天の戸をおしあけ方の雲間より
神代の月の影ぞ残れる

窓の外に目をやると、空は茜色から紺碧に変わっていた。青白い月光が美しい夜だ。 

「あれ? 何時間、考え込んでいたのだろう? 」
嫌な予感がする。斜め上にある壁掛時計の針は、夕食の準備に取り掛かるには、遅すぎる時刻を指している。

急いで凛久ちゃん、メールを打つ。
「ごめんなさい、またやってしまいました」
数日前、いつものように鎌倉彫の「訳あり注文」を引き受けた。もっか、これが私の悩みの種。

依頼主さんは、友人の中国人夫婦が来日する。日本と中国の繋がりを感じる物を作成して欲しい、物は任せるとおっしゃった。

「まあまあ、焦るなよ。一休みしよう」
帰宅した凛久ちゃんのお土産は、しらす丼と甘い厚焼き玉子、綺麗な彩りの鎌倉野菜のサラダだ。

「それがいいかもね。食べてから考えるよ」
メールの内容から、作品制作の進行状況を察したのだろう、わたしの好物を買ってきてくれた。

凛久ちゃんは食卓のテーブルにおく、白紙のままのスケッチブックを手に持つ。
「ご飯を食べながら、俺もアイデアを練るよ」
実はこの注文に関しては、何かしら関わりたくてウズウズしている。だから一向に進まず困っているわたしとは正反対で、ご機嫌だ。

夕食を囲みながら、アイデアを煮詰める。
「作品は、漠然とイメージできてきたの」
卵焼きを箸でつまみ、凛久ちゃんの口にいれる。モゴモゴ口を動かしながら、ウンウンと首肯するから先を続ける。

「依頼主さんと中国人夫婦が出会ったきっかけは、医療も関わっているでしょ?
医療も、中国と深い関わりがあるじゃない? 日本の 神話時代からの、処方もあるくらいでしょう」
「確かに古事記を読み解くと、実は古代の治療や内服の処方が解釈できたりする。
このたまご焼き、うまいね」
今度は、わたしの口に卵焼きを口に入れてくれる。 
「うん。ふんわりした口辺りは、母の味に近いから、懐かしいし胸がじわっとするな。
いやいや卵焼きから、話しがズレては駄目よね」

「いや、母の味ってさ……」
凛久ちゃんが、何かヒントを掴んだのか、首を傾げて、暫し考え込むこと暫し。

「依頼主さんは、助けられた時のエピソードも入れて欲しいと希望しているじゃない? それも踏まえた作品にしよう」
「あっ、それは愛情を感じるエピソードだったね」
「そうそう。国を超えたね」
凛久ちゃんは、アイデアが浮かんだらしい。
左手で箸を動かしながら、右手で鉛筆を持ち、何やらスケッチブックに描き始めた。
 
それから、四週間後。わたしは手のひらサイズの手鏡を作り上げた。それは凛久ちゃんのデザインを参考にした。これにも、実は訳がある。

まず、鏡のデザインは。鏡の裏に、それぞれ梅、桃、菊の曼荼羅模様を、木地一面に施した。お洒落な曼荼羅アートを参考に、四苦八苦したが、なんとか彫った。
梅模様の鏡、桃模様、菊模様とバリエーションが増えるから、お土産にいいかと思う。

デザインの意味は。
梅、桃、菊は古代中国では薬に使われ、それは日本にも伝わり、同じように利用された。
鏡は言わずと知れた銅鏡、祭祀として中国でも用いられ、日本にも伝来した。

今回の依頼主さんは、数年前に過酷な体験をした。それは深刻な状況だったにもかかわらず、ほろっと泣けてクスッと笑える。

「夕方、茜色の空を眺めてら時間が経つのを待ってた。ようやく日も暮れたから、フェンスをよじ登ったわけよ。 そしたら、いきなり後ろから、体を引っ張られて。墜落すると焦った瞬間に、ブヨブヨした肉体の中に収まってた」
そこは、とある岬だったそう。

