三十路になるお前へ | 名も無き挑戦者のラッパー遼西です。

20代最後の日。

明日から三十路。


色んなことあったなぁ、マジで書ききれないくらい。


ちょうど10年前は19歳。大学行ってて確かあの頃は地元の弁当屋でバイトして、週末とか関係なく仲間と朝まで遊びに明け暮れて。


20歳になってもいろんな場所でいろんな奴らと過ごした思い出がある。春は花見して、夏は海行って、秋はボーッとして冬はスノボ行って。まだ夢とか現実社会とか、そーゆう境界線も気にせず、ただやりたいように生きてたわけで。


そんな地元の奴らも高校、大学の奴らも今じゃパパやママ、最高すぎるぜ。


就活もして、広告代理店でリーマン生活もした。

毎日スーツ着て同じ電車乗って同じオフィスでいろんなことを学んだ。そこで出会った上司と同期のみんなとは今でも繋がっててたまに近況報告がてら飲みにも行ってくれるのはホント恵まれてんなって。


1年って短い間だけど、音楽をやるきっかけと背中を押してくれたみんなには今でも感謝してます。マジで熱い人間しかいなかった。


そこからステップスに行ったのは確か23の頃。

サラリーマン時代に貯めた金で音楽の世界へ。

色んなダンスと歌の専門がある中でここを選んだのは特に理由はなかった。ただ、音楽の世界に殴り込みをしたかったんだよな。一から学んでどこまでやれんのか人生の掛けに出た。無謀だよな。サッカーしかしてこなかったバカが、いきなりこの業界って。


でも、ステップスに2年間行ったのは正解だった。途中サボったりして迷惑かけまくったけど、とにかく周りにいた仲間が熱くて。ステップス行きゃ誰かがいて、ダンスも歌も一緒にやって、頑張ろーなって互いに熱く語った。

ダンスの仕事もありがたいことに貰って、普通にサラリーマンしてたら立てないとんでもねぇステージに何度も立って。この頃から沸々とバックで踊るんじゃなくてマイク握ってこの場所に立ちてぇって思いが増した。


そいや、確か最初はシンガーとして渋谷のアクシスに立ったな。機材トラブルでマイクに音入らないってゆー苦いデビュー戦だったけど、今は無きあの場所は今でも覚えてんな。


そっからクラブシーンで歌う機会を貰って。こっからは壮絶かつ濃すぎて文面にしたら短篇小説一冊二冊出来るレベルなんで端おりますが、とにかく色んな人に助けて貰った。今の俺、マジで周りに支えられます。


そして、まさか自分が主催イベントまでやるなんて思ってなかったよな。横浜Magicって名前で、横浜盛り上げてぇなんて思ってなかったよな。19の俺よ。


でも、まだ足りねぇよな?

あの時、でっけーステージで思い描いた自分の挑戦、まだ果たしてねぇもんなー。


まぁ節目の年だから敢えて書き殴ったけど、変わらず俺は自分しか出来ない心に突き刺さる音楽をみんなに届ける男で居続けるぜ。いつでも俺は”名も無き挑戦者”です。


俺やっぱバカっす。やっぱ音楽好きなんだよな。


そんなこんなで今までよりも熱く生きていきます。

そんな俺をこれからも皆様よろしくお願いします。


んじゃ、三十路行ってきますわ。



遼西


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