貫禄があるし、肝が据わっているな。プロに紛れて場数を踏むと、自信もつくだろう。

 

トントン。

アデーレ先生に左腕を突かれる。

「どうしました?」

彼女は俺が貸した、涙拭き用のハンカチを左手に軽く握っている。

いつ涙が出てもいいようにスタンバイしているのよ、御年〇〇歳、いくつになってもキュートな女性だな。


「これじゃあ、パパゲーノとパパゲーナの出番が遅れるわ、魔笛のストーリ通りには進行しているから、良しとしても。

今頃リナは、どんな気持ちでこのステージを見ているかしら。

もう随分前になるけれど、ワタクシもコレペティで初めて関わった生徒達のオペラを観た時は、感慨深い物があったわ」

「梨奈も同じ気持ちかもしれませんね」

そう返事をするとアデーレ先生はすっと涙を落とし、俺の左腕に自分の右腕を絡めた。


姉の仕草に気が付いたのか、エッバ先生もさりげなく俺の右手に腕を組んだ。


そう俺は、いつ何時もオールドミス姉妹のエスコート担当で、可愛い妻の師匠は可愛い姉妹なのだが。

今後ハンカチは、もっと多めに持って出掛けないといけないなだろうなあ…。 

ほら、また二人してウルウル始まったよ…音楽に感動するのは宜しいしが、ハンカチは忘れずに持参しましょうね。

まさか梨奈まで忘れて無いだろうな…いや可能性は高い、この師匠にして弟子だからさ。


 

お時間を割いてお読み頂き、ありがとうございました赤薔薇続きはまた明日赤薔薇

どうぞ良い一日をピンク薔薇Akito


本文には関係ないのですが。久しぶりにF・ディスカウの歌声を聴き、父がラジオやカセットテープで流していた記憶が蘇りました、懐かしいです。

 

参考引用楽譜

全音楽譜出版社

オペラアリア集(ソプラノ用)

モーツアルト作曲オペラ「魔笛」夜の女王のアリア

一部歌詞を引用

 

tsvokalscool.com

同じく魔笛より

ああ、イシスとオシリスの神よ

一部歌詞を引用