2003年11月

 

「Un…bel di, ve-dre-mo…」

ある晴れた日に…。わたしはカーレンベルグの丘からウィーンの街並みをのぞみ、故郷を想い…なんてね。

 

そんな哀愁はどこ吹く風。

 

「アタシ達も見たい!演出のアンナとクレア!なんでオペラ科ばっかり、可愛い衣装で揃えるわけよ?」

こちらは弦楽器の女子ね…。

「蝶々さん歌うんだから、それなりの衣装は必要でしょ?」

「オケメンバーも試着したいって、素直に言いなよ」

フフフッ、いつものオペラ科の教室は、只今キラッキラのきらきら星がまたたいております。

 

コンサートで使う、蝶々夫人と女中スズキの衣装を合わせるだけなのに、オペラ科の学生だけでなく、通し稽古の後だからオケのメンバーも見物している。

気がつけば、オール女子による衣装合わせになってしまった。

 

「こんなに細かい模様があるんだね」

「ユリア、じっくり選んでね」

「グリーンの色も素敵だ」

「ヘラ、なかなか良い色でしょう?」

ユリアは蝶々夫人のアリアを、ヘラは蝶々さんの女中スズキ役で歌う。


「オケの私達は関係ないけど、着物を試着していいかな?」

「もちろん、皆さん楽しんで」

学生達が素を出して喜んでくれるのは、準備したわたしとしては、願ったりかなったり。

 

何故こんな事になったのか。

ひと月前、演出担当の学生アンナとクレアに、蝶々夫人とスズキの衣装について相談を受けた。そこで彼女達に、学校で保管する着物を見せて貰ったものの。アンナとクレアの主張通り、どれもピンとくるデザインの着物ではなかった。

 

かろうじて使えそうな物は、女中スズキ役に合うのは草色で小花柄の化繊、蝶々さんには紫色の矢絣のお召し、この2枚だった。

しかしこれを着るくらいならば、彼女達が好むドレスを着て歌った方が気分も盛り上がるし、アンナとクレアの演出にも叶っていると思われた。

 

因みに、アルトのアンナとクレアは今回合唱パートだから出番も多くないので、演出を買って出た。勿論、演出を指導するマリア講師に師事しながら、準備を進めている。

 

二人の相談を受けて閃いたのが、親友の鼓と千恵ちゃん夫婦が営む呉服日夏だった。わたしはその日、懐かしい友の声を、ほんのわずかな時間だけれど聞く事ができた。

 

その結果。

案の定、フットワークの軽い二人は、地元鎌倉の友人やご近所さんから、既に不要なのだが思い出や、愛着があって処分に困っている、そんな着物を沢山集めてくれた。

 

届いた荷物を開けて驚いたのは、ビビットでお洒落な花柄の絞り、吉祥文様の華扇など、若い女性を華やかに彩る着物だけでなく、未使用の帯揚げや帯締め、カンザシなど小物類まで揃っていた。

 

「これはどうやって使えばいいの?すっごくカワイイね」

長いブロンドヘアが自慢のユリアが、赤や紫のストーンと小花、さらにピンク色の房がついたお洒落なカンザシを握る。

 

「ティアラと同じように、アップへ挿すの。蝶々さんは劇中では15歳の設定だから、このカンザシはちょうどいいね。実際プロのオペラ歌手が演じる蝶々さんは年上で、幾分老けてしまうから。若々しいヒロインが登場したら、より魅力的に映ると思うよ」

 

わたしはユリアの髪をふんわりアップに纏め、後頭部の左側へ挿してみせる。彼女は首を右に傾け、鏡越しにヘアアレンジを見つめる。

 

「アタシの着物とカンザシスタイル、ハンスはどう思うかな?

ハインツ先生のレッスンをハンスは受けているでしょう?その時は、授業のない女子が集まるって、噂になってる。

空き時間は、自主練するのが普通なのに、随分余裕があるのね。オペラ科は競争が激しいから、暇な人が羨ましいわ」

 

あらら…。

ユリアは弦楽器の…該当する人物いえ、恋敵に?これ見よがしに言い放つ。パッチリ二重で逆三角形のチャーミングな彼女は、歌唱力は別として、ヒロイン向きの性格だ、わたしは羨ましい…。

 

すると、やや離れた右隣にいる弦楽器女子が、負けじとこちらを見据える。

「ハンスを支えるのは、オケなんだから。コミュニケーション取るのは、当たり前じゃない」

フフフッ、オペラ並みに恋の火花が散るね。黄色の花柄小紋を羽織る、コンミスも負けてないな。

 

