露払ふ寝覚めは秋の昔にて
見果てぬ夢に残る面影

この日わたしは同胞から頼みを受け、ある女の元を訪ねた。
女の夫は、承久の乱で命を落とした。同胞は、その下級武士の男を黄泉の国へ誘った。
わたしは鎌倉の地で、同胞と同じ役目を担っている。

亡き下級武士の住まいは、鎌倉の農村だ。
その家は直ぐに分かった。そこは丘の上、海を見渡す眺めのよい場所だ。
さほど大きくもない、木造家屋の前に立つ。戸口には網や籠など、生活に必要な道具がある。
ツンと鼻を摘みたくなる堆肥の臭いが、辺り一面漂っている。

そっと家の中に入る。男の妻が鍋を覗き込んでいる。
男が懸念した、子はすでにいない。腹に赤い発疹を出し、毎晩ぐずった。食べ物もとれず赤い便を出し、短い命を終えた。

わたしは、女の背後に立つ。
「決心はついたのか?」
女は振り向いた。
「ここにいても仕方ない」
昨夜、わたしはこの女の夢に現れ、行き先を告げた。
この女は身寄りもない。飢饉と天然痘の流行で、親兄妹も失った。残念だか、他に残る道はない。

「では、覚悟はいいな」
瓜実顔の女は、艶のある黒髪だ。頷くと、白いうなじが、人目を惹く。
わたしは鍋の中に粉末を入れ、暫し煮詰める。
これを柄杓で汲み取り、女が準備した粗末な湯呑みに注いだ。
「ゆっくり飲め」
女は湯呑みを受け取ると、口元に当てる。そして全て飲み干した。次に瓢箪を取りだり、湯呑みへ液体を注ぐ。これを飲んだ女は激しくむせ返り、両手で喉を掻きむしった。

時間を置いた。
そして、わたしは粗末な床板に座る、女の肩に触れて告げた。
「どうだ? 試してみろ」
すると女は口を動かす。
「カ タ ジ ケ ナ イ」
そう読み取れた。薬の作用で、女は声を失った。
わたしは胸元から鏡を取り出し、女の顔を写す。
「今のそなたの顔だ。薬で心と軀は若返った。頬の黒ずみは消え、瞳には光が戻っているだろう? 己の肌を摘んでみろ、弾力があるはずた」
ユツツマグシは霊薬だ。

「過去のつらい記憶を消す秘薬も混ぜた。夫と子の思い出は時期に消える。だから己に自信を持て」
女は鏡で自分の顔を眺めニコリと微笑むと、左腕の肌をぎゅっと摘んでみせた。摘んだ跡は、すぐに消える。薄汚れていた全身の肌は、見違えるほど白くなった。

わたしは香り袋を、女の首にぶら下げる。たちどころに堆肥の臭いは消え、鼻孔を爽やかにくすぐる顔が漂った。白い香り袋は、葡萄の花が織り込まれている。

「さて参ろう、荷は不要だ。全て整えてある」
わたしは女の手を掴み、家の外に出た。
女は声と過去の記憶を引き換えに、新たな心身を手に入れた。
女の行き先は、失脚した上皇の領地を与えられた地頭、武士の屋敷だ。女は側女になる。
「声を発しないと、不便だ。しかし秘密は守れる。それはいつ何時も寵愛を受けられるのだ、これを常に忘れずにいろ。さすれば、天寿を全うできる」
女は頬を染め、頷いた。
「分かるな、女の世界に身を投じるという事だ」
わたしは、もう一度繰り返す。
「カ ク ゴ シ テ イ ル  イ キ ル」
女は、ハッキリ口を動かした。

女を籠に乗せる。
「ここから先は全て、籠かきの指示に従え。わたしの仲間だ」
女は二人の籠かきに微笑み、頭を下げた。
駕籠かきは黒い阿弥衣(あみえ)を纏い、草鞋をはく。まるで僧侶のような出で立ちだ。道中、この姿が役に立つ。面倒な関所も超えられる。
籠かきは我々の隠密だが、いくつも顔を持つ。

「長旅だから、酔い止めの薬を臍に貼っておく。そなたはもう大事な身だ、それを意識しろ」
これはヒクスチナ、硫黄で作り和紙で包む。これを女の臍に貼り付けた。
女は両手を合わせ、深くお辞儀した。

別れ際、女に鏡を譲った。
「この鏡の裏側は、葡萄模様だ。
わたしが命を授かった土地では、葡萄を酒にして飲み、若さを保った。葡萄は薬になる」

魂の抜けたわたしは、この鏡を使わない。
「武家の屋敷には、わたしの仲間が入り込んでいる。鏡はその仲間から預かってきた物だ、安心しろ。仲間は、そなたの世話をしてくれる。皆、この葡萄模様をどこかにつけている。それが目印だ」
わたしは籠かきの火打袋を指差す。もちろん、葡萄模様を縫っている。仲間達はわたしと同じ渡来人だ。

間も無く、わたしは女と仲間を見送った。籠が丘を下り視界から消えるまで、見届けた。

女が向かう屋敷には、表向きは御家人の僧医として、仲間が控えている。女の軀を蝕むやもしれない、病の処方も心得ている。それは性病だ。

さて、ひと仕事終えた。
わたしはこの丘の外れに植わっている、小さな葡萄の木に向かう。仲間が植えてくれたこの葡萄の木が、住まいだ。

まったく、あの河原に住む同胞ときたら。感情を忘れてないではないか。仮にも、わたしたちは黄泉の国への案内人だ。生ある者に、情けをかけるときりがないのだが……。
香り袋の中身は、女の亡き夫が身につけていた火打袋と、その中に入っていた、子の髪の毛だ。
もともと火打袋は女が作り、戦に臨む夫に持たせた物だった。

フフフ……声や記憶を消す薬など、ありはしない。
あるとすれば気の病に使う薬だろう。
あの女は芯だけでなく、酒も強い。女の下克上を生き抜くだろう。
そう見込んだから、我々は女を救った。

はじめに飲んだ粉末は、婦人病に効果のあるビャクレンなどを混ぜたもので、滋養強壮効果もある。
瓢箪から注いだ液体は、濃い葡萄酒だ。相乗効果で女は、一時的に眠った。ほぼ泥酔だ。

その間に女の体を拭き、身なりを整えた。声が出ないのは、濃い葡萄酒の影響だ。しかし、女は声を失ったと思い込んだ。
もちろん仲間のクスシが、毎日女に葡萄酒を飲ませる。血の巡りを良くし、若返りの効果が期待出来る。


さて、わたしは少し休むとしよう。終わることのない役目は、思いのほか疲れる。
葡萄を一粒摘み、口にいれる。この酸味と甘い香りは、わたし達の故郷の香りだ。

かつて、わたしは志半ばで命を落とした、それを夢で叶えられないものだろうか。救った女を羨ましく思うわたしは、黄泉の国の案内として失格かもしれない。

古来、薬は神が飲む、言い換えれば権力者の為につくられ、代々伝えられた。
しかし権力者達が望む物は、薬では解決できない。
だから夢が叶う秘薬は、現世には無い。
わたしは黄泉の者だ、この薬を作れるが、侵してはいけない領域は心得ている。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また明日。

参考文献
新泉社
病から古代を解く 大道類聚方探索
槇佐知子 著

角川ソフィア文庫
ビギナーズ.クラシックス 日本の古典 新古今和歌集
小林大輔 著