人は質問されると結構嬉しかったりすると言う話です


仕事を引き継ぐ際に

教える側は質問がないとむしろ心配になります


この人が本当に理解してやれるだろうか

自分が説明した内容がアクションに移せるだろうか


そんなことを気にしながら引き継ぐのですが、

この感情を埋めるために


引き継ぐ側が何を意識したほうが良いか、


質問をすることに尽きると思います


ただし、質問することに慣れていない人は

そこにハードルを感じることがあるのではないでしょうか。


過去の自分を振り返ると、


質問もうまくできていなかった時期は特に人に聞くこと自体にハードルを感じていました。


質問にハードルを感じる理由として

下記があります


①何を質問してよいかわからない

②質問すると理解力がないと思われるのがやだ



①に関しての考察

何を質問して良いかわからない場合に意識することは、事前に共有してもらう資料をフレームワークで理解することです。


例えば、背景・目的・手段・アクション、

5W1Hでいつだれが何をするかをリストにまとめる


そうすると

共有された内容がフレームワーク別に整理できるため、質問する上でも文脈で質問することができるようになります。


背景・目的・手段・アクションで整理した場合、

目的は理解できたが、その目的に至る背景が理解できていないので、〇〇と考えるがその認識で問題ないか、という形で、質問する文脈を質問先の人に具体的にイメージさせると、求める答えを取得しやすくなります。


この質問の仕方と、一問一答形式の質問する方法との違いは、質問されたがわになぜこの質問をするのだろうと考えさせないことにあります。


この質問をなぜしてきているのだろうと考えさせてしまう原因として、


回答をどの観点で答えるべきか

質問者の理解度によりどこから答えるべきか


などが明確になっていないことが多いです


それを排除するためにも

フレームワークで整理し直して

どのフレームワークで整理した時、

どの要素が埋められない

という感じで、あとは日本語で表現すると

抜け漏れない確認ができるようになります


②についての考察

恥ずかしい、質問することは嫌だと感じる場合があるかもしれませんが、これは説明する側のことを想像すると払拭することができます


説明する側の目的は、

何かを吸収してほしい、説明してアクションにつなげてほしいとおもっています(意識しているかしていないかは別にして)


質問しないと逆に

「この人自分の話をわかっているだろうか」

「自分を頼ってくれないのは自分の説明の仕方がわるいのだろうか」

と余計な想像を巡らせてしまうものです


そうすると、その感情が次第に不満に変わってきて、なんで説明しても聞いてくれないのだろうか

など


ストレスに変わってしまうので、


羞恥心を一切感じる必要はなく、


重要な①の部分を整理することに

全集中を向けることがすごく大事だなと思います


ということで、今晩はボロネーゼ



最近、YouTubeでCNBCを見ています