その隣では彼女が師事する男装の麗人、いえヴァイオリン講師のエマが、地味な濃紺の大島紬を満面の笑みで試着している。

マイペースの彼女は相変わらず全身黒ずくめ、黒いハイネックとパンツスタイルだ。

 

なぜ大島紬が混ざっていたのか、不明なのだけど。日本からみた「女中スズキ」のイメージなのかもしれない。俊さんのセリフを借りれば、ヨーロッパから日本文化を逆輸ってところかなあ。

 

しかしこれだけ女性が集まれば、まるで薔薇の花が咲き乱れるような、艶やかな世界なのだけど、まとめる人は大変だ。

通し稽古が終わった後、フフフッ15分以上だったかな。指揮科の学生からね…。

「縁の下の力持ちコレペティ梨奈さん、愚痴ってもいいかな?」

「ええ、どうぞ」

ちゃんと傾聴しましたよ。


本当は彼女も衣装合わせが気になるのに。そこはプライドが許せないのか、大人になれず帰ってしまった。メンバーと演奏するにあたり、必要な距離を縮めるには、少し時間が必要だから、ここは見守っていくつもり。指揮者って、案外孤独だと思うな。

 

 

さて波風はたったものの、蝶々さんとスズキの衣装も無事に決まり、本日のスケジュールは全て終了した。最後にわたしは、どうしても伝えなくてはならない。


「一つ聞いて下さい。これは日本で大切に扱われていた、もしくわ保管していた愛着のある品々です。新品もあります。だからその気持ちを汲み取って、大事に扱って下さいね。お願いします」


すると、わたしの右隣に立つエマ講師が、学生一人一人と顔を合わせながら、話を始める。

「リナ、分かってるわ。私達は音楽家。楽器や声をいたわり、愛するのは当たり前。感謝も忘れないわ」


次に、演出のマリア講師が。

「着物や小物類は、このまま頂戴します。全て寄付なのですから、これを肝に銘じなさい。わたし達がオートクチュールのドレスを準備するのと同じ価値、そしてお値段の物ばかりです。

今後、マダム・バタフライやトゥーランドットを公演する機会には、この協力を忘れてはいけません」

ビシッと伝えてくれた。


鼓によると、眠っていた着物が海を越えて華やかなオペラの世界で新たに活躍できると、持ち主の皆さまは喜んでいたそうだから、この思いは形になるだろう。

 


やがて仕事を終えたわたしは、コンセルヴァトリウムの外に出る。前の通りを左方向へ進み、ケルントナー通りへ出て、今度は右折。


そのまま進むと、ブルーやピンク色にライトアップされたウィーンのシンボル、シュテファン寺院が近づいてくる。ライトアップされた幻想的な寺院は、まるで神話の世界へ導いてくれるようだ。

 

速足で寺院を目指す。

間もなく、大勢の人々で賑わう寺院前の広場に到着する。この辺りはバーやレストランも多いから、ライトアップを眺めながら食事を楽しめる、人気エリアだ。

 

雑踏の中でも、背の高い短髪の男性はすぐに見つけられる。

厚手のコートを羽織り、パンツのポケットに両手を入れながら、寺院の塔を見上げている。

 

背後から忍び寄る。

トン、トン。

背中を突く。

「俊さん寒い中、お待たせしました」

彼が振り向く。

「俺も5分くらい前に来たばかりだよ。ここはいつ来ても荘厳な建物に対して、ミスマッチな賑わいが面白いよな」

「あっああ、そうだよねえ…」

あいまいな返事をして、まわりをチラ見する。本当は周辺にいるカップルや、衣装合わせではしゃいでいた学生達ならできるであろう、待ち合わせた俊さんの背中に、ハグくらいできたらいいと思う。人前でできる女性が、ちょっと羨ましい。

 

「何を食べる?」

彼が左腕を組んでくれる。

「寺院のライトアップがよく見える、あのお店がいいな」

「相変わらず、定番を選ぶね」

俊さんがニヤッと笑い冗談めかす。わたしが、甘え下手であるのは分かっているから、恋人が多い場所から、少し離れたところをデートに選んだことも、バレバレだな。

「お土産話がたくさんあるの…」

「あの王子、劇場の稽古が忙しくて、また遅刻でもしたの?」

「違うよ…今日は出番じゃないの。あのね…」

せめて恋のバトルを面白可笑しく話して聞かせよう、そのくらいのユーモアはもっているから。

 

 

お忙しい中、お時間を割いて頂きありがとうございました赤薔薇

良い一日でありますように赤薔薇Akito

積雪が気になりますね

 

参考・引用図書

森田学著

(株)ショパン

歌うイタリア語ハンドブック

プッチーニ作曲オペラ「蝶々夫人」より ある晴れた日に

一部引用