仕事柄、かねてからこの問題については注目してきた。

 

今はこれについて書く時間と場所があるので、少し自分の考えをまとめておきたいと思う。

 

書こうと思ったきっかけはこの記事を見たことだ。

 

こぼす高3女子「複雑な問題多い」…プレテスト(読売新聞)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181112-00050012-yom-soci

 

試行試験を受けた生徒の感想があったので、一部抜粋する。

 

「正答の条件にあいまいな内容があった。これでは自己採点がやりにくい」

 

「自分ではつい甘く評価してしまう。実際はどれほど厳しく採点されるのか、不安です」

 

結局この問題点は解決されないまま本番を迎えるのだろうか。

 

マーク式から一部記述式に変更されるというのは早くから出ていた案だが、当初から採点に対する懸念の声はあった。

 

現場経験があるから断言するが、50万人規模の記述答案を短期間に公平に採点するなど到底不可能だ。

 

Aという事柄に触れていれば+1点、Bに触れていれば+2点、両方が含まれていればさらに+2点・・・。

 

採点基準とはおおよそこんなものだ。

 

一見得点条件が分かりやすく整理されていても、「記述式」というのは想像以上に問題をはらんでいる。

 

たとえば、模範解答が次のようなものだったとする。

 

『親と子どもとの間のコミュニケーションが一番大切だということ。』

 

この問題の配点は20点(より細かい条件があった方が考えやすいならば、200点満点でマーク100点+記述100点、記述問題は全5題で各20点)とする。

 

あなたが採点者だとしたら、次のような答案に何点与えるか。

  1. 新と子供の意思そ通が1番重要だとゆう事
  2. 一番大切なのは親と子どもとの間のコミュニケーションがあるべきだ。
  3. 大人と子どもとの間のコミュニケーションがとても大切だということ。

順に見ていこう。

 

※採点方式には減点法と加点方があるが、一般的である減点法で見ていくこととする。

 

模範例:

『親と子どもとの間のコミュニケーションが一番大切だということ。』

 

答案1:

『新と子供の意思そ通が1番重要だとゆう事』

 

意味するところは同じだが、使用する語句に相違や脱落があるパターン。

 

【相違】

  1. 親 → 新
  2. 子ども → 子供
  3. コミュニケーション → 意思そ通
  4. 一番 → 1番
  5. 大切 → 重要
  6. という → とゆう
  7. こと → 事

【脱落】

  1. との間
  2. 。(末尾の句点)

「抜き出せ」という指示があれば何ら問題はない。全くの同一でなければその都度1点減点といった方策がとれる。

 

そうすると、この答案は9点減点となる。

 

ただし、自由回答である場合、それでは減点のし過ぎであろう。

 

「新」「とゆう」の相違部分、加えて「。」の脱落を減点対象とし、3点減とするのが多数派だろうか。

 

それとも「子供」と「意思そ通」も減点対象とするか。けっこう悩みどころではないだろうか。

 

次に行こう。

 

模範例:
『親と子どもとの間のコミュニケーションが一番大切だということ。』

 

答案2:
『一番大切なのは親と子どもとの間のコミュニケーションがあるべきだ。』

 

主語と述語がねじれたパターン。

 

言わんとしていることは限りなく模範解答と同じだと思うが、日本語としては完全に失格である。

 

論点は一つだけだろう。何点の減点とするか。

 

-1点か?-5点か?-10点か?はたまた0点にしてしまうか?

 

予め決めておけば現場の混乱は避けられるが、何点減点だったとしても、その根拠が示しにくいのではないかと思う。

 

なぜ-5点なのか?なぜ-10点なのか。その減点とする明確な理由はあるだろうか。

 

最後の答案に行こう。

 

模範例:

『親と子どもとの間のコミュニケーションが一番大切だということ。』

 

答案3:

『子どもと大人が普段から会話をすることがとても大切だということ。』

 

微妙に意味の異なる言い換えがなされているパターン。

  1. 親 → 大人
  2. コミュニケーション → 普段から会話をすること
  3. 一番 → とても

さあ、この答案は何点にしようか?

