夏になるとよくテレビ番組などで特集される、怪談話。
心霊スポット、心霊写真、幽霊体験、お祓いなど、視聴者の恐怖と好奇心を煽る番組が色々と出てきます。
幽霊というと、私たちはその正体が「亡くなった人」だと思いがちです。
心霊スポットや心霊写真を調べるいわゆる霊能者は、一体幽霊が私たちに何を伝えようとしているのか、霊と交信を取っていると言われます。
この世で心残りがあって成仏できずにいる、あるいは無念にこの世を去った怒りを撒き散らしているなど、幽霊体験は、「亡くなった人」が私たちに何かを訴えたくて起こしている現象である、と捉える人が多いからです。
幽霊とは、実際に存在するのでしょうか?
だとしたら、幽霊の正体は、本当に亡くなった人なのでしょうか?
幽霊は、実在します。
イエス・キリストは、十字架での死から三日後に復活し、人々の前にその姿を現しました。
聖書には、イエスの使徒たちがその時イエスが幽霊だと思い、恐れ慄いたと書かれています。(ルカ 24:36)
そんな使徒たちに、イエスはこう言います。
「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊(幽霊)には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」(ルカによる福音書 24:38-39)
このことから、肉も骨もない霊(幽霊)が存在することが分かります。
では、幽霊の正体は亡くなった人の霊なのでしょうか?
聖書では、この世での死の後に起こることについて、以下のように書かれています。
「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブライ人への手紙 9:27)
「塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。」(コヘレトの言葉 12:7)
つまり、人間はこの世で最後の息をした直後、裁きを受ける為に神の前に立つ、ということです。
生前イエスを神として信じた人の裁きは、イエスが罪を償ったために咎められることなく天国行きとなります。
生前イエスを拒んだ人は、全ての罪を一つ一つ裁かれ、地獄へと行くことになります。
地獄に行く人が天国に行くことも、天国にいる人が地獄に行くこともなければ、天国あるいは地獄に行く人が地上に戻ってくることもありません。
つまり、一度死んだ人は二度とこの地上に戻ってくることはないのです。
では、自分の大切な人、あるいは昔亡くなった人の姿に似た幽霊が現れるのはどうしてなのでしょうか?
彼らが亡くなった人の霊でなければ、一体何なのでしょうか?
全て悪霊の仕業であり、その正体は悪霊です。
悪魔の目的は、盗み、殺し、滅ぼしです。(ヨハネによる福音書 10:10)
これは必ずしも物質的ということではありません。
永遠の命へと続く道を奪い、その命を殺し、地獄で永遠に滅ぼす、という霊的な意味合いもあります。
そのためなら悪魔も悪霊も、何だってします。
「死んだ人は誰でも天国に行ける、上から見守っている」
「お祓いでその魂は成仏できる」
そういった偽りの希望が、実際の天国への道(イエス・キリスト)から目と心を離れさせるからです。
霊能者が霊と交信を取り、その人と故人しか知り得ないことを知っているのは、私たちの行動をいつも監視している悪霊と交信しているからです。
この世を去った人は天国か地獄にしかおらず、交信することなどできません。
天国にいる人は、神のそばでこの世の理解を遥かに超える喜びを体験し、この地上に戻ってきたいと思う人はいません。
地獄にいる人は、永遠の苦しみの中にあるので、地上に戻ってくることも、交信することもできません。
故人を偲ぶことは大切なことです。
しかし、故人が戻ってくる、幽霊は死んだ人の霊だと思うのは危険な間違いです。
悪霊は、イエスを信じることで与えられる聖霊を持つ人に取り憑くことができません。
色々攻撃はできても、その人の天国行き、永遠の命を奪うこともできません。
となると、標的となるのはイエスを知らない人、イエスを拒む人です。
聖霊が与えられる前に、何としても地獄行きの印をその人に付けたいからです。
偶像に拝むこと、霊能者を使うことなどは全て、悪霊を近づける行為です。
「偶像に献げる供え物は、神ではなく悪霊に献げている。」(コリントの信徒への手紙一 )
とあります。
愛する人、大切な人を失うことは、誰にとっても辛いことです。
もう一度会いたいと願うのが当たり前です。
しかし、残念ながら、もうその人たちがこの世に戻ってくることは絶対にありません。
願うべきは、その人が最後の息をする前に神の存在を認め、天国へ行けたということ、そして自分自身も手遅れになる前にイエスを受け入れ、その人と天国で再会できるまで、神がその心を癒し、真実と命の道へと導いてくれることです。
どうか悪魔に騙されないでください。
アーメン
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