「耳元で、つんざく声がするけど、言葉の意味がわかんないし。
ふっくらしたおばちゃんから、ニンニクや香辛料の匂いがするんだよ。それって、リアルすぎる。だんだん自分も冷静になってくるじゃない?」
その岬は、近年外国人観光客で、昼夜を問わず人気の場所で、SNS映えするらしい。

「冷静になると、助けてくれたのは、中国人のおばちゃんだと分かったの。
そして、おばちゃんが仲間に向かって叫ぶから、数人の中国人にあっという間に取り囲まれちゃって、身動きとれないし。
挙句、一人のおじさんは、公衆トイレからトイレットペーパーを掴んだ状態で出てきたんだよ。
で、アンタどうしたの? みたいな、怪訝な顔してんの。
さすがに、こっちも恥ずかしくなってさ。
もう抵抗しないから、おじさんは用を足してきてってよって、身振り手振りで伝えたんだ」
依頼主さんは、中国人観光客に助けられた。

「最終的にガイドさんが、おばちゃんの言葉を通訳してくれてんだけど、マジ説教してんだよね。
アンタ、あの月を見てみなよ。日本の神様が降りた時代から、変わらない光だよ。大事にしろって」

その中国人のおばちゃんは、日本が好きで日本の神話を読んでいたそう。
天照大神が天の岩戸に隠れたエピソードを想像する。

「公衆トイレから出てきたおじさんは、おばちゃんの旦那でさ。財布から1000円出して、無理やり握らせるのよ。
で、ガイドがタクシー呼んでくれて、実家に戻った。1000円じゃ全然足りないから、親にタクシー代金を支払って貰ったけどさあ。
両親に会ったのは、5年振りだったんだ。母親は、助けてくれたおばちゃんとおんなじ雰囲気なんだよ。
コロコロ肉厚でさ、その体に抱きしめてくれたんだ」

一命をとりとめた、依頼主さんは両親と和解するきっかけを得た。

「そこからおばちゃん、おじちゃんと友達になって。ようやく、お礼が出来る。
二人からは、アンタはまだその時じゃなかった。元気になって、中国に遊びに来いって、励まされているんだ」
現在の依頼主さんは、社会復帰をはたし、診療内科でフォローを継続しているそう。

依頼主さんは胃潰瘍の既往がある。主治医は内視鏡検査を、凛久ちゃんに依頼した。

「消化器の先生ね、奥さんが鎌倉彫職人だよ。ちょっと訳ありな注文も受けているそうだから、きっとアナタが望む物を作ってくれるよ」
そんな経緯で、今回の訳あり注文を受けた。

私は完成した作品を、依頼主さんへ配送した。
「鏡に込められた意味ね、マジきにいったよ!」
完結な返信メールだけど、どうやら満足して頂けたようだ。

勿論、「訳あり意匠」にもデザインは残している。
「俺の落款、押しておこっと」
縁の下の力持ち、凛久ちゃんはご機嫌だった。
わたしは依頼主さんと、お目にかかっていない。
彼が内視鏡検査の結果を説明したあとで、詳細を聞いてくれた。

ところで。
この鏡は多めに作成したから、兄が経営する、ウチのお店におろしている。
兄曰く。
「パワーナントカ、というお墨付きで案外評判が良いから、定番商品にしよう」
「それは分かるよ。でもね模様が細か過ぎて、発狂したくなるくらい、大変なんだよ……」
「お前は、子供か? 今の時代、物を売る事は大変なんだ、甘えるな。さっさと作れ」

兄はわたしと違い、根っからの商人気質、ワーカーホリックだ。


お読み頂き、ありがとうございました。
それでは、また明日。

参考文献
新泉社
大同類聚方探索  改訂版 病から古代を解く
槇佐知子 著

角川ソフィア文庫
ビギナーズ.クラシックス 日本の古典 新古今和歌集
小林大輔 編