それは、おそらく京都と長野では、そもそも都会と田舎であって、何から何まですべて雲泥の差だと感じるからだ。
今朝、朝5時半ころ、かつて私が幼かった頃に歩いた通学路を辿った。
方々は高い山に囲まれ、所々靄がかかり、田んぼにはまだ刈られていない稲穂がたわわに揺らいでいる。
人は、まるで私しかいないかのように、閑散としていて広々とした青い空には視界に入るはずの邪魔なビルが1つもない。
一方、京都では、山があり、歴史的建造物が建ち並ぶ。なるほど一見共通するような景色はいたるところにある。
しかし、やはり何かが違う。
わたしは問うた。
「何が違うんだろう?」
そして気づく。
一区間につき密集している人や建物が少ないこと。
いつか、学生の頃に学んだ、田舎から都会へ人が流れることによって起こるドーナツ化現象。そして、過疎化。
それは確かに悲しい事で、実際私も地元を離れ京都にいる。
こんなことをいうのは、不謹慎であり、あるいは無責任だと非難されるかもしれない。
しかし、私がパラレルワールドだと思わずにはいられない要因はこういった田舎の状況からなのかもしれない。
日々の喧騒から逃れ、虫や鳥の声が耳をやさしくくすぐり、柔らかな風が髪をなでる。
それはまるでお伽話の国にいるような、他愛もない景色がそんな事を連想させるのだ。