 

どの言い換えも、本文の精査が必要だろう。筆者がどのようなニュアンスで書いているか確認が必要である。

 

「親」だけでなく大人全般にあてはまるように書いているか?

 

「コミュニケーション」の主要な例として会話を取りあげているか?

 

「一番」は単なる強調か、それとも明確なランキングか?

 

加えて、「親と子ども」の順序が逆転して「子どもと大人」になっている点にも問題はある。1点減とするか?

 

ここに出したのは、たった3枚の答案例に過ぎないが・・・、

 

私は今、少し頭が痛くなってきた。

 

採点者はこれをいったい何枚担当することになるのだろうか。

 

期間はどれくらいなのだろうか。

 

ご愁傷様と言うほかない。

 

もう少し言わせてもらえば、記述式というのは表面上はマーク形式のようなものでさえ、問題を引き起こすには十分な素材である。

 

番号を書かせて答えさせるテストを採点すればすぐわかる。

 

1と7。

0と6。

4と9。

2と3。

5と6。

 

誰でも一度は指摘するかされるかしたことはあるだろう。

 

カタカナやアルファベットでも同じことだ。

 

たった一文字でさえこれなのが記述式だ。

 

莫大な数の答案を、短い採点期間で、受験者本人も正確に自己採点ができる。

 

これらの便宜を図る目的で生まれたのがセンター試験だ。

 

これにかわる記述式テストを推進した人間、および最終決定をした人間には、間違いなく説明責任があると思う。いったいどうやるのかと。

 

というか、その方法がぜひ知りたい。

 

50万人の記述答案を短期間で公平に誰が採点しても同じ得点になる方法が本当にあるのなら、これほど素晴らしい教育的発展はないのではないか。

 

積極的に世界中にアピールすべき事柄じゃないのか。

 

なぜ、教育業界の誰もが関心のあるこうした疑問に早く答えてくれないのか。答えられないなら、こんな馬鹿げたことは今からでも遅くはないから撤回すべきだ。

 

一応断っておくが、記述式の試験そのものに私は反対しているわけではない。

 

国語、英語はもとより、数学も、社会も理科も、すべて記述式の試験のほうがより正確に受験生の実力を測ることができるのは間違いない。

 

もちろん、受験者数と採点期間を適切に管理した上で、の話である。

 

「ゆとり教育」と揶揄される若者たちは教育行政の被害者である。

 

彼ら自身に落ち度はないにもかかわらず、年齢でひとくくりにして簡単に批判の的になる。

 

これを猛省し、カリキュラムを大幅に修正したのはつい最近のことのはずだ。

 

また新たな失敗をするつもりか。

 

子どもはどんなことであれ、失敗してこそ成長する(から許されて然るべき存在だ)が、大人は違う。

 

もちろん、どんなことでも結果的に失敗することはあるだろうが、そこに至るまでの過程が何よりも大事だ。

 

大人には失敗しないように最善を尽くす責任があるはずだ。

 

ましてや公の仕事であるなら、そのプロセスをできるだけ透明化し、議論すべき点を国民と共有し、疑義には真摯に対応すべきだ。

 

間違っても、失敗したらとりあえず記者会見を開いてごめんなさいすれば許されるなどと思っていてはいけないし、ましてや「この失敗を取り戻すべく努力する」など、言語道断だ。さっさと辞めて、次の人間に代わりなさい。

 

とにかく、私が言いたいのは最善を尽くしてほしいということ。そして、それをできるだけ可視化してほしいということだ。

 

現状のセンター試験に代えて記述式など、無謀にしか思えない方策を、誰かまともな人間がまともに対処してくれることを願ってやまない。

 

このままでは、日本の教育制度に絶望した有能な人材は、より良い環境を求めてどんどん海外へ流出していくだろう。

 

長い目で見て、この大学入学共通テストの在り方は、日本の高等教育を発展させるか衰退させるかの局面を迎えているような気がしてならない。