「人間はもはやプログラミングに取り込める動物だ。」
「神は既に死んでいる。肉体を取り去るのに時間がかかっているだけだ。」
「私は人生に目的などないと思っている。」
「死を克服するのにイエス・キリストがこの地に戻ってくるのを待つ必要はない。複数のオタクたちが集まればそれは可能だ。」
「聖書の創世記第1章を読むと、神は動物や植物、人間を創造した。そして今、我々はそれと同じパワーを手に入れたいと思っている。動物、植物、人間を製造したい。もっと言うなら、我々は神を超えたい。」
「神が創造できたのは、せいぜい有機体の生物だけだ。牛やトマト、キリンなど。これらは全て有機体だ。我々は、無機性の生物を創造したい。それは神が出来なかったことだ。」
「我々が成し遂げようとしていることは、神の力では到底無理なことだ。」
「我々は、聖書の神より遥かに優れている。」
「旧誓約書を読むと、イスラエル人は神を怒らせる度干ばつなどの被害にあってきた。しかし今イスラエルは水を製造できる工場があるため、別に神を怒らせようがどうってことはない。神が雨を止めても水をつくれるからだ。」
「イエスが死から復活したとか、神の子であるとか、それらは全てガセだ。」
これらは、全て同じ人物の発言です。
その人の名はYuval Noah Harari(ユヴァル・ノア・ハラリ)と言います。
イスラエル出身のハラリ氏は、同性愛者であり、エルサレムのヘブライ大学で歴史を教える教授である他、歴史家、哲学者、そしてベストセラー作家でもあります。
ハラリ氏の発言を聞いて思い出すのは、聖書で書かれている「バベルの塔」です。
人間は、神が言語を創造するまで皆同じ言葉を話していました。
そしてこの時、人間は、
「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」(創世記 11:4)
と、レンガとアスファルトを使用して高い塔を建て始めました。
神を超えようとしたのです。
これを見た神は、
「彼らが何を企てても、妨げることはできない。」(創世記 11:6)
と、複数の言語を作り、人々を混乱させたのです。
これは、神が人間を止めることができないという訳ではなく、人間の悪意は歯止めが効かないほど悪くなるということです。
それは、人間の歴史を見れば明らかです。
歴史と言えば、ハラリ氏は更に、以下のような発言をしています。
「歴史は人間が神々を作り出した時に始まり、人間が神になる時に終わる。」
神を恐れない、そして自分こそが神になろうとする。
これはまさに悪魔が天国から追放され、地獄行きが確定した理由です。
「わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。」(エゼキエル書 33:11)
これほど神を冒涜するハラリ氏のことも、神は愛しています。
イエス・キリストは、ハラリ氏の罪も自らの死で償いました。
ハラリ氏が、神の前に謙虚になり、罪を悔い改めて神に立ち返りますように。
ハラリ氏と同じように神を冒涜している人が、神の愛を知り、永遠の命を与えられますように。
アーメン
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