「青春のゴールデンポップス」が良かったので、続けて「続・青春のゴールデンポップス」を図書館から借りてきました。
「続・青春のゴールデンポップス~二人だけのデート」
DISK 1
- 二人だけのデート/ベイ・シティ・ローラーズ
- 夢みるダンス/バスター
- Oh! クッキー・フェイス/ティナ・チャールズ
- シュガー・ベイビー・ラヴ/ルべッツ
- 荒野のならず者/スリー・ディグリーズ
- 涙のディスコティック/フィリー・デボーションズ
- 1963年12月[あのすばらしき夜]/フォー・シーズンズ
- 水曜日の夜/ニニ・ロッソ
- ウィル・ユー・ダンス/ジャニス・イアン
- 哀しみのマンディ/バリー・マニロウ
- 落ち葉のコンチェルト/アルバート・ハモンド
- 木枯らしの少女/ビョルン&ベニー
- 心の扉を開けよう/メラニー
- ママはダンスを踊らない/ロギンス&メッシーナ
- オー・シャンゼリゼ/ダニエル・ビダル
- ケ・セラ・セラ/メリー・ホプキン
- 僕のリズムを聞いとくれ/サンタナ
- シーズン/アース&ファイアー
- 愛の聖書/クリス・モンテス
- スーパーバード/ニール・セダカ
DISK 2
- モンキーズのテーマ/モンキーズ
- 恋はリズムに乗せて/アンディ・ウィリアムス
- ノックは3回/トニー・オーランド&ドーン
- 雨にぬれても/B.J.トーマス
- コーヒーもう一杯/ボブ・ディラン
- ボクサー/サイモン&ガーファンクル
- 花のサンフランシスコ/スコット・マッケンジー
- 輝く星座~レット・イット・ザ・サンシャイン・イン/フィフス・ディメンション
- 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー
- 雨/ジリオラ・チンクェッティ
- 悲しみの兵士/シルヴィ・バルタン
- 哀愁のヨーロッパ/サンタナ
- アメリカン・ウーマン/ゲス・フー
- 貴方だけを愛して/スージー・クアトロ
- 黒い炎/チェイス
- 刑事コロンボ [ミステリー・ムーヴィーのテーマ]/ヘンリー・マンシーニ楽団
- 恋のバンシャガラン/シルヴァー
- すてきなサンデー/バスター
- 夢の中の恋/ベイ・シティ・ローラーズ
- 恋にノー・タッチ/エリック・カルメン
- 涙色の微笑/バリー・マニロウ
ベイ・シティ・ローラーズ「二人だけのデート」
ルベッツ「シュガー・ベイビー・ラヴ」
そう、ドラマ『ウォーターボーイズ』で使用された曲。
あの高音、人の声&男性ボーカリストのものだったのか…
衣装もパフォーマンスもおしゃれです。
ニニ・ロッソ「水曜日の夜」
「あ、『水曜ロードショー』!」
と思ったあなた、同年代かそれ以上でしょう(笑)。
アルバート・ハモンド「落ち葉のコンチェルト」
当時の映像でなく、ちょっとお年を召したバージョンですが。
バリー・マニロウ「涙色の微笑」
B.J.トーマス「雨にぬれても」
映画「明日に向かって撃て」の主題歌。
この映画は未見ですが、検索してたら観てみたくなった。
チェイス「黒い炎」
こんなひげむくじゃらのおじさんが歌っていたのか!(笑)
ソウル色の強い、ブラス・ロックの先駈けですね。
この「続」のほうは、もうちょっと時代が下って、
70年代のソウル、ファンク、ロック色の強い楽曲が並びます。
いやあ、歌う人の個性といい、お国柄といい、この時代のバラエティー豊かなこと!
昭和40年代~50年代(1960~1970年代)は、
「今日はロックのこれこれをご紹介します」
とか
「ジャズのこれこれを歌っていただきます」
「この方はポップスの歌手で…」
なんて紹介のされ方は一切なく。
一人の人、一組のアーティストが様々なジャンルの歌を歌うのが当たり前で、
いわば「音楽そのもの」が奏でられていた時代でした。
「悪い音楽」はテレビやラジオから流れることはなく、
「いい音楽」しかなかったのです。
現代のような、素人でもできるCDや配信と違って、
「レコードを作る」ことは、必ず「レコード会社」の「耳の肥えた、審美眼のあるプロ」
の目や耳という「狭き関門」をくぐり抜けた人だけに許された行為でした。
現代は、音楽の発信が自由になったのではなく、
聴く価値のないものまで世の中にぶちまけられる、ただの無秩序、玉石混淆な時代。
本来は、厳然とした「大人社会」があり、「秩序」があり、「玉」だけを世の中に与えれば良いものを、
その「役割」を自ら放棄している、バカな大人が多い。
何故こうなったかといえば、「大人が喜ぶもの」ではなく、
「子供が喜ぶもの」
が基準になってしまっているから。
大人自身が「聴くべき音楽」が分からず、分からないから下の世代にも伝えることができないでいる。
現在、洋の東西を問わず、
「アーティスト」「歌手」と自称している若手のほとんどの連中と、
昔のそれとは、
そもそも「次元」が違うのです。
「カラオケ」と「プロの歌手」の違いも分からぬ、勘違い野郎ばかりが跋扈している。
彼らは「恥」を知らないのです。
歌声に、個性もなければ深みもなければ、感動もエレガントさもない。
深みがなさすぎて、上澄み液ですらない。
現在、「後世に伝えるべき東西のスタンダード・ナンバー」が歌える「歌手」が、どれくらい芸能界にいますか?
あなたの歌声は、50年後、100年後まで残ると思いますか?
後世の人たちに、あなたの歌った曲が歌い継がれ、聴き継がれると思いますか?
あなたの歌声は、「国民全体」「全世界」に愛されていると思いますか?
それができていないのならば、これからそれができる「人材」を「耳の肥えた大人」が育てなければならない。
今日紹介した楽曲たちが今でも忘れられていない、愛されているのは、私の両親や大人たちが教えてくれたから。
両親や大人世代が「いい音楽」だけを届けてくれたから。
だから私も大人になった今、こうしてブログに書くことができる。
私のような大人が増えていくことを、切に願うしかない、昨今です。