人住まぬ不破の関屋の板びさし
荒れにし後はただ秋の風

「帰り道が分からない、教えてくれ」
その男は、ゆらゆら両手を突き出した。
粗末な小袖は腹部に大きな穴が開く。男を刺した槍は、腹部を貫いた。出血は赤黒く固まり、皮膚と小袖を同化した。
男の腰には、火打袋を提げている。それ以外は何も持たない。

「国はどこなのだ?」
男に一歩近づく。

「相模の国だ」
「ならば、ついてこい」
男の右手首を掴むと、グニャッと内部に指が入り込む固い物に触れた、これは橈骨だ。
男は掴まれた方向に顔を動したが、とうに眼球の光を失っていた。男の火打袋を腰から外し、その場に置いた。

「村に残してきた、子の病は治らない。体は細く腹だけが目立つ。だから俺を使って、薬にしてくれ」
「分かった。希望は叶えてやる」
男の火打袋には、絹糸のような髪の束だけがはいっていた。

川岸で念仏をとなえ、男の魂を黄泉の国へ送った。この付近は、ノザラシだらけだ。
男は自らのノザラシを、子の薬にしてくれと託した。ノザラシとはシャレコウベだ。

下級武士の男が、なぜこの秘薬を知っていたのか。いやノザラシが万能薬であるらしいと、武士仲間から聞きかじったのだろう。
ノザラシの他に、二種類の植物と黒い鳥が必要だ。男が手に入る薬ではない。

川岸を後にする。
寺に戻る。朽ち果てた本堂は、暗い空がよく見える。
火打袋が、また増えた。これを籠に入れる。そして自ら彫った阿弥陀如来像に手を合わせる。

ふと自らの体に触れてみる。左胸から右下へ、皮膚は穴を開けている。しかし体に触れた感覚は無い。

わたしは、黄泉の国の案内人だ。この土地に降ろされた訳は、わからない。
はるか昔のことだ。自分の体が墓から掘り出された時に、この傷を見た。
傷を受けた時は、女であったと記憶する。わたしの体の一部は時の権力者へ、薬として使われた。

さて。黄泉の国へ送った魂のない肉体を、今度は土へ返そう。
わたしの役目に終わりはない。

わたしが引き受けることになるであろう、生身の人間が傷を負う瞬間を、この目で見る。そして、帰るべきところへ送るのだ。

この役目を続れられるのは、感情など残ってはいないからだ。
しかし、ある一つののぞみを除いては。

あの和歌を詠んだ公家に、礼を言いたい。慰めになる和歌だ。
もちろん、礼を言ったところで、わたしの姿は生きた人間には見えず、感じない。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。
それでは、また明日。

参考文献
岩波書店
御伽草子 日本古典文学大系 
小敦盛
高木市之助 他 監修

新泉社
病から古代を解く 大同類聚方 探索
槇佐知子 編

角川ソフィア文庫
ビギナーズ.クラシックス 日本の古典 新古今和歌集
小林大輔 編