前記事を書いて、思い出したことがあるのでそれを。


私のライブ参戦の歴史です。


現在学生で、「ライブに行きたいけど、諸事情で行けない…」と悩んでいる人の参考になるかと思って。



私が一番最初にライブに行ったのは、


1987年の冬、TM NETWORKのツアー@京都第一教育会館(今は違う名前なのかな?)です。


当時、TMの人気が出だした頃で、


私は中1(1985年)の時にアニメの「吸血鬼ハンターD」のサントラを聴いて以来のファンでしたが、


ライブのチケットがなかなか取れず、


やきもきしていました。


この時代はインターネットも携帯電話も、ポケベルさえもなく、


チケットの申し込みは発売日にチケットぴあや主催のイベンターに直接電話をかけて、


今はなき懐かしのジーコロ電話のダイヤルをいっぱいまで回し、


チケットセンターに繋がらないと、

切っては

「再通話(?)」ボタンを押し、またかけては切ってボタンを押し、の繰り返しをしたものです。

(アラフィフ以上の人には分かる(笑))


そして、中3の時にやっと取れたのが、TM NETWORKで。


初めてのライブ参戦になるので、チケットが取れた後は嬉しくてTM

のアルバムを部屋で流しながら、曲に合わせて両手に棒を持ってドラムの真似をしてたら、


「うるさい!」

と母親に怒られた記憶(笑)。


ライブ当日は、さすがに中学生一人では当時住んでいた兵庫県から京都までは遠くて危ないので、


夕方から姉と一緒に出かけました。


阪急電車(?)に乗って、梅田に出て、

そこから乗ったことのない京都行きの電車に乗り換えて。


ドキドキしながら電車に揺られて、目的駅に着くと、


真っ暗な京都の街を、迷いながら姉と一緒に会館へ向かいます。


そして、開演の瞬間。


「他のどこでもない、今、自分の目の前にメンバーの3人がいること」


が嬉しくて、信じられなくて。


途方もない幸福感を味わったものでした。



受験生だからライブは控える?


テスト前だからライブはやめとこう?


その考え、全くなかったわ(笑)。


とにかく、

「行きたい、生でアーティストに会いたい、音が聴きたい」

その想いだけ。



その後、うちは転勤族なので兵庫県から神奈川県に引っ越し。


私は高校受験を控えていたから、アチーブメントテストだの模試だので、移動が大変でした。


で、無事に神奈川の高校に受かり、3月末に引っ越します。


高校入った頃には80年代バンドブーム真っ只中で、


ずっと念願だった東京のライブ会場、行きまくりですよ。


初めての日本武道館ライブはUP-BEATでした。

このバンドだけで4回武道館に行ったな。


TM NETWORKは「キャロルツアー」の時に武道館で観ました。


あと、TMのバックミュージシャンであったギタリストの北島健二さんとドラムの山田亘さんが、


ボーカル兼ベースの西村正聡さんと一緒に組んだデジタルロックバンド、

「FENCE OF DEFENSE」でも武道館に行きました。


横浜アリーナは、BOOWY(本当はゼロに斜線が入る)解散後の氷室京介のソロライブが最初の参戦。


テレビやCDで観たり聴いたりして

「かっこいい!」と思って興味を持ったのですが。


実際ライブに行ってみたら、2階席だったんだけど、

なんだかアリーナ席だけ盛り上がって、2階は外野、


という感じで、氷室さんのパワーをあまり感じませんでした。


「なんか…思ってたんと違ったショボーンショボーンショボーン


やっぱり、BOOWYはメディアに操作された、大したことないバンドだったんだショボーン


と、がっかりしたのを覚えています。


この辺りから、メディアやレコード会社の思惑に惑わされず、


「自分が五感で実際に感じたことだけを信じる」、


そんなリスナーとしての私のスタイルができていきました。


先の記事に書いた千年コメッツもUP-BEATも、めちゃくちゃ追っかけ回してました。



さっきも書いたように、


学校帰りに制服のまま、新宿の日清パワーステーションだの武道館だのに一人で行ってました。


大学生の姉には彼氏ができて、

「週末はデートだから、ライブは一人で行けば?」

って展開だったので(笑)。



私は生まれつき場面緘目症で、当時は学力が普通の子は支援学校にも支援学級にも入れられないから、


ずっと普通校で、


学校では一言もしゃべらない、返事すらできない、友達が一人もいないから、


学校は「勉強」「読書のための本」だけが友達で、


それ以外は同級生からの「無視という名のいじめ」に遭い、「地獄」でしかなかった。


だから勉強だけはいつもトップクラスの優等生(ただし理数系以外)で、放課後は月に1回のライブだけが唯一の救いだった。


「生きる希望」だった。


「ライブがあるこの日までは生きよう」

って思えた。



中間テストだの期末テストだのは、いつも一夜漬けだから、


「テスト勉強しなきゃいけないから、ライブは控える」

って考えは相変わらずなかった(笑)。


一夜漬けでも80点、90点以上、なんなら社会史で100点取ったこともあった。


ただ、高2の時はいじめから来る登校拒否になり、1学期だけで17日も休んじゃって、


全然授業受けてないから数学だけ全くついていけなくて、留年しかけたけどな(笑)。


そこは、追試で赤点をギリギリ免れた。


他にも一人、私と同じようにロック好きの不良男子も追試を受けてたの、覚えてる。


彼も追試で合格して、留年を免れた(笑)。



もしV系以外の追っかけもバンギャと呼ぶなら、

あたしゃバンギャ歴35年くらいになりますよ(笑)。



続く。