ダン、ダッダッダッダッダッダッ……。

郷愁の念にかられる、クラシックギターの音色にあわせ、わたしはピアノ伴奏をしている。アンサンブルするのは「グラナドス作曲、12のスペイン舞曲からアンダルーサ」だ。

 

「クラシックギターの音って、哀愁ただようね」

ソファに寄りかかるシシイが、大きなお腹をさする。わたしとコジマは数メートル離れた食卓のテーブルで演奏中だ。


「特に、このアンダルーサはホ短調独特の陰影を感じるね」

そうだなあ、ほかにも茜色に染まる鎌倉の海岸や、スペインの田舎町の夕暮れ時が浮かび上がるかな。


わたしは88鍵あるキーボードで演奏をしているが、これはコジマの旦那さんエルマーの楽器で。クラシックギターを爪弾くのは、ブロンド美人のコジマ。うん……組んだ長い左足に、ギターを乗せて演奏する姿はサマになるなあ。

 

「コレペティのリナにタダで、レッスンしてもらっているみたいで、トクしちゃったなあ。

それにさあギターも弾かないと、弾けなくなるね。エルマーの方が上手よ。私、ピアノの演奏も危険だわ」

「確かに、楽器は弾けなくなるのも早いね」


最初は6分の8拍子だから、わたしは舞曲のステップのように一拍目をやや押し込み、そのあとは軽く装飾をつけながら刻む。そこへギターのビブラートが、メロディーを揺らしながら奏でる。そしてこの先は4分の3拍子、曲のニュアンスも変化するのよね……。

 

「ギャーッ!」

「おっ、息子達よ。ついに目覚めたか!」

双子ちゃんの泣き声に、反射的に演奏を止める。フフフッ、ここはスペインの田舎町や夕暮れ時の鎌倉の海岸でもない、ヴェーリング区にあるコストナー家なのです。


「ギターの哀愁も、元気な泣き声に吹っ飛んだわ。コジマ、オムツじゃない?」

シシイはこころもち背中を前のめりにして、目の前のベッドに寝る双子ちゃんの様子を除きこむような姿勢を取る。

 

「そうかもね。リナごめん、ちょっと中断」

「うん」

コジマは愛用のクラシックギターをやさしく椅子に立てかけ、息子達に歩みよる。2歳になる双子ちゃんは、デールとドルフだ。デニムとシンプルな紺色の長袖Tシャツを着た、姿勢のいいコジマの後に続く。フフフッ、ブロンドの長い髪の毛をカーラーで巻くと、あのアニメの主人公みたいだ。


「わたしも手伝うよ」

双子ちゃんのお世話もあるから、わたしもデニムとモスグリーンのシャツ姿。髪の毛も一つに縛っている。

 

「リナ、ありがとう」

「いいえ」

二人で手分けをしてオムツを交換する。そんな私たちを笑顔で見つめるシシイは、2か月後に出産予定だ。

 

「ワン、ワン!」

これまでシシイの足元で体を丸めていたコジマの愛犬アシュリーが、顔を上げ声を出す。

「ウワンッ! ワン」

「あら、つられてアスリーも起きたね。名前も似ているから、姉妹みたいだね」

我が家のリリーも少し離れた位置で体を丸めていたが、反応した。

「黒ラブが二匹と双子君だから、賑やかだね」

茶色のワンピースを着たシシイは、母親のような温かい眼差しをワンちゃんと、双子ちゃんのベッドへ向ける。

 

「コジマ、そろそろ着付けをはじめようか?」

時刻は午後3時だ。

3人集まるとコーヒーに、餡子類かケーキも加わり、つい脱線してしまう。

「そうね、始めましょう。アシュリー、アスリー。いい子だからダイニングで大人しくしていてね」

「ワンッ!」

コジマは二匹の黒ラブを、歩かせる。

 

コジマに着物を貸す約束をしていたので、持参した。

一週間後に身内の結婚式があり、ここで着るつもりなのだそう。

先ほどのアンサンブルも、コジマがエルマーと結婚式で演奏するから、その練習を兼ねた。本番はコジマがキーボードを、エルマーがクラシックギターを演奏する、芸達者な夫婦だ。

 

シシイは新婚旅行が日本だったから、着物の着付けには興味深々で、大きなお腹をかかえて遊びに来た。

「次はわたしにも貸してよお。カール達のホテルでパーティーもあるから、その時がいいな」

 

残念がるシシイだけど、本日コジマのヘアメイクを担当してくれる。

「じゃあシシイ、お願いしまーす」

「Jawohl!」

二人はダイニングテーブルで、早速ヘアメイクを開始する。二匹の犬はテーブルの下へ隠れてしまった。


「フフフッ、キラキラオーラがこっちまで伝わるよ。どんどん進めてね、わたしは小物類を出したり、準備するから」

えっ……今わたし、ナントかオーラなんてセリフを言ったよね……流行り言葉に疎いわたしも、学生に感化されているのねえ。

 

