僕は、名古屋の中学卒業と同時に、
神奈川県の川崎市に引っ越した。
15年生まれ育った名古屋を離れた。
高校時代。
ラグビー全国レベルの強豪校に入学した。
同期は、僕を入れて16名。
内、スポーツ推薦者、ラグビー経験者は15名。
そう。
僕だけ、ただの一般入部。
選手は、50名以上いたし、
一般入部の僕には、監督の視線すら感じない。
期待すら感じない。
僕は、レギュラーとして全国大会に出場し、
活躍する夢があった。
だから期待されなくても、、、
期待されるよう、愚直に、泥臭くやるしかなかった。
グラウンドでの練習や、室内での筋トレは、
先輩、監督の目から、自分がどのように映っているか意識した。
高校1年生の夏。
チーム分けに、上半身裸とティーシャツチームで分けて
タッチフットの練習試合をすることがあった。
タッチフットとは、タックルの変わりに、タッチするゲーム。
僕は、裸チーム。
ライン際を独走し、もう少しでトライ。
でも、、、
先輩が後方から迫っていて、タッチされそう。
飛び込めば、怪我をするけどトライが取れる。
飛び込まなければ、怪我をしないが、タッチされる。
僕は裸だし、トライを取るのにグラウンドに飛び込んだら
どうなるかは、一瞬だが想像がついた。
あきらかに怪我をする。
身体中、擦り剥けて、血が流れる。
でも、
飛び込んだ。
身体中擦り剥けて、血が流れた。
でも関係なかった。
結果が欲しかった。
監督に名前を覚えて欲しかった。
僕は、一般入部の凡人だから、
他人よりも努力しなければレギュラーになんかなれないと
覚悟を決めていた高校生だった。
私立高校に進学させてくれた両親の為にも、
中途半端な事はできない。
当時は、そんな気持ちだったと思う。
当時は、上下関係が厳しく、
理不尽な事が多かった。
でも、自分の夢を叶えるため、
どんなことでも受け入れ、
誰よりもグラウンドに遅く残り練習し、
毎日朝練習を行い、
身体を大きくするため、
母には、タッパーの弁当を2つ作ってもらった。
必要なことは、何でも行った。
自分の試合のビデオは、何回でもチェックして、
自分のタックル、フェイント、ステップ、パス、ハンドオフ、
全てのプレーを見直した。
怪我をしたら、練習も出来ないから、
成長が遅くなるから、筋トレも誰よりも継続し、
運動生理学、栄養学を学んだ。
ありとあらゆる本を読みあさった。
あらゆる場面を想定し、
反復練習を繰り返した。
トップアスリートの本は、目に入った物は全て読んだ。
当時はお金がなく、
毎週月曜日の練習が休みの日は、
本屋で何時間も立ち読みしていた。
そんな高校生だった。
そんな経験が実は、今は生きている。
レギュラーになるには、監督の評価が必要。
評価を得るためには、必要とされなければならない。
どこのポジションで?
どんなプレーが持ち味なのか?
どんなプレーが苦手なのか?
このチームの同じポジションのライバルは?
分析し、
長所は努力でさらに伸ばし、
短所は努力で補い、
高校1年時、22人入れるベンチに、
1年生としては僕だけ、22番として入ることが出来た。
そんな僕も、
大学では、持って生まれた体格、才能の限界を感じた。
限界まで戦い抜いた。
そんな経験があるから、
限界まで自分を追い込むことができる。
苦しさを乗り越えた先には、
成長があるって知っているから。
だから頑張れる。
26歳になった僕は、
営業を行うときに、誰から教わるでもなく、
高校時代、監督にどのように見えるか意識したように、
取引先から自分がどのように見えるかを考え、
戦略を練ってから、営業を行う。
戦略は、以前長所を伸ばし、短所を補ったことを
仕事バージョンに置き換えているだけ。
ラグビーでは、挫折だらけの僕の人生だが、
ラグビーよりも、営業の方が簡単に感じる。
人間万事塞翁が馬って
こう言うことを言うんだろうな。
部下と話して、ふと昔を思いだした。
本来仕事は、
先達の仕事ぶりから教わらなくても、
自分で盗むものだ。
って思っているけど、
時代遅れだと言われそうなので止めておきます。
もはや体育会系も上下関係は崩壊し、
丁寧に教えられて、理不尽な事がなくなったのだから。
過去は、変わらないのでどうでもいいけど、
ラグビーを本気で頑張って身についた事が
真実だと証明するためにも、
あの頃の自分を証明するためにも、
今を生きなければならない。