こんばんは、夜未といいます。
今日は毒親体験談を書いていきます。


1、毒親の価値観は似ている
2、実家での生活は自由がなかった
3、毒親は常識を相手に押し付ける
4、毒親は都合の悪い事実を忘れる
5、毒親は世間体が大事
6、どのような親でいて欲しかったか



1、
私は毒親関連のブログをよく読みます。
読んでいて思うこと、それは
毒親の価値観は似ていることが多い。

価値観は人それぞれ同じでは無いですが、
これから書くことは
あなたの親の価値観に似ている部分も
あるかもしれません。




2、
産科の病院を退院してすぐ
私と子どもは実家で過ごしました。

母は私たちのお世話を
とても頑張ってくれていたと感じます。
食事の管理、洗濯、お風呂、衛生面まで。


ただ、
自由が無かったです。


朝から晩まで
「起きる?起きなさい」
「ご飯を食べなさい。」
「あれも飲みなさい。」
「着替えなさい。」
「泣いているわ。かわいそう。
授乳しなさい。」
「洗濯を手伝いなさい。」
「眠れていないなら昼寝をしなさい。」
「気晴らしついでに買い物へ行きなさい。」
「お風呂に入りなさい。」
「ご飯の用意を手伝いなさい。」
「お皿を片付けなさい。」
「寝なさい。」
「〜しなさい。〜しなさい。」
すべてお膳立てされていました。

窮屈には感じていましたが
私はお世話になっている身なので
「分かりました。」と従っていました。




3、
母に従うことができることは
従っていましたが、
私には従うことができないことが
ありました。

義実家(夫のお父さん、お母さん)のことです。

母は実家と義実家の付き合いについて
不満がありました。

母は義実家と
お中元やお歳暮を贈りあったり
時々一緒に食事をしたり
お互いの家に招待しあったり

そのような付き合いを
したかったんだと思います。
母はそれが常識だと言っていました。


しかし義実家のお父さんお母さんは、
結婚式やお宮参りなど節目の行事
年賀状
以外の付き合いはしたくなさそうでした。

私はどちらの家の価値観も
間違っているとは思いません。
すり合わせは必要だと感じます。





4、
母は義実家との付き合いが
思い通りにいかないことために、
私にヒステリックに怒鳴ったり
私の発言に対して
無視をしたり嫌味を言ったり
することが多くなりました。

私に酷い態度に出る事で
義実家をコントロールしたかったんだと
思います。

そして恐ろしいことなのですが、
諍いがあった次の日の朝
母は何事も無かったかのように
「おはよう。」とにこやか接してきました。

私は変に思い
昨日のことを聞いてみましたが、
母は
「何のこと?」
と、覚えていないのです。

母は私に怒鳴ったり
無視したりしたことを
次の日には忘れているのです!

母は自分にとって都合の悪い記憶を
改竄しているのだと思います。

自分は愛情溢れる母親だと
思い込みたいのだと思います。




5、
私は常に母の機嫌を伺うようになり
ビクビクしていました。
日々、消耗していきました。

そして、私は母から離れるため
急遽自宅に戻ることに決めました。
実家から自宅は数百kmあるため
すぐに会える距離ではありません。

私は母に
「あと2か月お世話になる予定だったけど
数日後には自宅に帰る。」
と伝えました。
それに対して母は
「え…それ友達にどう言ったらいいの?」
と言いました。

母は
なぜ私が帰ると決めたのかには興味は無く、
自分の友達にどう説明したらいいのかを
私に聞きました。

母は
家族内で何が起こっているかに興味は無く、
他人からみた「仲の良い家族」
という世間体が大事だったのです。




6、
本当は母に
「そうなんだね。
どういう風に思ってそう決めたの?」
とか言って欲しかったのです。
私の気持ちを大切にして欲しかった。

しかし、よく考えてみると
今まで母は私の発言や行動に
目は向けてくれても、
私の気持ちに寄り添ってくれた事は
今まで無かったということ気づきました。

約30年間も無かったことです。
これから先も母は
私の気持ちに寄り添ってくれることは
無いでしょう。

悲しいことですが
私はもう大人です。
自分の気持ちは自分で
大切にしようと思います。


想像以上長文になってしまいました。
読んでいただきありがとうございました。

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