ザザーッツ

ヘアメイクの間に、リビングのカーテンを閉めて、フロアーに広めの刺し子のマットを敷く。この白いマットはシシイのお手製で、この着付けのために縫ってくれた物。3人それぞれ得意な事が違うから、補える部分も多い。


コジマが準備してくれた、アンティークの姿見を窓側に置く。鏡の周囲には木製の縁があり唐草模様が彫刻されていて、お洒落だ。

鏡に映る双子ちゃんに視線を向けると、スヤスヤ夢の中……可愛い寝顔につられベッド近寄って、二人の顔を覗き込む。癒されるな……シューマンの小品でも弾きたくなってしまう。

 

ほどなくしてシシイ渾身の作品第一弾、コジマのヘアメイクが完了した。

これを写真に残したあと、いよいよ本編をスタートする。目鼻立ちの整ったコジマは、アイシャドーやマスカラを入れるだけでも、キリッと引き締まってカッコいい。今はフルメイクだから女優さんみたいだ。


「じゃあ、着物を着ましょうか。まずは、肌襦袢からね……」

「うん、ドキドキだよ」

コジマへ着付けを始める。ああデニムで正解だな、着付けをするのには動きやすい。

 

コジマとシシイは和服の小物をそれぞれ手に取り、眺めているから、こうして日本の文化を喜んでもらえるなんて、とても嬉しい。

この着物を「呉服 日夏」でそろえた時は、ウイーンで着付けをするなんて、考えてもみなかったな。

 

「これは長襦袢ね。こうして肌襦袢の上に着るの」」

わたしは両手を広げるコジマに、この長襦袢を着せて、紐でしばる。彼女の体を姿見に映し、体を一回転する。

「こんな風に裾の長さとか、腰紐の位置を姿見で確かめながら、進めるといいよ。着付けの本も相当読み込んでいるようだし、何とかなるよ」

「夢中で読んでいたら、イメージはついたよ」

コジマはシシイが膝の上に広げる、着付けの本をチラ見する。


本の右端がふやけているのは、双子ちゃんの添い寝をしていて、自分も寝てしまった挙句。本が、うっかり彼らの小さなお口に触れてしまい……そんな可愛いアクシデントの形跡だ。


「リナは、ベーシックは完璧に着こなせるから羨ましいよ」

シシイはソファに腰かけトートバッグの中から、正方形や長方形の箱を取り出しながら、返事をする。

「日本人でも、着付けはプロに頼む事が多いよ」

 

そんな女子トークをしながら、最後まで着付けを終えた。あっ、この言葉も学生から盗み聞きしたんだ。もっかわたしは椿姫にのめり込みすぎて、頭の中は時代がミックスしているかもしれない。つい目を向ける物が、アンティークな物だったりね……でも、アンティークなアクセサリーや小物も素敵なんだよね。


「コジマ、どうかしら」

わたしはコジマの全身を姿見に映す。シシイもゆっくりソファから立ち上がり、コジマの周りをゆっくり歩き、上から下まで穴があくほど見つめている。

 

「うん、締め付け感も思ったほど強くないね。えっと、淡いピンクの色無地には、四君子の模様でこれは菊、蘭、梅、竹」

コジマがたもとを持ち上げ、色無地の模様を指さす。


「お太鼓結びにした名古屋帯は縦のグラデーション、いえ雲文模様が綺麗ねえ。モスグリーン、ゴールド、薄いパープル、ゴールドも入るでしょう……」

シシイは淡いクリーム色の帯揚げに取り付けた、同色のアンティークレースを見栄えよく広げる。

薔薇模様のアンティークレースは、彼女のアイデアで帯揚げに縫い付けた。


さらにところどころ、品よくシルバーとゴールドのスパンコールまで取り付けている。もちろん帯揚げや帯締めはコジマにプレゼントした物だから、自由に使って欲しい。

 

「シシイは器用だし、センスもいいよ」

「そうかしら。私は着付けの経験がないから、つい遊んでしまった。ベーシックの形からは外れているのでしょうけれど。まあ、モネの絵画にも着物姿の女性は描かれているから、許して」

わたしが関心すると、シシイはニコッと笑う。

 

「このカンザシも可愛いのよ」

今度はコジマが、ヘアに指すかんざしに触れる。

コジマのブロンドの夜会巻きには、シシイお手製のかんざしを挿している。

これは大きく太めのピンに、帯と同色のクリーム色のリボンを巻き付け、仕上げは淡いピンク色のアンティークパールを、U字部分へ数個取り付けた。小さなティアラのようにも見え、こんなちょっとした工夫が、雰囲気をお洒落に変える。

 

コジマは着物のたもとを広げ、鏡の前でポーズを取りご満悦だ。あっ、このまま歩いたら有名なコレクションに出るモデルが、まるで着物を着てランウェイするようだなあ。フフフッ夢路風見返り美人は、ブロンドの夜会巻きだ。

 

「シシイ、帯締めのアイデアもナイスよ。この薄いブルーの平組の帯締めに、刺繡までしちゃった。着物と同じ模様で、菊の花びらを刺繡しているの。正面に結び目ができると、その左右に花が出るように考えて刺繡したのよね」


「これは細かくて、予想以上に大変だったよ」

そう、さきほどシシイがトートバッグから取り出していた箱は、渾身の作品、第二弾だ。

 

「草履も借りたでしょ。この白い足袋も履きこごちは良いし、あとは当日晴ればいいなあ。クラッチバッグも素敵ね」

コジマはモスグリーンのクラッツチバッグをパカパカ開け閉めする。

いわゆるガマ口で、底が少し丸みを帯びる形で、これはすべて彼女の手作りだ。


「土台になる布地がモスグリーンでしょ、ここに同色にのレースをつけて。帯の雲文からイメージしたなんて、柔軟な発想だよね」

「今、お腹もおおきいから、あまり動けないじゃない。ついこんな事ばっかりしてしまうのよ。子供の物もずいぶん作ったわ」


「わたしはできないな……」

せいぜいプールの着替えに便利なゴム入りのバスタオルくらいだろうし、今でこそ温泉用に役立っているものの、裁縫は苦手かな。

 

「ところでリナ、もう一つお願いがあるの」

「えっ、何か足りない?」

鏡に映るコジマは、両手を合わせニコッとする。ああ、これは……甘えのサインなのよね。

 

「当日、着付けを手伝ってほしいのと……。

アンダルーサとテイクファイブのアンサンブルアレンジを、簡単にしてほしい。リナのアレンジはかっこいいし、ぐっと胸にくるわ。でも、難しいのよ……エルマーもそういってる」

着物をきた、ブロンド美人は眉間に皺を寄せる。さらに額にまでぎゅっと皺を作り、大げさにアピールしてみせる。


「フフフッ、着付けは予想していたから、スケジュールは開けているよ。慣れないうちは、なかなか思うように着れなかったりするからね。それよりアレンジかあ……」

 頭の中でギターとピアノアンサンブルのアレンジを思い起こす。


するとシシイが右手を上げる。

「ハイハイ!私も着付けを手伝うわ。式は来週だから、アンティークアクセサリーを見繕って、帯留めを作ってみたい。今、イメージが湧いたの」

シシイは満面の笑みを浮かべる。


「じゃあ決まりね。あたし達、三人寄れば文殊の知恵って事よね」

ブロンド美人は袂をひろげ、体を右に傾けおどけて見せる。

 

「アレンジは後で手直しして帰るね。コジマ、わたしからもお願いがあるの」

「Danke!リナのお願いって何?」


「着物姿で、某コレクションのモデルみたいに超カッコよくランウェイしてくれない? この着物を買った鎌倉の友人へ、録画を見せてあげたいの。ほら、最近うちに届いた聖母子像を彫って下さった……」



ピンときたのか、コジマはわたしの話を遮り、頷きながら話し始める。

「リナ、お安い御用よ。鎌倉彫職人の日夏若一さんよね。呉服屋の方は息子さんが後を継いでいる。若一さんは病気治療のために、予定よりも早く仕上げて下さったのよね。リナとシュンの大事な友人へ、お役に立てれば嬉しいわ」


「それ、ナイスアイデアだし、面白そうじゃない。闘病中の若一さんも、楽しめるよ」

「コジマ、シシイ。ありがとね、できるだけ楽しめる話題を、こちらからはお届けしたいの。少しでも気分が晴れたら良い、そんな思いを届けたいの」

 

わたしはシシイが作った白い刺し子のマットをかたずけながら、職人気質の若一さんがどんな表情で、このランウェイを眺めるのか想像を始めた。

 

お時間を割いてお読み頂き、ありがとうございました。続きはまたあした赤薔薇Akito

雪の方はいかがでしょうか❄️お気をつけてお過ごし下さい❄️

モデルにしたクラッチバッグは、友人が誕生日にプレゼントしてくれました。ハンドメイドで、感動しました💕


参考楽譜

全音ピアノピース アンダルーサ

 

参考図書

池田書店

着物の事典 

大久保信子監修